マスコミ業界の中心にいる電通 ~なぜ、こんなに力を持っているのか~
電通・・・単体では世界最大の約1兆4千億円の年間売上高を誇る広告代理店。
(株)電通は、社員約5700人を抱えるメディア・政財界に巨大な影響力をもつ企業。日本ではトヨタも日産もマツダも電通、家庭電器でも東芝、松下、日立、サンヨー、ソニーが、揃って電通に広告を任せている。
広告面を買い取るのではなく、上半期や下半期という単位で紙面を買い切り、それを広告主に売り捌くやり方で、完全におおもとから利権を掌握している。さらにこの事自体が広告で経営が成り立つマスコミからはタブー視され、電通に関しては表立った報道がされることは無い
■電通は、メディア(テレビ・新聞)や企業になぜ強いのか?
■アメリカ政府、日本政府の受けて世論形成
■電通や通信社の歴史
●広告と通信はセットだった
日本電報通信社は、1907年に日本広告株式会社を併合して誕生した。誕生当初は、「広告業と通信業をセットで」行っていた。
これは、世界史における通信社の歴史と同一である。
世界初の通信社は、フランスのアヴァス(後のAFP通信)だと言われている。ロスチャイルドが情報を操作して、資産を大きく膨らませていた時代に誕生した。(このアヴァスからロイター通信などが生まれる。ロイター通信は、後のイギリス諜報部(MI6)の母体となる。)
アヴァスは、同時期に登場していた新聞社に、情報を売っていく。新聞社はアヴァスがもたらす情報によって、紙面を生めることが可能になった。
しかし、新聞社が通信社を頼る度合いが強まると、通信社に払う金が嵩み、通信料を払えないという事態が頻発した。そこでアヴァスは、通信料の換わりに、広告枠を引き受け、広告を出そうとするスポンサーからカネを取るという手法を編み出す。
☆これを初期の電通も踏襲した。
このことは、紙面のほとんど全てを電通が握ってしまったことを意味する。新聞社(メディア)に絶大な権力を持ったのも当然だった。
●通信社の一本化
満州事変の際には、国策によって国内の通信社が一本化される。政府・軍部が国内の情報統制をやりやすくするためだった。
この結果
新聞総合社の広告部門が電通に
電通の通信部門が新聞総合社(→同盟通信)に
吸収される。
☆戦前に、広告業の電通と、通信社の同盟通信社とにそれぞれ一本化された。
●戦時中
同盟通信は南方の通信機器の独占使用や対外謀略放送の任務を軍部から託され、事実上軍部の国策の手足となって大本営発表を流し続けていた。
一方で、日本電報通信社(電通)は、広告のノウハウを生かして占領地で特務機関まがいの活動を行っていたとされ、軍部と密接な動きを見せていた。
●分かれてはいるが、根っこは一緒の電通・共同通信・時事通信
戦後の財閥解体の流れを受けて、同盟通信社が共同通信と時事通信に分割
→現在の、電通、共同通信、時事通信に
→3つの会社に分かれているが、起源は一緒。
→しかも、電通、共同通信、時事通信は、互いの株を持ち合っている
☆電通、共同通信、時事通信は、ほぼ一体
●日本中に張り巡らされた電通人脈
一方で、日本電報通信社は戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。1947年、新社長に「鬼十則」で有名な吉田秀雄が就任すると、この動きはさらに加速した。
吉田は満州や上海から引き上げてきた、旧軍人・満鉄関係者を電通に大量に採用する。彼らは広告のノウハウを持っていたわけではなく、電通で実質的にフィクサーとしての活動を行っていた。大陸人脈や政財界との近さ、そしてCIAとの関係など、彼らはミニ児玉・ミニ笹川の集団だったと表現しても過言ではない。
1951年に公職追放が緩和・解除されると、電通の旧軍人・満鉄関係者が続々と政財界に復帰していく。このようにして、電通人脈が日本中に張り巡らされていった。
1952年に、自民党・吉田茂から政党PRを依頼されてから、政府筋と電通との癒着は、決定的となった。
●アメリカのプロパガンダ手法を取り入れた電通
この社長吉田秀雄は、戦後の「大電通」を確立させた功労者だと言われる。電通の「フィクサー化」だけに留まらず、アメリカ式広告法(プロパガンダ手法)の導入などの、電通近代化を推し進めた。
●テレビ放送を巡る暗闘 電通vs正力
1951年には民放ラジオ放送局が続々と発足し、発信し始める。ウラで糸を引いていたのが、電通・吉田秀雄だった。彼は、未経験の領域への進出を渋る新聞社を説得して、ラジオ局を設立させた。現在でも先発放送局に電通の所有株が残っている。
その一方で、CIAのエージェントとして読売新聞を全国紙に押し上げた正力松太郎が「民間テレビ放送」作りに奔走する。電通・吉田にとっては、これは自らの主導権に他する重大な挑戦であった。そこで、新聞社、電電公社などを使って猛烈な反対攻撃を浴びせる。
しかし、1953年にテレビ放送が開始され、正力松太郎の日本テレビが民間テレビ放送第一号となった。
ラジオ防衛線に失敗した電通・吉田は、次の手としてTBSとそのネットワークを使って、日本テレビのイニシアティブを退ける試みに挑戦する。この結果、日本テレビと東京放送(TBS)の競争が激化していく。
日米安保紛争の際には、激化する学生運動に対して、七社共同宣言(在京新聞社7社が6月17日に共通で「議会政治を守れ」としたスローガンを掲げた社告を掲載)を掲げ、岸信介を擁護し安保闘争に冷や水を浴びせた。これをリードしたのが、電通・吉田秀雄であった。
☆こうして、アメリカ発日本の世論支配は
CIA→正力→読売・日本テレビ
アメリカ政府→アメリカ広告業界→電通→TBS
という形でスタートする。
☆しかし、電通のメディア支配力が強まり、今や読売・日テレでさえ逆らえない。
☆「アメリカによる日本のマスコミ支配」を考える際に、その中核にいるのが『電通』という一企業だということになる。
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(ないとう)
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