共同体社会の実現に向けて-8~実現論 序3.市民運動という騙し。民主主義という騙し。(その1)~
皆さん、こんばんは:D
前回の記事で、社会の統合原理は、私権原理から共認原理に転換し、それに伴って企業も共同体に転換してゆく時代に入っていることを明らかにしました。
一方で、反原発デモ、反格差社会デモ、TPP交渉への参加反対デモなどのをはじめ、社会運動が活発化していますが、これらの動きに可能性はあるのでしょうか?
今回は、世界に広がったこれらの動きを視野にいれつつ、「これまでの社会運動はなぜ社会を変えられなかったのか」を紐解き、共同体社会の実現の前に立ち塞がる壁について見ていきたいと想います:D
【市民運動という名のペテン】
過去、’60年安保闘争にせよ、’69年全共闘運動にせよ、大衆の願いは実現された例がない。さらに遡れば、明治維新やフランス革命も同様であって、実現されたのは、金貸し(金融勢力)支配の体制だけであり、それらの革命に身を投じた若者たちは、金貸しに乗せられ踊らされてきただけであった。
それも当然で、すでに序2で明らかにしたように、近代社会を動かしているのは金融勢力であって、決して大衆ではないからである。
従って、「市民運動」は、甘言で染められたペテンであると断じざるを得ない。
しかも、この甘言を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった。これは騙し、それも、社会変革のすべての可能性の芽を摘み取る、皆殺し的な騙しである。
市民運動が金貸しに乗せられ、踊らされてきたというのはどういうことでしょうか?
例えばフランス革命は、市民が絶対王政に対して立ち上がり、憲法や議会による民主政治を実現した革命だと考えている人が多いのではないでしょうか?確かにそれは一側面ではあるのですが、本質は実は違うところにあったのです。
まず、フランス革命は市民が立ち上がったというのが間違いで、一部の裕福な商人が立ち上がったというのが正確なところなのです。そして、実は「憲法や議会による民主政治のため」というのを錦の御旗に掲げ、実は自分たちの市場での利権を拡大するというのが第一目的だったのです。
詳しくは:
フランス革命 ~商人達による私権拡大のための革命~
旧観念(近代思想)の蔓延は金貸しの仕掛けか
60年安保の背景と今後
市民運動がペテンなのは明らかですね。
その後、市民運動は、’70年、貧困の消滅(豊かさの実現)を契機に急速に衰弱していった。つまり、市民運動は、貧困の圧力→私権圧力が強いときにはそれなりに盛り上がり、私権圧力が衰弱するや否や衰退していったわけで、これは、市民運動が私権欠乏をエネルギー源にしていたという証である。
私権欠乏に立脚している限り、どれだけ市民運動を続けても、私権社会が永久に続くだけであって、私権社会から共認社会への転換など、実現するわけがない。
同じことは、それらの運動を導いてきた思想についても言える。
マルクス主義を含む近代思想を生み出したのは、金貸し(金融勢力)である。ところが、市民運動の活動家たちも、同じ近代思想に立脚している。
同じ思想に立脚しながら、社会を変革することなど出来るわけがない。
あるいは、こうも言える。市民運動の活動家たちは、もっぱら大衆の意識の変革に期待してきた。逆に云えば、彼らは「大衆の意識」以外に何の実現基盤も持ち合わせていなかった。
しかし、現実の大衆は、金貸しが支配する検定教科書とマスコミによって、ほぼ完全に近代思想に染脳されてしまっており、近代思想に代わる新たな思想なしには、大衆の意識が変革されることなどありえない。
ここで市民運動と近代思想の関係を振り返ってみます。
■歴史的背景
貧困が消滅する1970年以前の人々は、「お金や身分、地位が欲しい」という私権欠乏を最大の活力源としていました。
しかし、思うようには私権は手に入らないのが実情でその際、大衆の不全のはけ口となっていたのが、市民運動だったのです。
従って、運動の矛先は、自分たちを差し置いて私権を獲得している特権階級でした。
フランス革命では王侯貴族、明治維新では徳川幕府、安保闘争・全共闘では大学や教授、といった具合です。
私権欠乏に立脚して私権序列上位者に向かって否定と要求を繰り返す、その行為には自分も序列上位に行きたいという欠乏を根底に孕んでいます。
私権社会に対して社会変革を謳っておきながら、自らが私権原理に立脚しているというこれらの社会運動には、根本的矛盾がありますね。
■近代思想と市民運動の関係
現在の社会は金貸しによって支配されてます。
官僚を支配する事によって法制支配し、マスコミを支配する事によって世論支配し、これらをもとに政治家を脅して操り、金貸しの思いのままに作り上げたのが現在の社会です。
その金貸しが生み出したのが近代思想です。これは金貸しの究極の目標である市場拡大を実現する思想でもあるのです。
その中核は個人の権利。個人の権利を全員が主張すれば消費活動が増え、市場の拡大のエンジンになるからなんですね。
先ほど見てきたように、市民運動の中核も個人の権利=私権欠乏の実現であったことと符合します。
言い換えると、近代思想で統合されている社会を、近代思想に立脚して、変えていこうとしてきたのが、市民運動と言わざる訳です。
いやいやそんなことはない、運動を続ければ大衆の意識は変わるはずだ。と考える方もあるかと思いますが、果たしてそうでしょうか?
大衆は、マスコミや検定教科書によってしっかりと染脳されています。
そんな大衆に対し、私権原理と近代思想に立脚した運動への参加を呼びかけても、変わるはずはありませんね。。。
本当に社会変革を実現するには、まず、大衆の意識潮流を掴み、そこにどのような実現可能性があるのかを摘出しなければならない。ところが、彼らは、あたかも大衆に期待しているかのようにひたすら大衆に訴えかけていたが、実は、彼らが大衆の意識潮流を深く追求した痕跡はどこにも無い。これでは、本当の所は、大衆にさえ何も期待していなかったのだと言わざるを得ない。要するに、彼らは、自分に都合のいいイデオロギーを大衆に押し付けようとしていただけであり、彼らに在るのは、甘言で染められた自己正当化のイデオロギーだけであった。
大衆の意識を注視し続けていた私は、45年前、活動家たちに対して、マルクス主義に代わる新理論の必要を提起した。しかし、新理論の構築に取り組もうとした者は、(ごく少数を除いて)殆ど誰もいなかった。そして、次々と、大企業に就職し、あるいは学者になっていった。その後、彼らに残されたのは、社会変革に対する深い不可能視だけである。
それだけを見ると、彼らは本気で社会変革を実現する気などなかったようにも見えるが、むしろ、近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近いほどの超難課題であったということだろう。
上記の写真はいずれも、最近起こった市民運動の写真です。
「反原発デモ」に続き、目立った動きとしては米ニューヨークを皮切りに全世界に波及した「反格差社会デモ」。そして現在真っ最中の「TPP交渉参加に反対するデモ」と、一気に市民運動は広がりを見せています。
しかし、この動きは、我々大衆の想いを体現すること=社会を変える事に繋がるのでしょうか?
ここで、本日記してきた記事の切り口に即して、これらの運動を検証してみます。
まず、「反原発」も「反格差社会」も「反TPP」も共通して、いずれも私権欠乏が起点になっている点は、共通していると云えます。いずれも「反」という頭文字が付くことが象徴しているように、否定と批判、それに加えて要求がその主張の中軸になっています。
「反原発」デモの主張の多くは、政府や東電、その利権構造を糾弾する声がまずは圧倒的に多く、また「反格差」デモは市場原理の枠組みを温存したまま、『下層の我々にも利益を分配せよ』という主張と要求が繰り返されているようです。更に、全世界的な波及といった現象の背景には、金融勢力の影響が見え隠れしています。
NYから東京にまで広がったデモ
反格差デモ
反TPPデモ
反原発デモ
最近の「反TPP」は現在JAグループが主軸のようですが、運動の動機づけになったのは、既得権益を守る。というまさに私権確保のために動き出したものと捉えることができます。
つまり、どの運動も、先に引用した
>私権欠乏に立脚している限り、どれだけ市民運動を続けても、私権社会が永久に続くだけ
というパラダイムに絡め取られてしまう危惧が大いにあると思われます。
一方、どの運動にも、本源的意識や国益をまもるという民族意識も混在している点は見逃せない点です。
「反原発」では、これまで享受してきた快美生活を根本から総括して、消費を控える意識は大きな潮流ですし、脱原発の新たなエネルギー模索も盛んです。何より「何で原発が必要?」といた根源的な疑問から、事実追求の潮流が見えてきました。
「反TPP」も、アメリカの属国という立ち回りを超え、国益、日本民族を守るという意識の高まりを感じます。
しかし、残念ながら、このような本源的な意識は、強固な新しい認識としては顕在化されておらず、その結果、刹那的な動きの連鎖に留まり、社会の仕組み、パラダイムを抜本的に変えていくことにはつながりそうにありません。
その意味で、上記引用の最後『新理論の必要』という視点はとても重要だと思います。
本シリーズはまさに、過去~現在までの市民運動に変わる、新しい運動論(=新理論)の提起がテーマです。最終的には具体的な動き方(ビジョン)を紹介しますが、その前に、歴史構造を把握し、実現基盤となる新しい潮流を見極め、可能性の照準を絞っていきます:D
・・・あらためて、今後の展開をお楽しみに!!
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