カタカムナに学ぶ ~日本語は上古代人の認識が現代に残っている稀有な例~
欧米発の経済危機や原発に代表される環境問題など、近代以降、常識だと思われていた観念群が大きく崩れようとしています。
この現代社会の行き詰まりと大転換の予感の中から可能性を発掘していくためには、現代の支配観念に根本的な疑問の目を向け、できる限り固定観念を捨てて、現実を直視し、事実の追求に向かう必要があると思います。
まして、全文明史を覆すほどの大転換期だとすれば、文明史以前の歴史を学んでいく必要があります。
今回も、『カタカムナに学ぶ ~日本人のもつ平衡感覚(秩序収束力)の起源は宇宙(アマ)の摂理~』につづき、楢崎皐月氏の提唱したカタカムナ説から、上古代人(原始日本人)の認識世界を学んでいきたいと思います。
以下の文章は
相似象学会誌『相似象』五号(1973年3月 シーエムシー技術開発㈱発行) リンク
より引用・要約したものです。
■「本辞旧辞(古事記編纂の原資料)」を抹殺した古代権力者の過失
古事記制定の意図に、政治的目論があったにしても、古事記の内容の中には、日本の上古代の、イブキを伝へるものが、ある事は確かであり、私達の研究も、古事記や、民間にのこる古文書神話の伝承なしには、達成できなかったであらう。たゞ、古事記編纂の原資料となった、「本辞旧辞」とよばれる文献を抹殺してしまったところに、当時の権力者の、大きな過失のあった事を指摘するのである。
写真:『古事記』編纂者 太安万侶
古代より、日本には大陸で争いに負けた部族が移民してきました。その移民してきた部族が、日本人の受け入れ体質を逆手にとり、権力者層(≒天皇)になったと言われています。
楢崎氏によれば、当時の権力者は古事記の編纂の原資料になった「本辞旧辞」とよばれる文献を抹殺したようです。
しかし、勝者に真の聡明さがあれば、堂々と、その経過の事実を、歴史に公開してもよかった。しかるに、日本の、この時代の歴史は全く欠如し、古事記日本書紀の記述のみが、公的な記録として、のこされて居るという事は、何か、この間の事情を、そのままに後世に公表することを、はばかる考慮が、時の権力者に、強く働いた故と推察される。そして、こうした不明朗さが、少なからず後世の日本人の、精神的ヒズミの、因となったのは事実であろう。 『カタカムナに学ぶ ~カムナガラノミチと日本語の起源~』
目先の権力に固辞し、後世の日本人に精神的なひずみを与え続けていることは、権力者層の大きな過失と言わざるを得ません。
そのひずみの1つが、西欧の常識からみて日本が「特殊」であると見られることではないでしょうか?
次は、この特殊性について学んでいきます。
■日本の特殊性こそ全人類的に求める最もノーマルな姿
私達は、日本語の特殊性、日本文化の特殊性、天皇の在り方の特殊性等々、「特殊」といふ事を屢々述べたが、特殊といふ意味は、現在の常識となって居る、西欧的な尺度からみて、その範疇には律しられぬ、という意味で「特殊」なのである。実は、もっと高次の視点に立てば、それは、特殊なのではなく、全人類的に最もノーマルなスガタに通じるものである。ここでその事について二三ふれておきたい。
例へば西欧人の社会の常識であるところの、聖書的な「目には目、歯には歯」の応対のテクニックでは、日本人は、到底、西欧人にも、シナ人にも、かなふものではない。彼らのような訓練とは、年季の入れ方が違ふからである。しかし、さればといって、彼らの社会とても、そのような論理的な考へ方だけが、通用して居るわけではない。ことに、キリスト教等の宗教者の希求するものは、報ひを求めぬ、母性的な愛であり、純粋の奉仕の心であり、右の頬を打たれても、打ちかへすどころか、左の頬をも打たせるまでに、相手の気持にさからわぬ態度である。しかも、それは、彼らの社会の主導権を握る人々の論理からは出て来ない、いはばナイモノネダリであるが故に、それをあこがれる願望は強烈である。
図:ハムラビ法典 キリスト教
我々日本人が、人種も習俗も異なる異国人とつきあふ場合に、何をもってよりどころとするかと言へば、所詮この線を、押してゆくしかないであろう。不得意な面で、しかも附け焼刃で争っても勝てる筈がない。
直接の利害関係の薄い、「お客」の程度の付き合ひなら、キレイごとですむにしても、異なる民族が、利害関係の錯綜する中で、共存してゆく為には、互ひに、オノレを知り、他を知る努力が必要である。そして、自分を正当とし、他を特殊視するのでなく、自分たちの尺度の、通用しない世界のある事実を、互いに認めあふ事から出発し、一方に於て、どの民族にも通用する「全宇宙的なマトモなコトワリ」を発見し、それを人類の常識として確立するしかないであらう。
引用文中にでてくる「日本の特殊性」とは日本人の共同体気質と同義だと思われます。確かにこれこそが、現在、全人類的に最も求められている最もノーマルな姿なのでしょう。
そして、この共同体気質から生まれた認識が、「全宇宙的なマトモなコトワリ」ではないでしょうか?
次は私達の潜在思念に受け継がれているコトワリの中身について学んでいきましょう。
■直観的思考の論理
「直観」とは直感に基づく「判断」であり、本来、極めて「論理的」なものであるが、そもそも「直感」によって「判断」のひらめくスピードが、人間のアタマで考へる「科学的論理」の進行とは、ケタ違ひに速い為に、いかにも飛躍的神秘的にみえるのである。パッと直観に浮んだ事を説明しようとして、人間のアタマで、人間的な論理で追ひかけると、忽ちそのスガタを見失ひ、言葉にうつそうとすると、大へん長い量になってしまふ。困ったことに、説明して居る内に、どんなにアリノママに伝へようとしても、最初の内容からズレたりソレたりしてしまふ。なぜなら、直観は、言葉の形で浮ぶものではないから、その内容を、人間の言葉にうつす際に、その人の性格や、経験や、思考のくせや、環境条件が、大きく作用するからである。
日本人は「直感(ex.場の空気感)」を大切にし、西欧人は「論理」を大切にします。本来「直感」は極めて論理的なものですが、なかなか言葉にできないため西欧から特殊視されてきました。
しかし、この日本人特有の「直観(カン)」こそが、現代の歪んだ秩序の中で日本の秩序を保ってきた基盤だと楢崎氏は述べています。
■私達の潜在的なカタカムナの教へ(縄文気質)が現代の歪んだ秩序の中で安定を保ってきた
日本の社会だけに限ってみても、カタカムナの教へを見失って以来の何千年、もしくは何万年かの間、ずいぶんマチガッタ事をやり続けながらも、日本民族が今日まで亡びもせずに来られたのは、表面にあらはれない人々の、蔭にあって支へ続けて居たチカラがあったからである。この正反のカのバランスが、少しづつ少しづつ、今日の日本の歪み現象をもたらしたように、私達個々のチカラは微々たるものであるが、この私達のチカラのもとは、カタカムナの上古以来生きつづけ、日本民族の、無意識の平衡感覚ともいふべき「カン」となって、民族の健康を保って来た、大きなチカラに通じるものである。このチカラのバランスが、今後、何百年何千年かの間に、少しづつ少しづつ、日本民族の方向を、逆に変へてゆくことが、不可能だとはいへないであらう。「歪み」は歪む為に歪んだのではなく、全体の平衡を保とうとして居るスガタである。
何千何万年もの間、醸し続けて来た「民族の歪み症状」は、いはば人体の「慢性病」のようなものである。同じように長い歳月をかけて、体質の根本から直してゆく、気の永い努力の方向しかないと言はざるを得ない。
革命や戦争等の英雄的行為は、名医の手術や強い薬のようなもので、一般のウケはよいであらうが、爾後に配慮するなら、最善の処置とは言へまい。
無意識の平衡感覚ともいうべき「カン」というのは『秩序収束力』を示していると思われます。これが、私達の潜在的意識に内在しているために、間違った事を生む西欧の論理を取り入れながらも現代まで秩序を維持できているのではないでしょうか?
この、秩序収束力のふるいにかけられ、日本は異文化を取り入れたにもかかわらず、言語だけは上古代より失われずに現代まで伝えられているようです。
■日本語は上古代人の言葉が現代に残っている稀有な例
私達は、カタカムナの上古代人の言葉を解読し、彼らの言葉の内容を、追体験するにつれ、彼らの文化と、現代の我々との結びつきを観じ、あるひは又、その相違の甚しさに驚き、現代科学に推進される人類の動向に、深い反省の念覚えずに居られなくなったのである。
遺物も遺跡も、シカとは残らぬ、はるかな大昔のことを探らうとすれば、一方では、現在持って居る情報を、厳密に調べると共に、一方で優れた直感を働かすしかない。その意味で、「言葉」というものは、何よりの手がかりとなる確実な「遺物」なのであり、日本語に於て、上古代人の言葉が、今もなほ通用し、文字以前の文字、即ち、現行のカタカナ文字の原型と目される、カタカムナの声音符にょって、彼らの文化の内容が、伝へられて居たといふ事は、まことに稀有な例である。
歴史を紐解くためには事実の追求とともに潜在思念からくる直感を働かすしかありません。その意味で「言葉」を失わずに残してくれたご先祖様には感謝の念を抱かずにはいられません。
また、上古代から受け継がれているからこそ、日本語は、感受性と理解力と創造性を育てる言語として、将来の世界共通語になる可能性がある(『世界共通語となる可能性を持った日本語』)という説も現実味を帯びてきます。
上古代人から受け継がれる無意識の平衡感覚(秩序収束力)は素晴らしいの一言です。
では、この感覚の起源はどこからくるのでしょうか?
■宇宙のあらゆる現象は「相似の形象」を示す
根拠といっても、従来の概念の「根拠」の意味ではない。従来の考へ方は、何か中心的な特別なもの、例へば「神」とか「天」等の「創造主」が在って、それによって万物が創造され、支配されるといふ神秘的思想が主体となって居たが、科学の発想と雖も、この範疇を出るのは甚だ困難な状況である。
そのような意味の根拠は、カタカムナのサトリには無い。「アマの元(アマ始元量)」とは、論理的に追ひつめて、そうでなければならぬ、といふ推論から設定された仮説的存在でない。それは、カタカムナ人が、自分たちの紛れもない体覚によって、自分達の「内外環境」に存在して居る事を、実感して居たモノである。
それを彼らは〈アマ〉と言ひ、アマは、確かに万物を生産する始原(ムスヒ)であり、そしてそのアマの分身が、アマナとして、あらゆる物質の中遍在して、中心核的(原子核のような)ハタラキをして居ると観じ、それを、目にみえぬ潜態の〈ミナカヌシ〉として把へたのであって、後代人の通念の、神や仏の如き創造主ではない。
カムヒビキやカムナガラノミチとは、「直観の物理」であって、それは、後代人の概念の「理論」でも、又、宗教的「教理」でも、無かったのである。
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彼らは、宇宙のあらゆる現象事象に、例へば、原子細胞のような極微のものから、あらゆる動植物、及び、諸天体の如き巨大なものに至るまで、「相似の形象」のあることを直観したのである。彼らはそれを〈ヒトツカタ〉と言ひ、例へば、男と女、陰と陽の如き「正反対向の相(スガタ)」とみる。又、万象は、様々のハタラキを見せて居るが、それらに終始一貫して認められる「相似の現象」例へば、膨脹と収縮、分化と統合、粒子性と波動性の如き、相反する「逆性の組合せ」のある事を直観した。そして彼らは、あらゆる現象事象に共通的賦与されて居る本来性を、数種類のパターンに整序し、その奥にある「大きな機構」、則ち、あらゆる万象の、相似象の「原象」を把握したのである。
現代人の心理が、極微のものの中に、「原型」を見出さうとするのに対し、カタカムナ人は、極微をも巨大をも通鑑し得る「原象」を直観して居たのである。
彼らのサトリは、宇宙の大原則、則ち、多種多様にわたる生命現象の由来即ち、あらゆる自然のしくみを成り立たせて居る、「大きな機構」とは何か?要するに宇宙にあらはれる相似象は、何が、しからしめて居るのか?といふ、古今東西の人類の抱いた共通の疑問に関して、上古代人の、鋭い直感性能を以て解明した内容のほどを示すものである。
カタカムナの直観物理は、科学の分野にないものを扱って居る。則ち、カタカムナ人は、鋭い直感体覚によって、目に見える「現象」の、内外の環境に、目に見えぬ「潜象」が存在する事を直観し、先づ、<カタカムナノウタヒ>によって、<アマ>の<ミ>のナリタチを示し、次に、<カムヒビキ>によって、<アマ>の変遷、則ち<モロカゲ>の<ミ>を示して居る。則ち、宇宙の万象は、<アマ>の始元量の変遷したものであり、その故に、<アマ>のもつ本来性は、万象に受け継がれて居る事を見抜いたのである。
雨の雫にしても、花の種子や木の実にしても、なぜ、みな球状(マリ)に丸まって居るのか?細胞や電子、原子の極微の世界から、地球や太陽や諸天体の巨大現象に至るまで、皆、相似象的に、丸い球状を示しながら、旋転し循環して(マワリテ メグル)居るのか?どうして右マワリ左マワリの軸が出来るのか?どうして皆、膨張収縮(ソコソギ)の運動を繰返して居るのか?又、人間の胎児の発育のスガタが、魚や鳥や亀などの受精卵の発育のスガタとそっくりで、ひいては植物の種子に至るまで、どうして「みな、相似象」を呈するのか?……
カタカムナ人は、宇宙天体の発生といふ巨大現象に関する洞察と共に、我々には「神秘」としか言ひようのない様々な生命現象についても、現代科学の、細胞や蛋白質の分析よりも更にカミ(起源)をさかのぼり、〈ミツゴ〉のマトマリ方によって、我々が、生物や無生物などとアイマイによび分けて居るものの前身といふべき、〈モコロ〉の出現過程に関する直観を述べて居る。
万象を発現する「大きな機構」則ち、あらゆる相似象の「原象」は、〈アマ-カム〉の対向(ムカヒ)にある、といふのがカタカムナ人の直感であった。
科学でも、高度になれば哲学になる。要するに<カム>や<アマ>といふ言葉を、自分たちのサトリを表明する用語として、はじめて作り出した人々の、その思想の基礎にあった「哲学」が、どのようなものか?そしてそれが、後代の「神」や「天」などといふ観念の根底にあった「哲学」や、現代科学思想の基盤にある「哲学」と、どのよううに違ふのか?‥…‥それぞれの「哲学」の探さにこそ、意味があるので、私達が問題として居るのは「本質」の把握である。時代と共に表現の用語が新しくなっても、その把握内容が深まったとは限らない。
相似象学による私達の解説は、現代人に未だ知られて居ない、この上古代人の哲学を、上古代語のままではとりつきようがないから、現代人にわかる言葉に訳せば、このようなことであらうといふ試論である。
思へば、カタカムナの上古代語は、今日まで、我々日本民族の中に生きつづけて来たのである。その数万年の間に、地球上の多くの民族は興亡した。インカやスメル(シュメール)等の如く、たとひ立派な建物や文字が残っても、言葉の伝はらぬ民族は滅亡する。カタカムナの文化は、巨大建造物も遺物も未発見である。併し、その言葉は、今も、我々の民族の言葉として通用して居る。
アメリカ大陸にも原住民は居たが、今のアメリカは英語(又は仏語ポルトガル語等)の国である。日本列島にも実に様々の民族がやって来たらしい。高松塚古墳などの遺物は今後も発見されるであらう。
しかし、彼らの文化も外来語も、日本人の無意識の「カン」にふるひ分けられて、日本は、外国語には(シナ語にも朝鮮語にも)ならなかった。
この事の意味を、今こそ、我々は、もっと重大に考へてみるべきときであろう。
宇宙のあらゆる現象事象から「相似の形象」を直観し、それを基底思念と強く結びつけ、それを「文字体系」としたものが日本語であったということには驚きました。
それが上古代人から脈々と現代まで受け継がれてきたことには感謝の念を抱かずにはいられません。
この日本人の縄文気質が、今後の社会を作っていくための導きの糸となるのではないでしょうか?
次回からは関川二郎著「カタカムナへの道」を読み解いていきます!
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通りがけ | 2012.09.11 23:01
「911ユダ金ショックドクトリンは山本美香女史暗殺に続く松下金融相暗殺」
衆議院ACTA採決のいかがわしさ。2012年9月10日 (月)ふじふじのフィルターさまへ書き込みました。
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/96-88ed.html
911のユダ金ショックドクトリンはジャッカルによる見せしめ処刑だったですね。石井氏松岡氏や中川氏と同じ冷酷な要人暗殺の恐怖で日本政府支配を強める、そして去年の西岡氏だけでは不十分と見て911を捉えてジャッカルを動かしたのでしょう。松下氏は人権救済法にただ一人反対していたので彼が生きていれば人権救済法は廃案になる。野田泥豚は韓国国益のためにユダ金に従っているのでそのご褒美の人権救済法は絶対に成立させたい。そこで野田泥豚はユダ金と取引して自分に足がつかないユダ金配下のジャッカルに素知らぬ顔で泥塗れの口を拭って松下氏を殺させたのでしょう。911にショックドクトリンを計画していたユダ金はその泥豚の要求に乗ってタイミングが合う相乗効果が高いこの日に決行したのです。
しかしずいぶんと偽装工作の下手な腕と頭の両方ともできが悪いジャッカルだったみたいですが。そのせいで警察が対応に大わらわですね。
>>松下金融相死亡…自殺か? 都内の自宅で発見
http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/579.html
しかしACTAのおかげで81人で地位協定破棄批准停止が可能であることがわかったいま、次期国会の冒頭で地位協定破棄動議を提出すれば81人を残して全員退席棄権でも地位協定が破棄できますね。いかに治外法権で犯行自由自在のジャッカルでも81人もの議員をいっせいに殺すことは不可能です。つまり地位協定みんなで破棄すりゃこわくない。
なおかつ地位協定破棄すればただちに日本国内のジャッカルは全員発見即逮捕で暗殺活動ができなくなるので、81票で地位協定破棄動議を10分で可決さえすれば直ちに日本人議員はそれ以降全員安泰です。みなが天寿を全うできるでしょうw
81票以上であれば何人で破棄可決しても破棄さえすればただちに日本国内最上位の憲法に従って日本の優秀な警察が次々にビザ無しのジャッカル含む外国人たちを残らず捕らえて身柄送検し検察が起訴して両者ともに点数を上げるので、否決票を投じた議員まで含めて全員が地位協定治外法権ジャッカルが日本人政治家へ及ぼす身体生命の危険から優秀な警察力で安全に守られるのです。
次期国会開会までその場で破棄賛成票を投じることは自分だけの秘密にしといて、地位協定破棄動議が出されれば退席者の様子を見て残った者が投票開始後阿吽の呼吸で81人以上(100人でも200人でも多い程より安全になります)で一斉に即時地位協定破棄可決すればよい。今回殺された松下氏のように投票前から法案反対の旗幟鮮明にすればジャッカルの絶好の標的になりますから危険ですね。謀は密なるを以てよしとす。このばあい一人一人が単に黙っておいてユダ米に面従腹背で国会が開会したら冒頭でいっせいに破棄賛成投票するだけだから謀と言ってもごくごく簡単ですけど。Simple is best.
また議長も「破棄が否決されました」と言ったら名前確定の唯一の議員になって次の選挙で必敗ですし、石にかじりついても地位協定破棄を阿吽の呼吸で通すでしょうw
まとめると、「言うは難く行うは易し。地位協定皆で破棄すりゃ怖くない。地位協定破棄して福一石棺桶化。」以上。