2014年06月01日

お上は国民の健康を守ってくれない(危険な医と食)~精神医学の診断基準は科学的証明ではなく、多数決で決められる

「精神医学には客観的な検査方法がない」では、精神科の診断には、客観的な検査方法が無いことを紹介した。

その結果として、診断基準にある病名と、その病名がどのような“症状”を指すのかについては、アメリカ精神医学会(APA : American Psychiatric Association)の委員が、挙手による多数決で決めているらしい。

「日本語では知らされない精神医学の嘘」(戸崎貴裕©2011-2014 Takahiro Tosaki. All Rights Reserved.)を紹介する。

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【 詐欺のパターン 】
精神医学、精神医療における、最新技術や科学的発見に便乗した詐欺には、あるパターンがあります。「うつ病患者を検査したところ〇〇である傾向が見られた。」、「統合失調症患者を検査したところ〇〇である傾向が見られた。」といったパターン、つまり、うつ病や統合失調症といった“診断”が、客観的な証明の無いまま、いつのまにか正しい前提となっているパターンです。

歴史上、ケミカル・インバランス理論においてもこのパターンが見られましたが、冒頭でお話ししたfMRI(ファンクショナルMRI)等の最新技術を利用した宣伝にも、このパターンが利用されています。そして、このパターンが精神科の“診断”を正当化できないこと、また、このようなパターンの調査結果が精神科における確定診断方法とならないことは、精神科診断と、別の医療領域における診断とを比較することでわかりやすくなります。ここでは、感染症であるインフルエンザの診断を例にして考えてみましょう。

はじめに、インフルエンザ感染の確定診断に必要かつ十分な条件は、インフルエンザウイルスが体内に存在することです。鼻腔内や口腔内などからインフルエンザウイルスが分離、もしくは検出されてはじめて、インフルエンザの確定診断となります。そうすると、インフルエンザの場合には、ウイルスの存在という真偽判断、つまり客観的検査方法を用いた証明によって確定診断が行われます。

一方で、精神科診断では、つまるところ、考え方や行動が大多数と似ているかどうか、考え方や行動が本人や周囲にとって不都合かどうか、という非常に曖昧な価値判断や都合の良し悪しで、病気かどうか、治療の対象となるかどうかが決まります。真偽判断が証明によって行われる一方で、価値判断や都合の良し悪しは多数決で行うことができますから、他の医学領域と決定的に異なり、精神医学に基づく診断は多数決で行える、つまり精神科診断は科学ではなく、政治や宗教と同じであるということになります。これは後に見ますが、実際に、DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)における診断基準は、生物学的、化学的証明によってではなく、多数決で決められています。

次に、症状の話です。インフルエンザウイルスに感染していれば、発熱、倦怠感、筋肉痛、関節痛、悪寒、発汗、鼻づまり等の症状がある、という前提が正しいとしましょう。しかし、これらの症状の原因は当然、インフルエンザウイルスだけではありません。発熱だけを取ってみても、他のウイルスが原因かもしれませんし、ウイルスではない細菌などによる感染症かもしれません。膠原病(こうげんびょう)や悪性腫瘍、もしかするとアレルギーや薬剤による発熱かもしれません。そうすると、症状が同じだからといって必ずしもインフルエンザに感染しているとは確定できないということになり、よって、確定診断にはウイルス検査が必要となるわけです。

これは、論理学における逆の問題です。論理学における逆が、「インフルエンザに感染していれば高熱が出る。」に対する「高熱が出ていればインフルエンザに感染している。」になり、これが必ずしも正しくないことはお分かりになると思います。原因は別にあるかもしれません。

そして、インフルエンザの例で逆の正しくなる場合は唯一、「インフルエンザに感染していればインフルエンザウイルスが分離・検出できる。」であり、この「インフルエンザウイルスが分離・検出できる」という条件が、確定診断の必要十分条件になります(論理学における同値。)。つまり、必要十分条件の確立がなければ、そもそも確定診断は存在しえないことになります。

そして、この論理を理解しようとしない医師は、医師として機能できません。検査もせずに症状だけでインフルエンザと断定し、やみくもにタミフル等の薬品を処方する行為は医療過誤でしょう。インフルエンザ薬を処方する前に医師がすべきことは、何故インフルエンザと断定できるのかを、生物学的、化学的に証明することです。ちなみに、2009年に新型インフルエンザが流行した当初、この確定診断の証明責任を国が負い、国立感染症研究所による確定診断を行うことで対処しました。そうすると、仮に症状がインフルエンザの症状と似ていたとしても、症状のみからインフルエンザであるとの確定診断を下したりむやみに薬品を処方したりできないことになります。

一方で、精神医学、精神医療においては、DSMDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)やICD(International Classification of Diseases)で列挙された、日常言語による評価としての“症状“だけから、確定診断、薬品の処方、人身の自由の剥奪、強制的な投薬、法的な責任能力の否定が可能です。仮病かどうかも、いいがかりかどうかも、近代医学の知識を悪用し、薬物や超音波等で人為的に演出可能な現象かどうかも、報告や会話のみで成立可能な精神科の診断では判断不能です。

さて、インフルエンザにおける確定診断と症状との関係を頭において、先ほどの、「うつ病患者を検査したところ〇〇である傾向が見られた。」、「統合失調症患者を検査したところ〇〇である傾向が見られた。」というパターンを見てみるとどうなるでしょうか。

まず、そもそもの前提である“うつ病”や“統合失調症”の“診断”が正しいかどうかを証明する客観的検査方法は精神医学において定義されていませんから、前提の真偽はいつも不明です。真偽の不明な前提に対する必要十分条件は、確定できません。いつもあやふやです。よって、確定診断の方法はいつもあやふやです。もっともらしい言葉の曲芸でごまかすしかありません。

次に、最新技術によって観察された調査結果と“診断”との因果関係も不明です。そもそも、前提がはっきりしていないのですから、因果関係を検証することすらできません。仮に、調査結果に表れた傾向などがもっともらしいデータであったにしても、半世紀にわたって嘘をつき通しているケミカル・インバランス理論の場合や、後に見る、薬品の認可手続きにおける臨床試験データのように、都合の悪いデータは無かったことにされているのですから。

よって、「うつ病患者を検査したところ〇〇である傾向が見られた。」というパターンは、真偽の不明な前提(診断)と、たまたま確認されただけかもしれない現象、もしくは原因が別にある現象の組み合わせに過ぎず、必要十分条件を特定する以前のまやかしであり、客観的な確定診断の方法にはなり得ない、ということになります。ごまかしたい前提は、いつでも真偽不明なのです。

【 診断基準は多数決で決められている 】
生物学的、化学的な検査方法による診断基準の策定はできません。診断基準にある病名と、その病名がどのような“症状”を指すのかについては、アメリカ精神医学会(APA : American Psychiatric Association)の委員が、挙手による多数決で決めています。他の医学領域における診断が真偽判断、つまり証明を必要とする判断であるのに対し、診断そのものが多数決で決めることの可能な価値判断や都合の良し悪しである精神医学ならではのシステムです。精神医学のいう科学は、投票による科学(“science-by-vote”)なのです。

「(DSM策定の)知的努力の低さにはショックを受けた。診断基準が、まるでレストランを決めるかのようなレベルで多数決によって決められている。」

「統合失調症、躁うつ病、その他の精神医学的レッテルの目的はただひとつ。精神医学を、医療保健、政府資金、医薬品販売のドル箱にすることである。」

「病名があれば診療報酬が請求できる。」、「病名があれば薬品が売れる。」、「病名があれば法的根拠になる。」ということです。(出典9Citizens Commission on Human Rights InternationalWebサイト)。こうして決まった診断基準が世界中に輸出されるのです。

アメリカ医学界で華々しい経歴を持つ一方でアメリカ医療システム批判の第一人者であるMarcia Angell医学博士は、その著書「The Truth About the Drug Companies: How They Deceive Us and What to Do About It」(日本語にすると、「製薬企業の真実:騙しの手口と対処法」といったところでしょうか。)のなかで、Eli Lilly(アメリカインディアナ州インディアナポリスに本社を置くグローバル製薬企業。)が、それまでうつ病用の薬として販売していたProzacという薬の色を変えて価格を上げただけのSarafemという薬を、女性が月経前に不機嫌になる “症状”用の薬として販売し、この医薬品から“月経前不機嫌性障害(PMDD:Premenstrual Dysphoric Disorder)”という病名が生まれた例など、医薬品ありきで生まれた“障害”の実例を挙げ、こう述べています(p86)。

「昔々、製薬企業は病の治療用に医薬品の売込みを行っていました。現在、これがよく逆転します。製薬企業は、医薬品に合わせた病の売込みを行うのです。」

まとめると、

精神医学では、「うつ病」「統合失調症」という診断が正しいかどうかを証明する客観的な検査方法が存在しない。従って、極めて恣意的なゴマカシ診断がまかり通っている。そして、精神科における診断基準は生物学的・化学的証明ではなく、アメリカ精神医学会の委員による多数決によって決められる。そして、「うつ病」「統合失調症」といったレッテルを好き勝手に貼ることで、病名があれば診療報酬を請求できて、薬が売れる。こうして、精神医学は医療保健、政府資金、医薬品販売のドル箱になっているのである。最後の「製薬企業は、医薬品に合わせた病の売込みを行う」という言葉は象徴的である。少なくとも精神医学おいては、薬は病気を治すためにあるのではない。薬を売るために病気が作り出されるのである。

 

List    投稿者 nihon | 2014-06-01 | Posted in 02.アメリカに食い尽される日本No Comments » 

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