デビッド・ロックフェラーはどのような社会を作ろうとしているのか?
『副島隆彦の学問道場』の吉田(Y2J)氏が、『ロックフェラー回顧録』日本語版(新潮社刊)に記されたデイヴィッド・ロックフェラーの学問履歴から、彼の銀行家としての経済思想の読み解きを試みている。彼がどのような社会を作り上げようとしているのか、考える上で非常に興味深い。
デイヴィッド・ロックフェラーは1936年にハーバード大を卒業している。学位論文はファビアン社会主義についての論文であった。彼が強く影響を受けたのは祖父と、ハーバード大で指導を受けたオーストリア人の経済学者ジョゼフ・シュンペーターとのことである。
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以下、『ロックフェラー回顧録』日本語版(新潮社刊)からの引用。
●デビッドの祖父
実業家の決断の経緯と理由に関するわたしの考えは、大部分が研究をともにした経済学者たちによって形作られたが、今、博士論文を読み返してみると、シュンペーター、ハイエク、ナイトだけでなく、祖父にも強く影響を受けたことがはっきり分かる。
祖父のような実業家の行動について論じる際、わたしは企業家の動機が”利益の最大化”のみだと信じる者は間違っていると指摘した。確かに金儲けの欲求もひとつの重要な動機だが、それだけではないし、しばしば同じくらい重要な動機もほかに存在する。わたしは博士論文で次のように論じた。「企業家としての活動は、人間の創造本能、権力追及、賭博本能を一度に満たす機会を与えてくれる……多くの者がものごとを成し遂げる過程の楽しさ自体を目的としており、利益を多かれ少なかれ値打ちのある副産物と見なしているという事実を無視するのは、誤解を招きやすい単純化だ」
●経済学者シュンペーター
その年にわたしが最も影響を受けたのは、ジョゼフ・A・シュンペーターだ。実際に、わたしの大学院生活の知的頂点のひとつが、シュンペーターの経済論基礎コースだった。シュンペーターはすでに世界屈指の優れた経済学者と見なされていた。オーストリアの政界で活躍したことがあり、1919年にはしばらくのあいだ財務大臣を務めた。また、1920年代には、一時的にウィーンで個人銀行の経営もしていた。ハーヴァード大学にたどり着いたのは1932年で、わたしが1936年秋に会ったときは五十代半ばだった。
シュンペーターが最も興味を持っていたのは経済発展の過程における企業家の役割で、1930年代半ばには、新古典派経済学の正統的な論客として頭角を現わした。といっても、シュンペーターは単なる旧秩序の擁護者ではない。世界大恐慌における史上空前レベルの失業率と、そこから生まれた政治的不安と社会的不安に対処するのに、なんらかの手を打つべきだという点では、ケインズと同意見だ。しかしながら、政府の干渉がない資本主義経済は長期にわたる大規模な失業にさらされやすく、経済活動が縮小される、というケインズ理論の中心的要素については認めていない。
デイビッドが師事したシュンペーターの経済思想の注目点は2点。
①経済発展のためには、銀行家の信用創造が不可欠であること。
②それによって資本主義が発展し続ければ、行き着く先は社会主義であること。
シュンペーターの後年の主著である『資本主義・社会主義・民主主義』(原著1942年刊。邦訳は中山・東畑訳、東洋経済新報社)から引用する。
もし資本主義発展―「進歩」―が停止するかまったく自動的になるかすれば、産業ブルジョアジーの経済的基礎は、ついには、しばらくは余命を保つと思われる準地代の残存物や独占的な利益を除けば、日常的管理の仕事に対して支払われるごとき賃金だけに押しつめられてしまうだろう。資本主義的企業は、ほかならぬ自らの業績によって進歩を自動化せしめる傾きをもつから、それは自分自身を余計なものたらしめる―自らの成功の圧迫に耐えかねて粉砕される―傾向をもつとわれわれは結論する。(中略)
その過程においてブルジョア階級は、自己の所得を失うのみならず、それこそもっとも重要なことであるが、その機能を失うのをいかんともなしがたい。社会主義の真の先導者は、それを説法した知識人や扇動者ではなくて、ヴァンダービィルト、カーネギー、ロックフェラーの一族のごとき人々である。この結論は、あらゆる点においてマルクス主義的社会主義者のお気に召さないものであるかもしれない。いわんやいっそう通俗的な(マルクスならば俗流と呼んだにちがいない)種類の社会主義者にはなおさらであろう。
これによると、資本主義の自動的拡大が進めば、産業資本家はその発展の邪魔ものとなり、いずれ金融資本家と労働者から成る社会主義に行き着く。これがデイビッド・ロックフェラーが学んだシュンペーターの経済思想らしい。
『副島隆彦の学問道場』の吉田(Y2J)氏は次のように述べている。
ロックフェラー的な「資本主義の精神」は、なんと最期には社会主義と結びついてしまうのである。デイヴィッド・ロックフェラーのハーバード大での学位論文がフェビアン社会主義についてのものであったことは始めに述べた。彼にとっては、社会主義と資本主義はまったく矛盾していないのである。
ここで出てくる「フェビアン社会主義」とはイギリスの社会主義者の一派。プロレタリアートの革命を目指したマルクス主義を否定して、資本主義の矛盾を漸進的に改良していくことを主張した。一方で社会主義を自称しながら、その中心メンバーであるウェッブらはイギリスの帝国主義戦争を支持した。その理由は、広大な大英帝国が一つあったほうが、無数の小さな国があるより自分たちの改革が推進しやすいという発想らしい。「フェビアン帝国主義」とも呼ばれる。また、資本による独占を支持していた。その理由は、市場での競争は値切り合戦となり、その負担は労働者に押し付けられるから、独占の方が望ましいというものらしい。労働者階級自体の闘いよりもエリート主義を美化する傾向もあるとのことである。
さらに、ウェブらは優生主義者を自称し、「生き残るべき適者を決定するのが政府の主な義務である」と論じていた。ちなみに、アメリカの優生学運動は1907年のインディアナ州を始めとして30以上の州で断種法を成立させ、6万人以上の「障害者」や刑務所の囚人を強制断種したが、この運動もカーネギーやロックフェラーと結びついているらしい。
デイビッド・ロックフェラーがフェビアン社会主義についてどのような論文を書いたかは定かでないが、以上の話を総合して仮説を立ててみる。デイビッド・ロックフェラーの経済思想は、次のようなものではないか。
金貸しの信用創造によって市場(資本主義)が拡大していけば、社会主義⇒共産主義的な理想社会にいきつく。但し、その社会は(日本の左翼がイメージする)平等主義的なものではなく、優生思想に基づくものらしい。エリートたる金融資本家によって先導される共産主義的社会。ディビッド・ロックフェラーが作ろうとしている社会の理想像はそんなものではないだろうか。
大衆は社会の公益を理解できないアホと見なされ、アホな大衆を傍観者とすることではじめて民主主義が正しく機能されるとしたのが、アメリカの民主主義であり、その武器がマスコミによる世論操作だったことは『金融資本による世論操作の歴史①』で述べたが、そのこともデイビッドをはじめとするロックフェラー家の思想と無縁ではないように思う。
(本郷猛)
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コメント3件
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くまがわ直貴 | 2008.04.18 20:15
これまでは「アラブのアブラ」にばかり目が行っていたのですが、今後はロシアの石油開発にも注目していく必要がありそうですね。
特にアメリカ大統領選挙の結果如何(おそらく民主党政権?)では、これまでのブッシュ・チェイニーラインが転換せざるを得ませんから。