2010年01月05日

12/29 なんでや劇場レポート②~近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた~

6205351e.jpg
画像はコチラからお借りしました。
レポート第2弾です。
レポート第1弾では、近代市場が拡大し市場権力(金貸し)が国家権力を上回ったことによって、それまでの古代市場では無かった特権階級の暴走が起こリ得る構造が明らかになりました。
今回は、その近代市場の拡大の原動力となった『欧州社会の特殊性』について追求され、どのようにして市場の力が国家の力を超えていったのかが議論されました。
いつも応援ありがとうございます!

にほんブログ村 政治ブログへ


るいネット佳作投稿から引用します。
4.古代市場で実現しなかった市場の持続的拡大は何故起こったのか?
prise.jpg
「十字軍遠征」画像はコチラからお借りしました。

ルネッサンス運動の拠点となったベネチアの金融力の興隆は、十字軍以前にまで遡る。つまり、十字軍遠征の時代200年を通じて、ベネチアは持続的成長を続けたのだが、このような長期にわたる成長は、他の古代市場では起こり得なかったことである。この古代市場で実現しなかった市場の持続的拡大は何故、ベネチアをはじめとする近世欧州において起こったのだろうか?
その背景には、国家を超えた普遍宗教としてのキリスト教が教団としてのネットワークを形成していたことが大きい。もともとキリスト教自体に騙し的要素が内在されているが、この国家権力を超えた教会権力をうまく利用して(騙して)、教会ネットワークを金貸しネットワークへと変換させたことが、欧州商品市場が国家の枠組みを超えて特殊な長期にわたる繁栄を実現させた原動力である。しかも欧州はイスラムの富を略奪しただけではなく、欧州内での騙しあい、奪い合いも激化させ、欧州全域に「騙せば官軍」というムードが確立していき、多くの貴族や騎士に商人的(投機的)体質が形成されていった。
更にこの200年間で蓄積された原資を活用して、欧州はアジア・アメリカといった世界中に略奪範囲を拡大させ、またしても騙しの市場拡大を成功させる。こうして、「騙せば官軍」という欧州に特殊的な価値観を起点とした近代市場は、ついに世界中の国家権力を凌駕するまでに拡大していったのである。

doitu182l.jpg
「キリスト誕生」画像はコチラからお借りしました。
近代欧州の特殊性をまとめると、
1.皆殺し→全て敵⇒架空観念に収束するが、正邪の羅針盤を喪失しているので『騙せば官軍』の世界に。
2.この力の原理に立脚する「騙せば勝ち」の構造を見抜き、それを布教戦略として成功したのがキリスト教。
3.欧州では中世~近世、教会が国家・国王をも上回る共認権力(→財力)を確立(アジアには無い構造)。
4.金貸しにとって絶対権力たる教会(法王etc.)は絶好の買収対象となり、教会の後ろ盾を得てベネチア・スイスetc.商業国家の独立、あるいは対イスラム十字軍遠征etc.次々と金貸しの思惑通りに事が進んでいく。
5.200年以上に亘る十字軍遠征により、富の大半を領有する貴族や騎士の大半が交易に関わり、商人(投機)貴族化した。その商業(私益収束)の拠点として、ベネチアetc.商業国家で金貸しに都合の良い法制・芸術・思想が生み出された。
<持続的な市場拡大の構造>
200年以上に亘る十字軍遠征=持続的な市場拡大
          
自我・私権の拡大へと可能性収束=自我・私権収束のパラダイム確立と市場に都合の良い芸術・思想・法制の創出
          
都市全域に(規範の解体→)性市場が拡大してゆくにつれて、第2弾の持続的な市場拡大
          
その後アメリカ・アジアetc.巨大な掠奪対象が「発見」されたことにより、第3弾の持続的な市場拡大
★この持続的な市場拡大による自我・私権収束のパラダイムの確立こそ、市場の力>国家の力に転換させた力の正体である。
続いてるいネット佳作投稿からの引用です。
5.近世・近代600年の市場拡大=自我・私権収束とは何だったのか?

元来、人類は極限的な自然圧力の中で、共認原理だけを命綱とし、自我・私権を封鎖してきた。その後、中央ユーラシアの遊牧部族から始まった自我・私権闘争は、一旦、序列原理にもとづく身分制度によって止揚されたが、西洋発の市場社会は、この自我・私権を無制限に拡大させていった。
しかし、市場社会はその最終発展手段として科学技術に先端的に収束していき、結果的に豊かさを実現させた。そして豊かさを実現させた先進国においては、もはや人々の意識の中心は自我・私権ではなくなり、次第に共認へと転換しつつある。それ故に、少数私権派の暴走を引き起こしているが、この現象自体が、自我私権にこだわる旧統合階級=特権階級の没落と、私権よりも共認を重視する大衆による社会統合の可能性を示唆している。
市場社会は、それ自体は驚くほどの特殊解として西洋に誕生したが、結果として世界中の人々の自我・私権欠乏を刺激し、社会を激変させるエネルギーをもたらした。そして結果的に成熟した市場社会は自我・私権を封鎖させる基盤を提供しつつある。
そのように考えるならば、恒常的な絶対的自然圧力によって自我・私権を封鎖してきた人類が、むしろそれとは逆の豊かさによって自我・私権を封鎖する段階に突入すために、過渡的に自我・私権エネルギーを必要とした、その加速装置が市場経済システムだったということかもしれない。
いずれにせよ、市場時代(金貸しとその手先である学者・官僚・マスコミの時代)は終わりを告げようとしている。「特権階級の暴走と無能化」が顕在化した’09年を踏まえて、2010年は、共認運動の飛躍の年となるようさらなる理論追求と政策提案に精進していきたい。

「特権階級をどうする?」という問題が残っていますが、やはりその特権を剥奪して全ての特権階級を平民にしてしまうことが必要なのだと思います。そして、共認原理に基づいて万人によって社会統合課題を担う仕組みを作り出していくことがこれからの人類の課題になるのではないでしょうか?

List    投稿者 hiroaki | 2010-01-05 | Posted in 08.近現代史と金貸し1 Comment » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2010/01/1507.html/trackback


コメント1件

 kota | 2010.08.16 18:38

>その際に、「皆の役に立つような仕事」は、「無給」であり、「自分の為の仕事」は給与がもらえるという状況は、果たして活力を維持していけるのでしょうか?
私権衰弱に伴い、「自分の為の仕事」(私権獲得)は徐々に活力を失いつつありますが、本来「官」も「民」も全てが「皆の役に立つような仕事」という意味では同じなのではないかと思います。
また、「徴兵制」を元にした「徴員制」という言葉には、何やら強制的に“やらされる”あるいは“やらねばならない”印象を受けますが、実はより多くの「皆の役に立つ」公務(社会統合)ほど、やりがいのある、従って活力の湧く仕事であり、当然その評価に応じてお金は支払われるべきであると思いました。

Comment



Comment