2011年01月18日
新しい潮流-10 ~新しい潮流8 現実を対象化するための概念装置~
新しい潮流シリーズの10回目です。
今回は、るいネット必読投稿『新しい潮流8 現実を対象化するための概念装置』
の本文を紹介しながら進めていきたいと思います。
これまでのバックナンバー
新しい潮流シリーズ-1 ~社会収束1 『評価共認が生み出す同類圧力』~
新しい潮流シリーズ-2 ~社会収束2 『私権圧力を超えた外向収束の潮流』~
新しい潮流シリーズ-3 ~新しい潮流1 『社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)』~
新しい潮流シリーズ-4 ~新しい潮流2 『私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’ 90・’00年代)』~
新しい潮流シリーズ-5 ~新しい潮流3 『社会不全⇒認識欠乏の蓄積』~
新しい潮流シリーズ-6 ~新しい潮流4 『言葉それ自体が引力を持ち得ない時代』~
新しい潮流シリーズ-7 ~新しい潮流5 『実現派は仲間収束から社会収束へ』~
新しい潮流シリーズ-8 ~新しい潮流6 『解脱仲間から認識仲間への逆転』~
新しい潮流シリーズ-9 ~新しい潮流7『同類圧力は、新しい認識によって生み出される』~
このシリーズも今回を含めて2回で終了となります。そこで、これまでの流れを俯瞰してから、本題に入ろうと思います。
1回目・2回目では、同類圧力がいかなる時代でも生起する構造と、人々が外向収束へ向かうことの必然構造について書きました。
3回目・4回目では、私権統合の衰弱→崩壊に至る過程で生起する充足基調(=本源収束の潮流)と社会収束の潮流について。
5回目・6回目では、一方で高まる社会不全、しかし人々を導くにも言葉そのものの力が失われている状況について。
7回目・8回目では、蓄積された社会不全と意識の底流に流れる外向基調が、しがらみを超えた人に向かう構造、その紐帯は新しい認識であることについて。
9回目では、その新しい認識が、これからの人類の同類圧力を形成する構造について書きました。
つまり『新しい潮流』とは、本源収束・社会収束であり、それは貧困を克服し私権圧力が衰弱の過程に入った70年以降に次第に人々の潜在思念に生起し蓄積されてきた、私権欠乏にかわる新しい欠乏のうねりと、それが顕在化していく過程そのものと言えます。
しかし、そんな新しい潮流=新しい現実は、きっかけを得ない限り、明確に自覚できず潜在したままになります。そのきっかけとは何なのでしょうか?
いつも応援ありがとうございます。