近代科学の史的総括2~金貸し主導の戦争→国家プロジェクトの手先となり、アホ化した科学者たち
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前稿「近代科学の史的総括1」では、近代科学が市場拡大とともに肥大した自我を原動力として、神に取って代わった人間による自然支配(地球支配)を目的として発達してきたことを明らかにしました。
その後、近代科学は自我⇒私権闘争の極致である戦争によって更に発達してゆくことになります。
そして、科学者たちはどうなったのか?
物理学・科学史の研究者である山本義隆氏は、その著『福島の原発事故をめぐって-いくつか学び考えたこと』(みすず書房刊)「科学技術幻想の肥大化とその行く末」「国家主導科学の誕生」の中で、科学者たちが、原爆製造計画(米マンハッタン計画)をはじめとする国家プロジェクトに組み込まれ、指示された課題をひたすらこなすだけの存在に堕してきたことを指摘しています。
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しかし、この時点(17世紀の段階)ですぐに近代の科学技術、すなわち科学理論に基礎づけられ、科学に領導された技術が生まれたわけではない。実際にはなおしばらくは経験主義的な技術が先行していた。産業革命ですら、その初期には科学からの寄与にはほとんど頼らなかったと見られている。実際、18世紀後半のジェームズ・ワットによる蒸気機関の改良とその大規模な実用化のころまでは、技術が先行し、理論はあと追いしていた。ようやく19世紀中期になって、先行する技術的発展に熱力学理論が追いついたのである。
それまで、動力源としては水力と風力、そして畜力と人力しか知らず、火力はせいぜいが暖房や調理のために使われていた時代に、蒸気機関-熱の動力としての使用-の実用化と発展は西欧社会に大きなインパクトを与え、科学技術の無際限の進歩という観念を一挙に肥大化させた。
ナポレオン三世に仕えたフランスのテクノクラート官僚、ミシェル・シュヴァリエは1836年に語っている。
「それ自身では弱く貧弱な存在にすぎない人間は、機械の助けを借りて、この無限の地球上に手を広げ、大河の本流を、荒れ狂う風を、海の満ち干をわがものとする。機械により、大地の内臓から、そこに埋まっていた燃料と金属を引き出し、さらには、その燃料と金属を渡すまいと頑張る地下の大河をてなづける。人類は、機械を用いて、水の一滴一滴を蒸気の貯水池に変え、力の貯蔵庫にする。地球のわきにおいたらひとつの原子にすぎない人間が、その地球を、倦むことなく従順に働く召使にしてしまう。地球は、主人の監視のもとで、どんな過酷な労働もしてくれるうようになる。」
自由・平等・博愛を謳い近代市民社会の夢を実現しようとしたフランス革命は、同時に人間の能力に無限の信頼を置いたのであり、ベーコンの夢、つまり科学技術による自然支配と地球征服の夢を手の届く所に描いたのである。
同時に物理学では、電磁気学の形成が進められていた。1800年のヴォルタによる電池の発明は化学結合のエネルギーが、そして1831年のファラデーによる電磁誘導の発見は運動エネルギーが、ともに電気エネルギーに変換されることを明らかにした。これが現在にいたるまでの電気文明の始まりであり、そこから電球や電熱器や電動モーターや電信装置やその他すべてが生み出されていった。ここにはじめて、科学理論が先行する形での技術開発、すなわち真の意味での科学技術が始まったと言える。
18世紀産業革命以降の科学技術の発達は、戦争圧力を抜きに語れない。
18世紀後半の市民革命(フランス革命・アメリカ独立戦争)以降、欧米列強による市場の拡大競争が生み出した侵略戦争がますます激化し軍備強化への期待圧力が高まった(民主主義が市場の拡大競争→戦争を加速させたとも言える)。
戦争圧力を受けて科学技術はさらに発達してゆくが、それは同時に、科学者たちが戦争という国家プロジェクトに組み込まれ、その手先と化してゆくことを意味する。
『るいネット』「私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である」
その典型が、第二次世界大戦下の原爆製造計画(アメリカではマンハッタン計画)である。
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マンハッタン計画は、理論的に導かれ実験室での理想化された実験によって個々の原子核のレベルで確認された最先端物理学の成果を、工業規模に拡大し、前人未到の原子爆弾の製造という技術に統合するものであった。
それは、当時ほとんど知られていなかったウラン酸化物やまったく未知の元素プルトニウムの化学的性質の解明といった基礎研究に始まり、プルトニウムの化学的分離や自然界にはきわめて僅かしか存在しないウラン235を濃縮して抽出する工程の開発から、それを大規模に実践するための大工場の新設、プルトニウム生産のための原子炉の設計と建設、ウラン235の連鎖反応のための臨界値の決定、連鎖反応が瞬間的にかつ完全に生じるようにするための爆薬の配置法、それらを計算するための大型計算機の開発、等、多方面にわたるきわめて多くの理論的・技術的問題の解決を必要とした。
マンハッタン計画はその膨大で至難の過程の全体-以前なら個々の学者や技術者や発明家や私企業がそれぞればらばらに無計画におこなった過程の全体を-を、一貫した指導の下に目的意識的に遂行し終えた初めての試みであった。
抽象的で微視的な原子核理論から実際的で大規模な核工業までの長く入りくんだ道筋を踏破するその過程は、私企業を越える巨大な権力とその強固な目的意識に支えられてはじめて可能となった。
それは官軍産、つまり合衆国政府と軍そして大企業の首脳部の強力な指導性のもとに数多くの学者や技術者が動員され組織されることで実現されたものであった。もちろん秘密の軍事研究であり、情報管理は徹底されていて、個々の学者の大部分は、全体としての目標への疑問は許されず、というか、そもそも原爆製造という最終目標すら教えられずに、与えられた問題の解決にひたむきに取り組んだ。
欧米列強による侵略戦争が激化したのは市場の拡大競争の結果であり、それを主導したのは金貸しである。
市民革命以降、金貸しに導かれた戦争という国家プロジェクトに科学者たちは組み込まれ、金貸しの手先と化してゆく。
それが加速したのは「戦争の世紀」と呼ばれる20世紀であり、その完成形が第二次世界大戦における原爆製造=米マンハッタン計画である。
そして、それは戦後も続いてゆく。
マンハッタン計画のこの「成功」をうけて、戦後アメリカ政府は科学技術振興に積極的に介入していった。実際、第二次大戦後(20世紀後半)の宇宙開発競争のような科学技術は、このような官軍産の強力な指導のもとに大量の学者と技術者が計画的に動員されることで可能となったのであり、当然それは、大国における政治的・軍事的目的、あるいは金融資本と大企業にとっての経済的目的に従属したものであった。動員された学者や技術者はその目標の実現という大前提にたいしては疑問を提起することは許されず、ただその枠内で、目前に与えられた課題の達成にむけて自己の能力を最大限に発揮することのみが求められた。
戦後、原子力開発が民間企業に負わされることになっても、国家の後ろ盾のもとにいくつかの大企業にまたがって担われるプロジェクトとしての原子力開発において、マンハッタン計画と同様の状態が出現することになった。GE社を辞職した技術者の一人リチャード・ハーバートは辞表に記している。
「原子力産業は、われわれ個人個人の活動がつみ重ねられたときにおこる衝撃の大きさについては、僅かの理解力しかもたない視野のせまい専門家たちの産業になってきています。」(『技術と人間』1976年6月号、68頁)
そしてそれは国策として進められる巨大科学技術の宿命であることを、いま一人ディル・ブライデンボーも辞表にしたためている。
「多くの場合、集団的に調製された政治的決定によってメーカーと建設にともなう莫大な費用、スケジュールがきまります。このような政治的な圧力が結果の正しい評価による公平な決定の達成を、非常に難しくしています。原子力発電は”技術的な怪物”になってきており、誰が制御しようともその正体を明らかにすることはできないのです。」(同、71頁)
生産規模の巨大化と生産能率の向上のみがひたすら追及されるが、そのこと自体が意味のあることなのかどうかは問われることはない。そのことに疑問を呈した人間はただ脱落してゆくだけとされる。こうして”怪物”化した組織のなかで、技術者や科学者は主体性を喪失してゆく。
福島原発危機を巡って御用学者たちは信じられないアホさぶりを曝け出しているが、彼らがここまで無能化した理由もここにある。
『るいネット』「金貸しは目先の利益追求に追われて、地球を破壊してきただけ」にあるように、
金貸したちは目先の利益追求に追われて、次々と原子力や電磁波といった破滅的技術を導入し、その結果として地球を破壊してきただけであり、その後の地球をどうする?という目処を何一つ持っていないということが、福島原発事故によって明らかになった。
その手先として、指示された課題に対する正当化データを揃えるor捏造することをやってきたのが科学者たちである。
山本義隆氏の指摘は原爆~原発学者だけではなく、ほとんど全ての学者たちに当てはまる構造だろう。
例えば、「温暖化の原因はCO2だ」と金貸しから指示された気候学者たちが、それを正当化するデータを捏造することしか考えなかったのも同じであり、現代の科学者たちが「何故、その研究が必要なのか?」等々の根本的な問題意識を喪失し、信じられないほどアホ化した理由である。
より根本的には、科学者たちが金貸しが主導した戦争→国家プロジェクトに従事していったのも、彼らが自我・私権主体であったからであり、己の私益or特権身分の維持しか頭になかったからに他ならない。
これは市場社会の拡大による肥大した自我を原動力として、近代科学が発展してきたことの当然の成り行きであり、現在の科学者も何も変わっていない。
己の私益しか頭にない科学者たちが無能化するのは必然である。
『自分のことしか考えていないのが無能 みんなのことを考えて追求するのが有能』だからである。
さらに、1970年の豊かさの実現が止めを刺す。
それ以降、私権圧力(活力)は衰弱し始め、大衆の豊かさ期待も消滅した結果、追求(思考)の動因を喪失した科学者たちは思考停止し、無能化に拍車がかかってゆく。
このように、近代の科学者たちは金貸しの手先となってその地球破壊に手を貸してきた。
そして(極僅かの例外を除いて)ほとんどの科学者は思考停止して無能化していった。
その果てが福島原発危機である。
自我肥大した科学者たちは(実態は金貸しの手先にすぎないが)主観的には神に成り代わったつもりでいるのかもしれない。
ところが、地震学者たちは数千億円も使いながら、地球のことは何もわかっていない。だから、地震予知を一度も当てたことがない。
言い換えれば、地球は地震学者の手に負えるものではないということである。
原発も同様に現在の原子学者のレベルでは扱えないもの(扱ってはならないもの)なのである。
現代の科学者に、その自覚が少しでもあれば、こんなことには成らなかっただろう。
以上、近代科学が市場社会の拡大による自我の肥大を原動力として発達してきたこと、およびその末路に至る過程を明らかにしてきた。
市場社会を終焉を迎えた今や、次代の自然認識が自我を原動力とした近代科学の延長線上にはないことは明らかである。
少なくとも、地球環境を改善する認識が現代科学から登場することは全く期待できない。
自然認識もパラダイム転換の時を迎えているではないだろうか。
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コメント3件
モンブラン インク | 2013.12.01 21:43
日本を守るのに右も左もない | 共認収束への大転換⇒実現の時代へ(7)~閉塞の元凶となった近代観念~
Click Webpage | 2014.03.28 17:00
hermes hub 日本を守るのに右も左もない | 共認収束への大転換⇒実現の時代へ(7)~閉塞の元凶となった近代観念~
通りがけ | 2012.08.16 20:33
峠三吉が「すべての声はうったえる」という遺稿詩のなかでアメリカとヒロヒトの正体をあますところなく見破っています。
>「すべての声は訴える : 序文にかえて 」
広島大学学術情報リポジトリ:詩, 広島大学図書館峠三吉自筆草稿コレクション
>>http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/toge/T0037.pdf
pdfなので読みにくいですが。
そして長周新聞記事を紹介。
>>http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/taibeijuuzokunokusaritatisensousosihe.html
対米従属の鎖断ち戦争阻止へ
戦後67年目の8・15迎えて
原爆・空襲から続く絶滅作戦 2012年8月10日付