2010年11月16日
新しい潮流シリーズ-1~社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力~
「新しい潮流シリーズ」と題した新シリーズがスタートします。
主に、02年に書かれた以下の『るいネット』の秀作投稿を紹介しながら、現在までの意識の潮流の変遷も交えて、追究していきたいと思います。
①社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力
②社会収束2 私権圧力を超えた外向収束の潮流
③新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)
④新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)
⑤新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積
⑥新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代
⑦新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ
⑧新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転
⑨新しい潮流7 同類圧力は、新しい認識によって生み出される
⑩新しい潮流8 現実を対象化するための概念装置
第1弾は、『社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力』です。
これは、‘90年以降顕に登場してきた「つながり(拡がり)欠乏」の要因を探るという問題意識からの追究です。
「つながり(拡がり)欠乏」とは、「メル友・旅行・イベントや路上のオープンカフェや人間ウォッチングやパフォーマンス等に向かう、人(みんな)収束の潮流」(リンク)
のことで、‘95年頃から一気に高まります。
その原因の根本には以下のような構造があります。
周り(or人々)の期待に応えようとする共認欠乏は、周り(or人々)の評価共認を媒介にして必然的に評価欠乏に収束する。
従って、集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
また、人々の期待(=欠乏)に応える物は、生産物であれ、創作物であれ、人物であれ、全て評価闘争(あるいは集客競争)の圧力に晒され、人々の評価共認によって淘汰されることになる。
これが、生存圧力⇒縄張り闘争を超えても、評価競争→同類圧力が生起し続ける理由である。
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