2014年05月29日

【情報戦】 14. 何故、イギリスは諜報大国となったのか?

 前回は、何故、黒い貴族がイギリスに渡る必要があったのか?(金貸しの立場にたって分析)を行った。
そこでは、『国家(王)が大航海に関して、直接的なプレイヤーではなかった。ゆえに王族自体に力はなく、30年戦争(1618~1648)を期に国家権力を弱めた「ポルトガル・スペイン」は捨てられた。
ハプスブルグと敵対関係の「オランダ」と、支配下に無い「イギリス」へシフトする。また、大西洋に出て行くには、地中海奥深くのベネチアよりも、大航海時代(海洋貿易)の拠点としてイギリスは適していた。』という金貸しの立場に立っての理由を述べた。
 
更には、リンク先によれば、黒い貴族は、『西暦480年頃に西ローマ帝国が滅びた後、ローマ帝国の一部の貴族がヴェネチアに避難した際に、特権を享受していた一部のユダヤ人もヴェネチアへ非難し、ヨーロッパの貴族階級に同化していった。その中で現地人より色が浅黒かったので「ヴェネチアの黒い貴族」と呼ばれるようになる。彼らはキリスト教国家とイスラム教国家の間の地中海貿易を独占していた。そして黒い貴族は地中海貿易から大西洋貿易に移るためにヴェネチアからオランダへ、さらにイギリスへと移動していき、世界初の株式会社であるイギリス東インド会社を設立した。』 
  
広い欧州諸国の中で、一番最初に諜報機関を設立したのは、何故イギリスだったのか?
元々ドイツを基盤としていたロスチャイルド家だが、次第にその拠点をイギリスに置くことになる。それは何故だったのだろうか?
イギリスに諜報戦略が、必要であった歴史的な背景とはどのようなものであったのか?
 
今回のシリーズでは、
何故、イギリスは黒い貴族を受け入れる必要があったのか?
国家の立場からの分析を行う。
 
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欧州諸国で、当時強国であったドイツ、フランスの諜報機関は、第二次世界大戦後に成立している。対して、新興国のイギリスは、どの国よりも先んじて諜報機関を【1909年設立】に、設立している。

当時のイギリス国家は、常に内戦が絶えず国家も国王も不安定な状況下にあった訳だが、ウィンザー朝は、【1917年】に始まる現在のイギリスの王朝であるが、元々はドイツが出自であり、歴代の英国国王との繋がりも薄い。それは、黒い貴族が、英国女王を表看板としたからであり、ウェルフ家が現英国王室ウィンザー家となった。

イギリスは、海洋国家であるため海軍主導である。対してドイツやフランスなどの帝国は、陸軍を主体とした守りの体制をとるため大規模な常備軍を置く必要があった。

当時のイギリスは、スペイン、ポルトガル、オランダ、フランスなどの一流国家に比べ、貧しい二流国家に過ぎなかったが、女王エリザベス1世と海賊ががっちりスクラムを組んで一流国家にのし上がった。スペインの貿易船略奪で富み、スパイス・コーヒー・紅茶・黒人奴隷貿易で栄えた。

『スペイン無敵艦隊の敗北』

女王と海賊との関係

女王との間には、何人もの大物海賊が登場するが、圧倒的な存在感を示しているのが、世界周航、スペイン無敵艦隊撃破、大がかりな略奪で歴史に名を残したフランシス・ドレーク。

当時イギリスは新興国で、海の王者スペインに対しては国を上げて対抗意識をもやしており、スペイン船やスペインの村を襲って蓄えた大量の財宝を持ってイギリスに帰還した彼は、エリザベス女王におおいに気にいられ女王専属の海賊となった。

フランシス・ドレーク

イギリスの国家予算の実に3年分に相当する「海賊マネー」をイギリスに持ち帰り、大口スポンサーのエリザベス女王に莫大な富をもたらしたドレークは、女王からナイト(勲爵士)の称号を授与され、国民の気持ちを一つにまとめ上げる「国家の英雄」となった。

女王は、「私の海賊」と言ってドレイクをねぎらった。

ドレイクがスペインから奪った金銀は後にかの有名な「東インド会社」の資金に繋がって行く事になる。つまり、海賊だったドレイクがイギリスの植民地政策と世界支配の根幹を作ったと言っても過言ではない。

(参考サイト:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=245814

16世紀から17世紀のイギリス(エリザベス1世時代)は、2流国であって、王室は借金財政であった。

そこで、エリザベス女王が取った資金獲得手法は、
第一のそして最大の資金源は、海賊に盗ませた略奪品を転売する事。
第二の資金源は、大物の海賊とタイアップした黒人奴隷の密輸。
第三の資金源は、貿易会社(東インド会社等)の設立と海外貿易。

「私の海賊」と言ってドレイクをねぎらった。

 これらからも分かるように、イギリス国家は、元を辿れば、海賊であり緯度が高いことから土地が貧困であり、守るというよりも他国を攻める事に主軸が置かれていた。また、エリザベス1世の統治中、大西洋を渡る無敵艦隊のスペイン船とスペインの港湾を襲撃し、莫大な富を王室へもたらしたのも、諜報活動によってもたらされた勝利である。

欧州の南側・航海ルートを牛耳っていた強大なスペインとの全面戦争に於いて、エリザベス女王は、あらゆるチャンスを利用して敵国スペインの国力を弱体化させることに深謀遠慮を巡らし、全力を注ぐ。この戦略に沿って、ドレークはスペイン植民地やヨーロッパ各地にスパイを配置し、敵の最新情報入手に努めたのである。

①人事に関する機密情報、②敵軍が一枚岩でないとの内部情報、③敵軍の作戦情報

これらを手に入れることによって、敵国の弱点を見抜いた。

(参考サイト:http://enokidoblog.net/leader2/2011/11/6770

 以上から分かることは、

イギリスは大陸国家ではない。他の国に比べ規模の大きな常備軍を持つことなく、その都度有利な条件での合従連衡によって、自国の政策の実現を、戦場においても、交渉の場においても図る必要があった。

その際に、最も重要となるのは、力ではなく情報(諜報)が重視され、それこそが国策を実現する最高の武器でもあった。

比較的小規模な国であり、海洋国家であるイギリスが、経済立国し、他国に有利に立つためには、金貸しである「ロスチャイルドから情報をへて、軍事的戦略を立てる事が最も重要だったから」だった。その諜報活動に手慣れた海賊もその一つの手段として新たに取り入れられたのであろう。

ドイツ系のロスチャイルドがイギリスで諜報活動を主導したのも、大陸国家である鉄壁の帝国よりも、国家情勢が不安定であり、新興国であったイギリス国家と利益が共有された事に、イギリスで諜報機関が早期に設立した理由がある。

またロスチャイルドがイギリスを拠点としたのは、大航海時代の世界海運を主導したスペインの利権は先行するハプスブルグ家に独占されていたからであろう。

■まとめ

時代は、国富増大を目指して行われた重商主義に欧州諸国が突き進む時代の待った只中。

金貸し勢力の争いの中で、ロスチャイルドは、お互いの利益が一致する国家(=英:エリザベス女王)に金を出させて、諜報機関(海賊国家)を作るという戦略に打って出た。

国家の後ろ盾を基に、ロスチャイルドは諜報機関を設立し、国家そのものを操ることとなった。

List    投稿者 mamoru | 2014-05-29 | Posted in 02.アメリカに食い尽される日本No Comments » 

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