2012年11月10日

米国の圧力と戦後日本史7~戦争終結後のアメリカの対日戦略。米国によるエリート支配は何故続いているのか~

前回の記事(http://web.trend-review.net/blog/2012/10/002407.html)でも見たように、サンフランシスコ講和条約日米安保条約を結ぶことで、日本は米国に対して不利な立場を認めることとなった。そして、戦後60年経った今でも、その状況は大きく変わっておらず、またそのことに対して強く反発することも出来ていない。 
今回の記事では、占領下の米国による支配の実態を見ていくことで、占領後も米国による(実質的な)支配が続いたのは何故なのか、考えていく。
※以下、文章引用元は全て「戦後史の正体」(孫崎享)

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サンフランシスコ講和条約日米安保条約を結ぶことで、日本は米国に対して不利な立場を認めることとなった。そして、戦後60年経った今でも、その状況は大きく変わっておらず、またそのことに対して強く反発することも出来ていない。
 
今回の記事では、占領下の米国による支配の実態を見ていくことで、占領後も米国による(実質的な)支配が続いたのは何故なのか、考えていく。
 
※以下、文章引用元は全て「戦後史の正体」(孫崎享)
 
 
□占領下日本で間接統治で根付いたのはなぜか 
 
占領下においては、日本の支配組織を温存して、GHQがそれに対して支持を出す間接統治の体制がとられた。GHQが行った間接統治と民主化は日本にとっては寛大な統治だったとしている学者がいる。飯倉章氏は、『日本と米国-パートナーシップの五〇年』に収録されている論文においてその理由を以下のように述べている。

・ドイツは米軍の直接統治だったのに対して日本は間接統治であった。
・民主的改革と非軍事化がなされた。

しかし、米国は後のイラク戦争後のマリキ政権やベトナム戦争中のゴ・ディン・ジェム政権等を見ても同様に間接統治を行っているように、間接統治は世界各国の植民地政策でも多用される一般的な手段である。米国は自分たちの目的を最も効率よく達成するための方法として間接統治を選択しているのである。したがって、米国の寛大な配慮によって日本が間接統治されたのではない。
 
では、なぜドイツにおいては直接統治、日本においては間接統治されたのだろうか。
 
日本においては、http://web.trend-review.net/blog/2012/10/002401.htmlで見たように、米国による検察支配とマスコミ支配が早期に実現した。このことが、日本の中でアメリカの意志に反する者を排除することを可能にし、容易に民主化と間接統治が根付いていった。
一方のドイツにおいては、終戦後米・英・仏とソ連の間で激しい争いが行われており、直接統治をせざるを得ない状況にあったのである。
 
また、間接統治と民主化は米国による寛大な措置であるという学者の主張も、アメリカによる学者の観念支配によるところが大きいのではないだろうか。
 
 
□資金援助と駐留費
 
日本は、援助資金として「ガリロア・エロア資金」として18億ドルを米国から受け取った。
 
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この資金は食糧・肥料・石油・医薬品などといった生活物資の購入に充てられた。これにより日本国民が飢えをしのぐことが出来たことは間違いないだろう。
元駐米大使の大河原良雄氏は『日本と米国-パートナーシップの50年』の中で以下のように書いている。
 

「戦争直後の異常な状態で、我が国は人身の荒廃にさらされ、経済は疲弊の極にあった。飢餓線上にあった日本人の生活を救い、疾病の蔓延を防止してくれたのは、米国のガリロア・エロア資金であり、そして善意にあふれた米国の民間拠金による救済物資であった。」

 
しかし、一方で日本は米軍駐留経費として少なく見積もっても約50億ドルは負担している。この経費の中にはゴルフ場代や特別列車の運転料金、花代なども含まれていたことを鑑みると、この出費が無ければ、日本政府にも食糧を調達する資金力はあったと言えるだろう。
 
また、日本における重要な人物がこのお金でアメリカに留学している。この人物たちが日米の関係強化に向けて動いたことは言うまでも無い
 
つまり、米国は見せかけの資金援助を行うことで、一般市民もエリート層もアメリカに対する敵意を喪失させることに成功したのである。
 
 
☆間接統治と民主化、ガリロア・エロア資金。これらは一見日本を安定化するため寛大な援助に見え、エリート層も一般市民もアメリカの好意と受け取っていたが、米国は日本を自らの都合の良い国にしようとていたに過ぎない。米国はその占領時にその基盤をつくることに成功したと言える。 
 
☆また米国は、自らが行っていた支援の裏で、それを超える額の駐留費を受け取っていた。
この背景には、米国はマスコミを使って駐留費よりも支援金を日本国民に強く印象付けたのではないだろうか。
 
   
   
□日本人による日本人の検閲 
  
占領中においては、20万人以上が公職追放された。占領軍に対し意義を唱えることはすなわち公職追放されることを意味したのである。一方で、占領軍に積極的に協力するという道もあった。現在ではあまり知られていない、「検閲」への参加である。
 
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占領中、日本の新聞や雑誌、書籍などを事前に検閲し、印刷を中止させたり、問題のある部分を白紙のまま印刷させたりしていた。個人の手紙までもが、年間何千万通という規模で開封され、日本人の動きを把握→コントロールしていたのだ。
この大規模な検閲のことを岡崎久彦氏は以下のように既述している。

「占領軍の検閲は大作業でした。そのため高度な教育のある日本人五千名を雇用しました。給与は当時、どんな日本人の金持ちでも預金は封鎖され、月に五百円しか出せなかったのに、九百円ないし千二百円の高給が支払われました。その経費はすべて終戦処理費だったのです。」

 
検閲官になった人たちは大金を手にし、またその後、官界やジャーナリズム界、学界、経済界などでそれなりのポストを手にした。
米国は、方針に逆らうものを追放し、すりよってくるものに対しては大きな経済的な利益を与えたのである

□経済界の支配 
 占領政策の大きな柱に財閥解体がある。一般的には、米国など連合国側が、財閥は「日本軍国主義を制度的に支援した」との認識に基づき、これを解体する事で軍国主義を根本的に壊滅させることを目的として財閥解体を行ったと言われている。
しかし実際には、米国は財閥解体に際し、もう一つの目的を持っていた。それは旧財閥を基盤と戦前の経済人の力を弱めて、米国に抵抗することへの関心が薄い人々を日本経済の中心に据えることである。
 その好例が1946年に米国の青年会議所などをモデルとしてつくられた「経済同友会」である。
 
 

[経済同友会のメンバー] 
○櫻田 武(日清紡績社長、日経連会長)
○水野 成夫(経済同友会幹事、産経新聞社長、フジテレビ初代社長)
○永野 重雄(創立直後の経団連の運営委員、日経連常任理事)
○小林 中(あたる)(日本開発銀行元総裁、アラビア石油元社長)
○鹿内 信隆(日経連・初代専務理事、産経新聞社社長・フジテレビ会長)
○藤井 丙午(新日鉄副社長)
○堀田 庄三(住友銀行頭取)
○諸井 寛一(秩父セメント社長、秩父鉄道会長)
○正田 英三郎(日清製粉グループ本社社長。美智子皇后陛下の実父)
○麻生 太賀吉(麻生セメント会長。妻は吉田茂の三女。長男麻生太郎は首相)
○中山 素平(日本工業銀行頭取、経済同友会代表幹事)
○今里 広記(日本精工社長。財界官房長官)

 
同会の設立時のメンバーがこの後20年、30年と日本の経済界の中心となり、政界にも大きな影響力を持つようになる。戦前の経済人の多くが追放される一方で、彼らの多くは親米路線を歩んでいった。
このような親米の経済人達が日本の高度経済成長期を形作って行ったのである。
 
 
□学界の従米化と教育支配
 
日本のアメリカ研究の学者は親米にならざるを得なかった。その理由は、学界の設立の背景自体が米国への協力を目的としており、また、学者はその経済的基盤を米国に依存していたからである。

○アメリカ学界は理解と支援をマッカーサーに依頼した。
○アメリカ学界の学会誌「アメリカ研究」は、米国に対して批判的ないかなる言葉も総司令部から許されなかった。
○東京大学におけるアメリカ研究セミナーは1950年から1956年まで、毎年日本に招聘される5名に一流のアメリカ人教授による指導のもとに行われることになった。7年間セミナーを通じて、総勢593名にのぼる日本のアメリカ専門家が参加した。
○7年におよぶ全ての期間を通じて、ロックフェラー財団は東京大学に20万ドルの助成金を給付した。東京大学が出した額は毎年1000ドルだった。
○若手研究者達は海外留学を目指していた。留学に必要な費用は日本のどこにも見当たらなかった。彼らは米国の財団の寛大さに依存することになった。日本の米国研究者の外部資金への依存心理と依存度はあまりにも高く、彼らは米国の資金を求め続けた。
(松田武『戦後日本における米国のソフトパワー』より引用)

 
つまり、資金力の無い日本のアメリカ学者は親米化することで自らの研究資金を手にしたのである。日本の学者は米国の資金力に依存度を強めていき、日本の対アメリカ政策はより親米化していった。
 
 
戦後の貧しい経済状況のなか、米国は日本に対し預金封鎖をする一方で、アメリカに擦り寄るものに対しては経済的な優位性を与えた。その結果、日本の経済界や学界のエリート層たちはアメリカの豊富な経済力に依存するようになり、「米国に物言う」エリート層はいなくなっていった。
 
 
☆このエリート洗脳を可能にしたのが、検察による権力支配、マスコミによる観念支配とアメリカによる資金援助である。言い換えれば、日本においては占領期の早い段階で、親米派のエリートを再生産していくシステムが出来上がっており、その構造は今も変わっていないのである。

List    投稿者 yoko3 | 2012-11-10 | Posted in 02.アメリカに食い尽される日本No Comments » 

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