2014年05月24日

類グループ共同体理念研修会3~『原猿・新猿時代を通して期待応合充足と闘争共認を学ぶ②』~

前回の『原猿・新猿時代を通して期待応合充足と闘争共認を学ぶ①』 でのポイントは、

原猿は縄張り闘争には勝てないのに、死なずに辛うじて生きているが故に、本能ではどうにもならない未明課題に直面した!

ということでしたicon_biggrin.gif

今回はどのようにして、本能ではどうにもならない不全感を克服したのかm034.gif

原猿時代のその先、真猿時代ではどのような共認機能へ発達をしたのかicon_smile.gif

自身の体験と照らし合わせつつ、今回はその答えに迫りたいと思いますm001.gif

それではレポートを紹介していきますm027.gif

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m118.gifm118.gif以下共同体理念研修会のレポート内容ですm118.gifm118.gif

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…原猿は縄張り闘争には勝てないのに、死なずに辛うじて生きているが故に、本能ではどうにもならない(従って本能を超え出るしかない)という未明課題に直面したのである。

それを解明したのが『実現論』「前史ニ.サル時代の同類闘争と共認機能」である。リンク

彼らは恒常的に飢えの苦痛に苛まれ、いつ襲ってくるか分からない敵=首雄の攻撃に怯えながら暮らしていたが、それらの極度な不全感が生命の根源を成す適応欠乏を強く刺激し、生起させた。加えて、恒常的に強力な危機逃避回路(アドレナリンetc.の情報伝達物質)が作動する事によって(親和系のオキシトシンetc.による性封鎖力ともあいまって)性闘争が抑止され、それによって、モグラ以来性闘争物質によって封鎖されてきた追従本能が解除された。

かくして、不全感の塊であった境界空域の弱オスたちは、適応欠乏に導かれて強く追従本能に収束する。しかし、互いに追従し合っても、誰も(縄張りの確保あるいは不全感の解消の)突破口を示すことは出来ない。そこで、わずかに可能性が開かれた(=不全感を和らげることのできる)親和本能を更に強化し、追従回路(アドレナリンetc.)に親和回路(オキシトシンetc.)が相乗収束した依存本能に収束してゆく。つまり、「縄張りを持たない敗者たちが互いに身を寄せ合う」。

不全課題を抱えて依存収束した弱オスたちは、依存し合う中から、「どうする?」⇒「どうにかならないか?」と可能性を相手に求め、互いに相手に期待収束してゆく。こうして、依存収束⇒期待収束し、互いに相手を注視し続ける内に、遂に相手も同じく依存し期待している事を発見し(探り当て)、互いに相手の課題=期待を自己の課題=期待と同一視して理解し合うに至った。

自分以外は全て敵で、かつ怯え切っていた原猿弱者にとって、「相手も同じく自分に依存し、期待しているんだ」という事を共認し合えた意味は大きく、双方に深い安心感を与え、互いの不全感をかなり和らげることが出来た。この様に、不全感を揚棄する為に、相手の課題=期待を自己のそれと重ね合わせ同一視することによって充足を得る回路こそ、(快感物質β-エンドルフィンを情報伝達物質とする)共感回路の原点である。

この安心感+が、相手+⇒仲間+共感を形成し、原猿たちは不全感の更なる揚棄を求めて、より強い充足感を与える(=得る)ことのできる親和行為(スキンシップなど)に収束していく。そこでは、相手の期待に応えることが、自己の期待を充足してもらうことと重ね合わされ同一視されている。つまり、相手の期待に応え充足を与えることは相手に期待し充足を得ることと表裏一体である。従って、相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる。共感の真髄は、そこにある。共感の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。
こうして、不全感に苛まれ本能が混濁したサルたちは、その唯一の開かれた可能性=共感充足へと収束することによって、はじめて意識を統合することができた。これが、サル・人類の意識の、第一の統合様式たる共感統合の原基構造である。

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相手の期待に応えること自体が自身の充足になるicon_biggrin.gif

私自身学生時代の日々の生活や部活動で何回も経験したことではありますが、いざこうして言葉化してみると、自分の中で曖昧だった認識が具象化した気がしますm001.gif 皆さんはいかがでしょうかm033.gif

またこのような感覚が、遙か昔の原猿時代にあったとは驚きですねm030.gif

さて続いて新猿時代にいってみましょうm024.gif

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『実現論』文中にある「相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる」。これを「応合」と呼ぶ。重要なことは、この期待応合の充足が猿・人類の最基底の充足源(活力源)となっていることである。
例えば、期待応合⇒親和行為の原型は猿のスキンシップ(毛づくろい)だが、人類では日常のおしゃべりも会話のキャッチボールによる期待応合の充足であり、大事な充足源(活力源)になっている。「仕事とは相手も自分も充足すること」という新人の回答の本質も、この期待応合の充足である。

もちろん、期待応合充足によって不全感を和らげただけでは、縄張りは確保できない。しかし、原猿は3000万年という時間をかけて、唯一の開かれた可能性である親和共認へと収束し、遂に3000万年前、仲間共認を紐帯とする闘争集団を形成した。この闘争共認に基く同類闘争によってはじめて縄張りを確保したのが真猿である。
この真猿集団は、縄張り確保という課題共認⇒役割共認⇒規範共認⇒評価共認によって統合されているが、それは人類集団も全く同じである。

要約すれば、樹上に進出したサルは、縄張り侵犯を激化させ、飢えと怯えの不全感を解消すべく、相手との期待応合回路=共認充足機能を進化させていった。こうして猿は、本能を超えた共認によって、はじめて自らの意識を統合することができた。猿が形成したこの全く新たな共認機能について忘れてならないのは、不全感を解消する為の親和共認・仲間共認こそが、全ての共認の原点であり、その母胎の上に闘争共認(課題共認⇒役割共認)や規範共認が上部共認として形成されているということである。

同時に注目すべきは、課題共認や規範共認は本能の代替機能でもあるが、本能にはない親和共認や同類闘争共認が象徴している様に、共認機能は本能の単なる代替機能を超えた機能である。むしろサルが形成した共認機能は、本能を進化させるDNAの組み換えより遥かに容易に、かつ多様に、(本能の代替物でもある)共認内容を組み換えることが出来る機能であり、それまでのDNA進化という生物史を覆す、全く新たな進化機能の実現だったのである。
実際、猿は知能を著しく発達させたが、知能とは共認機能そのものであり、その土台となっているのが期待応合の充足である。
知能や能力と云えば、つい観念能力をイメージしがちであるが、猿・人類の能力の中核を成すのは期待応合充足を土台とする共認能力であり、観念能力(言語能力)を規定しているのもその真髄をなす共認力であることを決して忘れてはならない。そのことは、相手の期待を深くキャッチしないことには仕事にならないという一事を以ても理解できることである。

では、人類は真猿とどこが違うのか?どのようにして進化してきたのか?
それを解明したのが『実現論』「前史ヘ.人類:極限時代の観念機能」である。リンク

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いかがでしたでしょうかicon_lol.gif

今回の生物史では、原猿時代からは相手の期待に応えること自体が自己の充足となるという期対応合充足の共認機能について学びましたm033.gifm021.gif

更に、新猿時代からは期待応合充足に基づく親和共認、そこから仲間共認を紐帯とした闘争集団を形成について学びましたm030.gifm033.gif

私自身、日々の考えのベースには規範意識のみがありました。しかしながら、仕事をする上で、それだけでは絶対に成り立ちません。肯定視や仲間共認が必要不可欠なのです。類グループに入って皆と接する中で、これらの事実が私の中で定着し、認識を転換させてくれましたm022.gif

皆さんも自信の体験と照らし合わせて、これからも少しずつ認識を深めていって頂ければと思いますm034.gif

次回は、生物史の原始人類から『極限的な自然圧力(生存圧力)⇒期待応合充足から観念機能(追求充足)』を学んでいきたいと思います!!

次回も宜しくお願いします♪

List    投稿者 nihon | 2014-05-24 | Posted in 02.アメリカに食い尽される日本No Comments » 

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