2008年10月30日

財政投融資のはじまり ~占領下アメリカひも付き資金からの脱却

最近、友人と郵政の歴史を調べていて行き当たったのが、財政投融資(財投)。
その財政投融資(財投)の歴史は、資金運用部資金法(1951年3月31日制定http://hourei.hounavi.jp/seitei/hou/S26/S26HO100.php)に始まります。
この年はサンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本国民が主権を回復 していく転換の年でもあります。
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(戦後の風景・・・http://www.city.kochi.kochi.jp/joho/hp/index.htmから引用)
第二次大戦後の占領中は、アメリカからの援助の「見返り資金」(後述)が戦後の復興に使われましたが、資金運用部資金法が制定された51年当時は、すでに米軍による占領が終幕(52年4月)に近づいているとき。
対日講和条約の制定(51年9月)を目前にして、国内にある乏しい資金をなるべく集中し、かつ効率的に分配する必要があったようです。機能的には国営銀行であり、原資提供母体は、郵便貯金、厚生年金、国民年金、簡易保険、輸出入開発銀行やNTTや銀行等でした。(知的社会研究所http://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-1.3.W.htmlより要約)
その後、(税金等に並ぶ)「二つ目の財布」として日本国の財政を支えることになる財投ですが、その出発点は、アメリカの戦後復興資金に代わる形でスタートしたようです。
では、当時のアメリカによる対日戦後復興資金とはどのようなものだったのでしょうか?
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それは「ガリオア資金」と「エロア資金」として提供されました。
●ガリオア資金:
Government Appropriation for Relief in Occupied Area 占領地域救済政府資金
●エロア資金:
Economic Rehabilitation in Occupied Area Fund 占領地域経済復興資金
これらの資金は同時期にアメリカが西欧向けに実施した「マーシャル・プラン」にあたるもので、もちろんアメリカの意図は日本を反共の防波堤とすることにありました。以下その詳細です。
>1946年よりガリオア資金、1949年からはエロア資金の2つを通じて約18億ドルが日本に提供された。その内、約13億ドルは無償資金援助であった。マーシャル・プランにより、最も多額の援助を受けたイギリスでも約26億ドル(無償援助は内、23億ドル)であったことを考えると、かなり大きな額の援助と言える。
ガリオア資金はアメリカが軍事予算から支出した援助資金であり、主に米を始めとする食料、医療品、生活必需品などの緊急輸入に使われた。アメリカ政府は、同時に、輸入物資の売却代金を「見返り資金」として積み立てるよう日本政府に要求した。ガリオア資金援助は1948年には3億9200万ドルであった予算が1949年には4億2900万ドルに増額された。この結果、当時社会的な問題であった配給の遅配・欠配が著しく改善された。
エロア資金では、綿花、羊毛などの原料購入に充てられ、その売却金も同じく見返り金として積み立てられた。このようにして積み立てたれた見返り資金は、主に通貨安定、国鉄、電気通信、電力、海運、石炭などのインフラを中心とする経済復興用の低利融資の原資として使用された。<(http://www.edu.nagasaki-u.ac.jp/private/tanigawa/seminar/ronshu1/m-74-81.pdf
★ここで気になるのは、「見返り資金」。
これは、アメリカの要求により、対日援助と同額の円資金を特別に積み立て、通貨安定と経済再建のために運用された財政資金であり、1949年にその根拠法である「米国対日援助見返資金特別会計法」が制定され、53年まで特別会計として設けられ、その後は産業投資特別会計に資金が移管されました。
占領下ですから当然とも言えますが、出資元のアメリカから運営状況対して口を挟まれる資金であり、「アメリカが資金提供してあげる見返りに、運用を監視する」という意味合いがあります。実際、当時の資金運用を巡っての日米の攻防は「1950年代前半における外資導入問題http://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/153/153-asai.pdf」に詳しく書かれています。
戦後占領下の当時の日本は、いかに早期に主権を回復するかが政府の最重要課題でしたが、それは「いかにして復興資金を確保するか」とほぼ同義でもありました。48年成立した芦田内閣が「外資導入内閣」と言われ資金元をめぐり様々な議論がなされましたが、特に50年前後はいずれ打ち切りとなるであろう戦後復興資金に代わる新たな資金の確保が急がれていた時期にあたります。
そんな中で、51年の資金運用部投資法が制定され財投の歴史がスタートしたわけですが、原資提供母体(郵便貯金、厚生年金、国民年金、簡易保険、輸出入開発銀行やNTTや銀行等)の顔ぶれを見てもわかるように、外資や従来の「見返り資金」のようなアメリカのひも付き資金とは別の、日本国独自の資金が生まれたわけです。
マスコミ等を通じて、財投の歴史といえば“出資先の諸機関への官僚天下り”や“権力との癒着によるムダ使い”を生んだというマイナス面が強調されてきました。
しかし、アメリカ(その背後にいる金貸し)の息がかからない日本(国民)独自の資金である郵貯(それは「国民が国家に金を貸す」形で生まれた)など、日本国民自身による資金をベースに運用された財投は、金貸し支配から独立した金融システムというプラスの視点で見直すこともできるのではないでしょうか。
と、戦後占領期~占領後の状況を調べてみましたが、新たにいろいろな疑問が湧いてきました。
・「見返り資金」のカラクリは?
・53年以降それに代わってできた「産業投資特別会計」の運用実態は?
・日米政府の駆け引きの中で、世界銀行、日銀、日本開発銀行、日本輸出入銀行などの金融機関や民間銀行はどのような形で関わっていたのか?
・そして一番の疑問。結局、その後の高度成長を支えたのは誰(どこから)のお金だったのか?51年以降、一時期でも海外の金貸し支配は弱まったのか?
です。このあたりをもっと追求できたらと思います。
ではまた。

List    投稿者 seiichi | 2008-10-30 | Posted in 02.アメリカに食い尽される日本3 Comments » 

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コメント3件

 天の声 | 2009.01.29 21:36

タイトル違うんとちゃう?

 sodan | 2009.01.31 21:27

ご指摘ありがとうございます。
国有化へ訂正いたしました。

 hermes handbags clearance | 2014.02.03 7:24

hermes handbags 2013 日本を守るのに右も左もない | アメリカの銀行も国有化へ?

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