2012年12月18日

米国の圧力と戦後日本史11  ~面従腹背で対米自主を目指した岸信介~

◆『米国の圧力と戦後日本史』シリーズこれまでの追求
米国の圧力と戦後日本史1 ~従米派と自主派とのせめぎ合い~
米国の圧力と戦後日本史2 ~日本の徹底破壊を狙った初期占領政策(自主独立を目指した重光葵 vs 対米隷属を進めた吉田茂)~
米国の圧力と戦後日本史3 ~アメリカは占領期であっても、閣僚を完全にコントロールできていた訳ではない~
米国の圧力と戦後日本史4 ~冷戦直前の占領政策。アメリカGHQの内部対立に翻弄される日本~
米国の圧力と戦後日本史5 ~米国は占領中期には、半永続的に日本の民主主義を支配しコントロールする力を掌握した~
米国の圧力と戦後日本史6 ~サンフランシスコ講和条約と日米安保条約。戦後民主主義体制とは何だったのか~
米国の圧力と戦後日本史7 ~戦争終結後のアメリカの対日戦略。米国によるエリート支配は何故続いているのか~
米国の圧力と戦後日本史8 ~対米自主派の登場と日本の米露戦略。日本の外交の枠組みが構築された~
米国の圧力と戦後日本史9 ~アメリカが決して表に出てこない原発推進の構造~
米国の圧力と戦後日本史10 ~脱米・自主独立にまっすぐ挑み続けた石橋湛山~

(画像は岸信介)
戦後の首相、岸信介は1960年に新安保条約の締結を強行した人物として知られています。
それだけでなく、アメリカCIAから資金提供を受けていた事が分かっており、従来は米国追従派の政治家というイメージで語られてきました。
しかし、調べていくと、実は対米自主路線を模索していた事がわかります。
※以下、文章引用元は全て「戦後史の正体」(孫崎享)

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  投稿者 kichom | 2012-12-18 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造No Comments »