日本の原発導入の歴史2 ~アメリカ側の事情~
「日本の原発導入の歴史1」で日本の正力や中曽根の思惑が絡んだ原発導入の経緯を紹介していますが、今回はアメリカ側の事情について述べてみたいと思います。
まず、アメリカの原子力開発といえば、日本に落とした原爆 がその先兵となります。
核兵器開発 で世界に先行していた圧倒的な優位性も、ソ連やイギリスが追随してくる中で消え去り、米ソ冷戦構造のなかでアメリカが世界のリーダーシップを取るために原子力平和利用の方向転換を行い、原子力による商業用発電炉を開発するという経緯を辿っていきます。
原子炉の画像
一方で核兵器開発は継続され、水爆実験で日本人に被害がでます 😥 。そしてアメリカがとった行動は・・・
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では、アメリカが核兵器から原子力炉開発へ至る経緯を考えてみます。
①ソ連の原爆保有に伴う冷戦緊張
当初原爆はアメリカが先行して開発保有していたが、ソ連も原爆実験に成功し、被爆国となる事の恐れが浮上してきた。
ここに米ソの冷戦構造が成立した訳である。
1945年7月16日、アメリカはネバダで最初の原子核爆発実験に成功した。そして同年8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾を投下し、両市をほぼ壊滅させるとともに膨大な人命を殺傷した(即死者および5カ年間の死亡者は、広島で約24万人以上、長崎で約14万人以上に達した)。
その後しばらくの間、アメリカによる原爆の独占が続いたが、1949年9月にアメリカのトルーマン大統領がソ連の原爆実験の事実を公表し、翌日ソ連は原爆の保有を公表した。
②アメリカの原子力平和利用の方針転換
アメリカは核兵器の独占がままならない状況となり、政策の変更を打ち出す必要があった。その背景は他国からの突然の核攻撃に備えることと、他国より一歩リードする=優位性を維持することが目的だった。
そのために目先を変えて原子力の平和利用という面を打ち出し、世界のリーダーシップをとることが必要であった。これにより、原子力による商業用発電炉の開発が進んだのである。
米国初期の動力炉開発計画 から引用しました。
<概要>
米国は核兵器を独占して戦後世界に支配力をも持つつもりであったが、ソ連がその夢を砕き、間もなくイギリスも独自に原子力開発を進めようとしていた。アメリカはそこで政策の変更を打ち出す必要があった。それは原子力の平和利用の面で世界のリーダーシップをとることであった。
アイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力」政策を明かにし、アメリカは全力を挙げてこれに取り組むことを世界に公言した。それまで明確な動力炉開発計画をもたなかった原子力委員会は、開発が進んでいた潜水艦用の動力炉を、陸上の発電炉として転用することを決定、米国として最初の商業用発電炉として完成させた。
しかしこの段でアメリカは核兵器開発を取り止めた訳ではなく 🙁 、核保有の脅威を高める為に水爆開発を継続していきます。そこで以下のような事件が起こり、反米感情 👿 が高まっていくのです。
③マーシャル諸島の水爆実験で反米運動の高まり
一方核兵器の継続開発は進んでおり、核兵器の脅威を維持する為の水爆実験 を行なうが、マーシャル諸島で行なった際に「死の灰」により、日本人に犠牲者を出してしまうことになる 😥 。これにより世界、とくに日本での反米世論 👿 が高まりをみせる。
1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で操業中のマグロ延縄船第5福竜丸が、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験による「死の灰」をあび、乗組員の久保山愛吉が放射線障害で死亡した。この第5福竜丸事件は世界に衝撃を与え、国際的な原水爆禁止運動が高まるきっかけとなった。
そして翌1955年8月6日、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開かれた。
④反米世論の押さえ込みとしてCIAが正力を流用
ここでCIAが反米世論 👿 を押さえるべく、協力員でマスメディアを仕切る正力にこの沈静化を依頼し、正力は引き換えに原発開発協力と発電用動力炉の提供を要求する。
原発の歴史と現状 日本の切り札、原子力発電を操るアメリカ から引用しました。
これについての明快な説明が、早稲田大学教授の有馬哲夫氏によりなされた。有馬氏は近年公開されたアメリカ政府の機密報告書を詳細に調べた結果、正力はCIAから「ポダム」と呼ばれる協力員であり、一連の正力の活動はCIAとの連携である事実を明らかにした。
有馬氏の著書である『原発・正力・CIA』(新潮社、2008年)によると、戦後当時のアメリカは日本国民に広がっていた共産主義や反米感情を、メディア操作により和らげて親米的な世論を形成する活動を行っていた。CIAはアメリカに有利なニュースを提供する組織として、正力の率いる読売グループに注目し、正力に接触して重要な協力者として取り込んだという。
第5福竜丸事件により沸き上がった反米世論に悩んだCIAは、正力に沈静化を依頼した。正力は見返りとして日本の原子力開発への協力と、発電用動力炉の提供をCIAに要求した。
これを受けてアメリカは「原子力平和利用使節団」を派遣するとともに、「原子力平和利用博覧会」を日本で開催し、読売新聞と日本テレビは大キャンペーンによりこれらのイベントを盛り上げた。しかしアメリカは、発電用炉の日本への提供には渋った。
56年当時はWHのシッピングポート発電所の運開直前であり、アメリカも商業用軽水炉を積極的に海外に輸出する体制ではなかった。また有馬氏の研究では、正力の真の目的はアメリカからいち早く動力炉を導入することで商業発電を実現し、それを成果として総理の椅子を目指すことにあったという。
正力は自ら総理となり、かねてからの念願であった「マイクロ波通信網」のインフラを日本に設置することを狙っていたようであるが、CIAは正力の政治的な目論見を見抜いて、協力を拒否したという。
正力はアメリカの思惑通りマスメディアを使って反米世論を押さえにかかり、自らもアメリカに動力炉の導入を働きかけるが、アメリカはそれを渋ります。
結果、日本で最初の原子力発電炉はイギリスから導入されました。しかし、大蔵省の「商用発電炉の開発は民間管轄である」との判断で原研や政府のバックがなくなり、この直後にイギリス原発で事故があったことなどから、以降民間各電力会社は各自でアメリカ企業と契約を結び、軽水炉を導入していくことになります。
これらのことから考えると、アメリカの思惑の中心は、反米の防波堤にあります。
日本が共産主義へ傾くのはまずい。つまりソ連や中国と接近されると困るという冷戦構造下での戦略が背景にあります。元々アメリカには、日本への原子力技術の提供の意図はあまりありません。
しかし、1954年の第五福竜丸がアメリカのビキニ環礁水爆実験による被災という事件によって高まった反米世論の封じ込めに正力の力が必要だったのです。
この時導入された第1号機はアメリカ製のものではありませんでしたが、政府から民間事業として切り離されて以降、各企業は積極的にアメリカの企業に技術協力を乞い、結果日本の原発の大半はアメリカ製の流用となっていきます。
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コメント3件
坂東太郎 | 2012.03.25 15:48
日本の排他的経済水域を国民はもっと真剣に守らなければならない。
hermes handbags danmark | 2014.02.01 23:49
hermes china website 日本を守るのに右も左もない | メタンハイドレートの今
The Ginyu Force | 2009.06.16 21:36
メタンハイドレート分布の地図を見ると海洋活断層分布に似ているような…。
特に、四国沖の分布は、近々地震があるとされている南海トラフの真上にあります。
安全に採取する高い技術力が求められる気がします。