2008年04月29日
『アメリカの共和党と民主党』12 ・・・軍産複合体はペテンの戦争脅威で儲ける(1/3):軍産複合体の誕生
年代 |
国際情勢 |
アメリカ情勢 |
共和党/民主党 |
1939 | 第2次世界大戦勃発 | ≪参照≫ ⇒ 『アメリカの共和党と民主党5』戦争をする事でしか、平等も市場拡大も不可能な国 | |
ドイツがポーランドに侵攻 イギリス・フランス宣戦布告 |
アメリカ中立を維持 |
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1941 | 真珠湾攻撃で太平洋戦争へ | アメリカ宣戦布告 | |
1945 |
広島・長崎へ原爆投下 日本降伏 第2次世界大戦終結 |
ヤルタ会談 米ソ対立 |
民主党ルーズベルト大統領死去 民主党トルーマン大統領就任 |
1947 |
英→米へ覇権移行 世界が自由主義と共産主義に分断 |
モンロー主義拡大解釈⇒他国への積極介入 |
トルーマンドクトリン発表 反共産主義国支援 マーシャルプラン発表 |
1948 | パレスチナにイスラエル誕生 | ||
1949 |
(OEEC)に対抗して(COMECON)設立 北大西洋条約機構成立(NATO) |
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1950 |
朝鮮戦争勃発 |
アメリカを中心とした国連軍の結成 |
現在の危機委員会創設(CPD) →軍産複合体の足場固め 日本に駐留していたアメリカ軍を韓国に派遣 |
1952 | キューバで独裁政権樹立 |
キューバを傀儡政権化 水爆実験成功 |
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1953 | スターリン死去 | 大陸間弾道ミサイル実用化 |
共和党アイゼンハワー大統領就任 大量報復作戦 |
1955 | NATOに対抗してワルシャワ条約機構設立 |
アメリカがベトナムに介入。 |
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1957 | 宇宙開発競争激化 | ||
1959 | キューバ革命 | ||
1960 | ベトナム戦争勃発 | アイゼンハワー 軍産複合体に関する告別演説 | |
1961 |
ピッグス湾作戦 キューバ社会主義化宣言→ソ連と武器協定 東側がベルリンの壁構築 |
亡命キューバ人に大量の資産と武器の供与 アポロ計画 |
民主党ケネディ就任 ベトナム撤退計画 |
1939年、ドイツがポーランドに侵攻し第2次世界大戦が勃発 。イギリス・フランスは当初アメリカに参戦を促すも、当時のアメリカにとってドイツは大口の貿易相手だったので、大戦への参加を敬遠していました。しかし、ニューディールで経済的には上手く行かなかったが連邦権限が大きくなったアメリカは方向転換し、双方が疲弊した頃を見計らって真珠湾攻撃を口実に参戦 。原爆投下 による対世界への力の鼓舞、それに伴う戦後国際社会におけるポジションの確保とアジア市場へ足場を固めていきました・・・
こうして第2次世界大戦を経てアメリカは唯一の超大国 になります。しかし『アメリカの共和党と民主党』5で明らかになったようにアメリカは略奪を続ける事でしか市場を拡大、維持出来ません。よって軍事費を捻出し市場を回すべく次なる敵を探し、資本主義と共産主義の対立構造を元にアメリカは意図的にソ連を軍事大国へと仕立てあげていきます。ソ連の脅威を元にしてヨーロッパを越えてアメリカの戦争商売を如何に世界中に拡げていくか。これが戦後のテーマとなりました。
しかし資本主義と共産主義の戦いの縮図となる朝鮮戦争やベトナム戦争を経てアメリカは疲弊していき、反戦ムードは高まっていきます。しかし戦争は止まりませんでした。その影には現在もアメリカに多大な影響を与えている軍産複合体の姿があり、市場もまたそこに頼らなければ成り立たない構造が明らかになります。
この第12章では、まず第二次大戦終了から唯一の超大国となったアメリカが戦争商売に傾倒していくにつれて軍需産業の力に飲み込まれていく過程を見ていきたいと思います。
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