2011年07月26日

遊牧民の中国支配史2: ~夏・殷・周 王朝の誕生~

プロローグでは、
略奪闘争前夜(遊牧部族との混交によって王朝が成立するまで)の中国を押さえました。
今回は、中国史上初の王朝である夏そして、殷・周の成立までです。
本題に入る前に、いつもの応援クリックお願いいたします。
最初に、中国史上初の王朝が成立するまでの背景(基本構造)をおさえる。
るいネットより

遊牧社会と農耕都市社会との関係は、平時は、対立闘争関係にあるよりも、密接な経済的共存関係にあった。
農耕都市社会は、富の蓄積が進み、文明が発達すればするほど、馬や毛皮、羊毛、毛織物、肉、乳製品、金銀銅錫などの金属器、石材や玉などへの欠乏が高まった。
遊牧社会の方でも、農耕都市社会が生産する穀物や絹織物などの手工業製品や塩などを必要とした。こうして、遊牧地帯と農耕地帯の境界では、盛んに交易が行われるようになった。
しかし、モンゴル高原からカスピ海までを繋ぐ草原の道は、気候変動の影響を受けやすい地域でもある。そのため、寒冷化・乾燥化が進んで草原の道の生産力が下がると、草原の遊牧民はモンゴル高原から黄河流域に南下し、農耕民を征服・支配するという最も効果的な収奪方法を取ることになる。

王朝成立に至る略奪闘争が始まる直前の中国大陸は、農耕社会も遊牧社会も生産性が向上し集団規模が大型化する。その遊牧部族と農耕民の日常的交易が進んでいた。
そして、そのなかで気象変動の影響を受けやすい遊牧民が農耕民から収奪するということが定期的に行われていたことが背景にあった。
しかし、それだけだと遊牧民は農耕民から収奪して元の草原に戻る為、遊牧が侵略・定住し、支配国家の王朝に至るには、更なるキッカケ(要因)があるだろう
それは何かを探っていきます。

(さらに…)

  投稿者 kyupibekamu | 2011-07-26 | Posted in 14.その他1 Comment »