近代科学の成立過程6~兵器需要と貨幣需要から発達した鉱業が近代の科学と賃金労働の起点
ウィリアム・ダグラス作 『錬金術師』
画像はこちらからお借りしました。
「戦争や市場拡大とともに発達した西洋医学」
「戦場で活躍した外科医が支配階級に取り立てられ権威化していった」では、
鉄砲・大砲という新兵器による戦傷や、貿易と市場の拡大によって登場した伝染病(ペスト・梅毒)には、中世の医学は無力であり、それに対応した外科医や理髪外科医が近代西洋医学の土台をつくったこと、そして、支配階級に取り立てられることによって権威化していったことを明らかにしました。
戦争や市場拡大のもたらしたものはそれだけではありません。
兵器需要や貨幣需要に応えるために鉱業と兵器産業が発達し、それが近代科学と賃金労働による分業という近代の生産関係の土台となります。
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山本義隆氏の著『十六世紀文化革命』から「第四章 鉱山業・冶金業・試金法」前半の要約です。
1.古代・中世の鉄の生産方法
15・16世紀の西ヨーロッパで大きく変革を遂げ発展した技術は航海と戦争、金属精錬、とりわけ製鉄技術であった。これらはヨーロッパ人が地球の支配者として立ち上がることを可能にした物質的条件である。
とくに製鉄技術の変革およびその他の金属(とくに銅と銀)の生産の飛躍的増加がもたらしたものをみてゆく。
古代から中世前期にかけてヨーロッパでは、炉は高さ1メートルあまりの筒型のもので、燃焼に必要な空気は自然通風か簡単な手動の鞴(ふいご)で供給されていた。これではそれほどの高温は得られなかった。
製鉄には大量の木炭を必要とし、炉の立地は木炭の生産に適した森林地帯が選ばれていた。
ヨーロッパに限ったことではないが、古来、鉱山業や冶金業は錬金術や魔術と密接に関わっていた。
ヨーロッパでは大地の胎内にあるすべてのものは懐妊の状態にあると考えられていた。鉱石はある意味で胎児であり、地下の鉱脈は、長い時間をかけて地中で樹木のように生い茂り生長し続けていると信じられていた。従って、鉱山はしばらく採掘せずに放置しておくと鉱石が再生され生産性が高まると言い伝えられていた。実際この話は17世紀のイングランドのロバート・ボイルも記しているのであり、生きている鉱脈の観念はヨーロッパでは科学革命の時代まで語りつがれていた。
金属の生長過程は金属が卑賤なものからより高貴なものに成熟してゆく過程であると考えられており、「妨げるものが何もなければあらゆる鉱石はやがて金になる」と信じられていた。従って、錬金術師の仕事はその阻害要因を排除することによって人為的に金属の生長を促進することにある。すなわち錬金術とは「鉱物を熟させ、金属を純化する技術」なのである。
錬金術と地続きの冶金術も神的な、魔術的な秘儀であった。
刀鍛冶は職人というよりは魔術師であった。鍛冶師は神の助手であり、その技をみだりに明らかにしてはならなかった。この秘密厳守の姿勢は、中世には職人の同業組合(ツンフトないしギルド)の縛りによって強化されてゆく。
それというのも、刀鍛冶、焼入れ師、研ぎ師の技術は高く評価されていたが、その反面、ある種の畏れをもって見られていた。中世には鍛冶が剣に魔法をかけることができ、悪魔の力を借りてすべてに打ち勝つ剣を作ることができると信じられていた。それゆえ一方で「親方になろうとする鍛冶職人は、魔法をしないと誓わねばならなかった」のであるが、他方で、その技術は一子相伝の秘法とされ厳格に管理されていた。
金属加工のこのような閉鎖性とたこつぼ化は、その技術の秘密をきわめて狭いグループの内部に閉じ込めることになった。
水力ふいご(溶鉱炉、製鉄炉)
画像は「自然の摂理から環境を考える」からお借りしました。
その後、戦争の主力兵器が鉄砲大砲になることによって、製鉄需要が急増しヨーロッパの製鉄技術が発達してゆきます
2.製鉄方法の近代化
この事情が大きく変化するのが16世紀である。この時代になって、鉱山業・冶金業にかんする技術文書が出回りはじめる。それは、15世紀中期の印刷術の発明に負う所が大きいが、それとともに金属精錬の技術と形態が大きく変化し、また生産規模が急速に拡大し、関連事業に就労する人口が増加し、組合による縛りが緩みはじめたことによる。
製鉄技術について言えば、変化は水力利用から始まった。水車は12世紀に砕鉱に利用されるようになり、炉の立地はしだいに河川沿岸に移っていった。決定的な変化は炉自体の大型化とともに鞴(ふいご)も大型化され、その駆動に水車がもちいられるようになったことにある。14世紀のことである。これによって、炉内の温度がはるかに高くなり、融けて液状化した鉄が得られるようになり、この溶銑から均質の鉄を作り得ることが判明し、しかも鋳鉄需要が高まったので、ここから高炉の建設が始まる。
この溶銑を直接鋳型に流し込むことにより鉄の大量鋳造が可能になる。この銑鉄は炭素を多く含み硬くて脆いが、これを精錬炉で燃やし含有炭素を減らせば錬鉄が得られる。こうして、高炉での銑鉄製造と精錬炉での精錬という二段階の近代の製鉄方法の基本手順が確立され、以後、製鉄所の立地には、動力に水の使える場所として川岸が選ばれるようになった。
この技術革新の背景には、火薬の発明による軍備と戦術の変化があった。
火砲と大砲を主力兵器とするにいたった戦争形態の変化が城壁と騎士に守られた封建領主の軍事力を無力にし、中世を崩壊させる遠因となる。そして16世紀の王権による常備軍の形成は、刀や槍にかわって大量の鉄砲や砲弾を必要とすることになり、青銅とともに鋳鉄の大量需要を呼び起こした。高炉方式の導入を促したのは、鉄製大砲の需要の増加であった。
こうして高炉による鉄の大量生産が始まると、炉はより大型化され、製鉄所の経営規模も拡大してゆき、その経営形態も変化していった。そこで働く職人が自営業者として各工程を請け負っているのではなく、賃金労働者としての職人に資本家が各工程を割り当てている。製鉄工程が変化しただけではなく、労働形態もが変化している。
製鉄業の資本主義的組織への移行は、高炉の発明と密接に結びついていたのである。
こうなると中世の組合制度はむしろ桎梏となる。その変化を加速することになるのが、製鉄や冶金の技術文書の16世紀における登場である。技術が組合の秘伝であった時代は去りつつある。
資本主義の生産関係、つまり資本家-賃金労働者という階級分化の起源が、近世西欧の製鉄業の生産規模拡大と分業化にあることが一つの注目点ですが、ヨーロッパの金属加工業の発達の背景として、貨幣鋳造需要の増加も見逃せません。
3.試金と冶金の技術の暴露
ヨーロッパの鉱山業は12世紀から成長をつづけ、14世紀中頃にひとつのピークを迎える。ところが、1348~51年の黒死病の大流行でヨーロッパの人口が激減し、多くの鉱山が見捨てられた。しかし、15世紀前半に人口がしだいに回復するとともに、正貨と火砲のための金属需要が供給量を上回るようになって、15世紀なかば以降、鉱山業が有望なビジネスになった。
とくに1453年までつづいた英仏戦争をフランスの青銅砲が終結させた直後から大砲の需要は長期におよび急成長の段階に入った。のみならず、銅と銀は、当時、西アフリカやアジアとの交易品として、また貨幣の鋳造や武器の製造の素材として重要性を増した世界商品であった。
このように1450年から1530年代まで、ヨーロッパにおける金属鉱石の生産は拡大をつづけたが、それは、硬貨鋳造と軍事目的の強い要求に基づいていたのである。
こうして青銅の主要な原材料としての銅の産地であって、しかもヨーロッパ経済のための通貨としてもちいられた銀の大部分を供給した中部ヨーロッパに空前の鉱山ブームが到来した。1450年から1530年までの間に、中欧における銀や銅やその他の金属の生産量は実に数倍に増加したと言われる。
技術面で見れば、銅鉱にふくまれている銀を鉛をもちいて抽出する方法が1451年にヨハネス・フンケンにより開発されたことが、中部ヨーロッパの採鉱業と冶金業の発達に大きな刺激を与えた。
それは銀と銅の生産を同時に高めることになり、一説には「ルネサンス期工業の発展にとっては、この発明は数年前の印刷術の発明より重要であった」とまで言われている。
鍛冶職人の技術においても、錬金術の神秘性を一段上位のものと認めつつも、冶金技術が錬金術の伝統から自由になろうとしていた。当時印刷された冶金術の冊子では、錬金術が開発したテクニックの実用使用法を記したもので、使用されている言葉は平明で具体的であり、中世錬金術の比喩的な用語や意味不明なシンボルもない。そこには、錬金術と地続きに見い出された技術であるにせよ、それを隠匿するのではなく、むしろ積極的に広く公開し、多くの者の経験をくみ上げ共有化してゆこうとする近代的な志向が明確に読み取れる。それは技術と技術者が近代科学の形成に参画してゆく大きな契機であり、そのことが16世紀文化革命を特徴づけるものである。
水車による鍛造(貨幣の鋳造、金属の鋳造)
画像は「自然の摂理から環境を考える」からお借りしました。
兵器需要と貨幣需要に応える鉱業技術者を庇護したのも、金貸しあるいは都市の貴族でした。
当時の鉱業技術者の代表がビリングッチョです。
4.ビリングッチョをめぐって
ヴァンノッチョ・ビリングッチョは1480年にイタリアの商業都市国家シエナの建築家の家庭に生まれた。
火器と火薬の製造に従事し、とくに大砲の鋳造と穿孔には深い経験を有する軍事技術者のようである。シエナは以前にもタッコラやフランチェスコ・ディ・ジョルジョといった軍事工学にくわしい技術者を輩出している。強力な隣国フィレンチェの圧力や度重なる傭兵隊の略奪が軍事技術への関心を高めたのかもしれない。
ビリングッチョはシエナの有力貴族ペトルッチ家の庇護で青年時代にイタリアとドイツを旅行して鉱山業・冶金業を視察し、帰国後、鉄鋼山と製鉄所で働き、1513年にシエナの兵器製造廠に就職した。1515年・26年のシエナの人民蜂起にさいしてはパトロンの貴族とともにシエナから追放されたが、29年にはフィレンチェ共和国のために巨大なカルヴェリン砲を鋳造し、30年にあらためて追放解除となり、シエナに戻り、31年から武器の鋳造や要塞の建設の仕事に従事している。1536年には教皇パウルス3世によってローマに職を与えられ、38年に教皇庁の鋳造所の責任者に任命されている。
彼は政治的には庇護者の貴族と運命をともにしたが、根っからの技術者で、大学教育やスコラ学とは無縁であった。
その著『ピロテクリア』の特徴の第一は、新しい産業社会の経営者の視点で書かれていることにある。
「鉱石が存在し、いかなる金属がどのくらいふくまれているかが判明し、算盤をはじいて予測し、経費がかかっても十分な収益が見込まれるならば、勇気をもって着手し、細心の注意をはらって採鉱をつづけるように私は勧める」「山はすべての富の母胎であり、山には宝が埋まっている」とあるように、本書は技術者のための技術書であるだけではなく、鉱山と精錬所経営のための指針であり手引きであった。
同書の第二の特徴は、それまでの知識人にひろく浸透していた手仕事にたいする蔑視がまったく見られないことにある。しかも著者は、その作業の実態、現場の労働者の実情を熟知している。著者は「私は自分自身の目をとおして得た以外の知識はもっていない」とはっきり断っている。その内容を構成しているのは、中世の文書偏重の学の対極にある経験と実践にもとづく知である。
そして本書の第3の特徴は、定性的観察だけではなく、定量的測定の重要性が隋所に指摘され実行されていることである。自然科学(化学)の観点からとくに注目すべきことは、金属を燃やす(=高温で酸化させる)ことによる質量増加を定量的な測定をふくめてはじめて記述したことである。
新しい技術である火砲に使用される火薬の硝石と炭素と硫黄の重量比率が、砲の大きさに応じて3通り与えられている。すなわち、重い大型の砲では3:2:1、中位の砲では10:3:2、火縄銃やピストルのような小火器では10:1:1。また、最新の技術である活字鋳造に用いられる合金の成分が、定量的な重量比とともに記されている。
また、定量的測定の重要性が経済的利害から論じられている。
アリストテレス自然学は質の自然学であり、そこには定量化への志向が希薄であった。それに対して近代になって定量化の視点が登場した背景には、他でもない商品生産と貨幣経済の広がりがある。
もちろん技術者だけがその影響を受けたわけではない。生産された鍛鉄を「注意深く秤量すること」は資本家としての工場主の義務であった。賃労働による商品生産という形で進められる生産規模の拡大と分業化は、関与するすべての者に対して厳密な定量化を促し「計量と計測の精神」を植えつけたのである。
西欧の製鉄業で費用対効果(算盤勘定)の視点から定量化・計数化志向が登場したのは、製鉄業が兵器需要と貨幣需要に応える先端産業だったからでしょう。その意味で、西欧の製鉄業は資本主義的生産関係のプロトタイプと言えるかもしれません。
5.錬金術と各種の技術
そして近代化学が成立する以前に、化学にとって基本的な事実を見出し、必要な知識を蓄積していったのは、このような16世紀の技術者の実践であった。冶金や試金の領域では「16世紀や17世紀には職人の知識は理論のはるか先を進んでいた」のである。
これまで錬金術は近代化学のひとつの起源だとしばしば語られてきた。
それは間違いないが、錬金術がそれまでに開発してきたテクニックが近代化学と近代技術の財産目録に加えられていったのは、16世紀の実際的な職人や技術者の努力による。技術者による錬金術技術の継承というワン・クッションを置いてはじめて、錬金術の知識と技術が17世紀以降の化学者の手に届いたことを忘れてはならない。
ところで、錬金術が近代化学と決定的に異なるのは、錬金術のもつ秘密主義と韜晦体質であったが、その点を克服したのもまた、ビリングッチョをはじめとする16世紀の技術者たちであった。
ビリングッチョの『ピロテクニア』の特徴は、新しい技術を記しているだけではなく、それまでギルドやツンフトの内部でのみ語り継がれていて世に知られていなかった技術を、初等教育を受けてさえいれば職人でも読める俗語で公表したことにある。それは、たんに教化や啓蒙というよりは、より積極的な「秘密の暴露」の性格を隋所に示している。金属鋳造の技術の詳細も、同書によってはじめて公にされた。
それまで秘密にされてきた技法・ノウハウを手に入れるために、ビリングッチョは並々ならぬ意欲を示している。
ビリングッチョは知識の公開それ自体を重視していたのであり、この点では彼は錬金術の韜晦体質や中世の職人組合の秘密主義を超克していた。彼は徒弟制度によらず自力で広く知識を習得した技術者であり、自立した技術者として貴族に庇護され、あるいは市や教皇庁に雇われている。彼にはギルドやツンフトの縛りを気にしなくてよい自由な立場にあったと考えられるが、それと同時に中世の組合の融解がすでに始まっていたのである。
この時代には、その他にも、それまでギルドの内部でのみ知られていたマニュアルやレシピの類がいくつも書かれ印刷された。それらはデッラ・ポルタの『自然魔術』(初版1558年)にいたるまでの「秘密の書」と総称される一群の冊子であり、それらが実験を奨励し、17世紀の実験科学の興隆の土台を形成した。
手工業が資本主義的経営に移行するにつれて、職人や技術者による技術知識の公開は、多くの分野で始まっていたのである。そしてそれこそが錬金術を過去にものにしていった動きであった。
富める者と貧しきもの(小学館・大百科辞典)
画像は「金貸し、国家を相手に金を貸す」からお借りしました。
この論稿から発掘される論点をまとめると、
【1】ヨーロッパにおける鉱業を発達させたのは、鉄砲大砲という軍事需要と市場拡大による貨幣需要の急増である。
【2】製鉄業において生産規模が拡大し分業化が進行し、賃金労働という労働形態が登場し、資本家-賃労働者という階級分化が始まった。
【3】製鉄所経営においては費用対効果(算盤勘定)の視点から計数化志向が生まれ、合金製造の必要も相まって、定量化と計数化を金科玉条とする近代科学成立の土台となった。
【4】当時の鉱業技術者は商業都市国家の有力貴族、つまり金貸しに庇護されてきた(その代表格であるビリングッチョの経歴を見れば明らかである)。
商業国家の金貸し(貴族)たちは都市の防衛の必要だけでなく、戦争と兵器が商売のネタになると目をつけ、鉱業と兵器産業を拡大すべく鉱業技術者を庇護したのであろう。
その中心が現在の金融国家、かつヨーロッパの兵器産業の中心地スイスである。兵器需要と貨幣需要の合流点が、金貸しの拠点スイスとも言える。
『るいネット』「ヴェネチア~十字軍・騎士団~スイス都市国家」より引用。
1200年前後 スイスで都市国家成立
・紀元前からヨーロッパ全域を支配していたローマ帝国が略奪及び交易により蓄積した莫大な財は、次の支配者である神聖ローマ帝国(現在のドイツを中心とした領域を支配)に受け継がれていった。
・962年に成立した神聖ローマ帝国の皇帝による絶大な権力による支配は、部下である貴族達に大きな不満をもたらす。貴族達は異民族をそそのかし、戦争を引き起こした。相次ぐ戦争により多額の借金を背負うことになった皇帝は、担保としていた領土を貴族達に奪われていく。こうして、皇帝の権限が及ばない土地が貴族達のものとなり、都市国家として独立して行く。
・1200年前後になると、スイスは精密機械工業、兵器産業を中心に発展していたが、そこにヨーロッパ中で商業ネットワークを構築した騎士団やヴェネチアで富を蓄えた金融家が金融技術と共に移住してくる。皇帝に反逆した貴族達は、兵器と産業と金融が揃っていたスイスに結集し、国家を結成していく。これが現代まで続く金融国家スイスの起源であり、ロスチャイルドすら彼ら貴族の「使い走り」に過ぎない。
山本義隆氏の『16世紀文化革命』にも「製鉄所の立地には動力に水の使える場所として川岸が選ばれるようになった」と記されているが、強い水力を得られるのが山間部である。従って、スイスのような山間部が産業地帯となり、さらにスイスでは、現代の時計につながる鉄砲、刀等の精密機械業、金属加工業が発達し、山間部で火薬原料も採掘された。加えて、当時の銀や銅の産出地に近いという地理的条件も加わって、スイスが金貸しの拠点となっていった。
実際、1450年から1530年までの間に、中欧における銀や銅やその他の金属の生産量は実に数倍に増加したとのことである。金貸し(貴族)にとってはまさにビッグチャンスである。
鉱業・兵器産業、さらには貨幣鋳造を拡大させるためには、中世の職人組合による技術の秘匿は阻害要因でしかない。拡大させるには技術マニュアルを公開し、職人たちを賃金労働者化して大量雇用した方が得である。その期待に応えて、職人たちから技術を盗み、それを公開していったのがビリングッチョら、つまり金貸し(貴族)に庇護された技術者たちであろう。
こうして、金貸し(貴族)による軍需と貨幣需要によって、ヨーロッパの鉱業と兵器産業が発達し、それが定量化・計数化を武器とする近代科学の土台を築き、同時に賃金労働による分業という近代の生産関係を生み出した。
近代の科学と近代の生産関係(資本家-賃金労働者)は実は共通の起点をもつ。
それは兵器需要と貨幣需要によって発達した鉱業(とりわけ製鉄業)だったのである。
ここで近代市場社会の原型が出来上がったとも言えるだろう。
それは、職人組合(ギルドやツンフト)という集団の担い手であった職人たちをバラバラの個人(雇われ人)に解体し、かつ生産の場(職場)と消費の場(家庭)が完全に分離することを意味する。それによって、西欧人たちの自我・私権性はますます肥大していったのではないだろうか。
言うまでもなく、それを正当化したのが近代思想である。
ということは、近代思想と近代科学は(根っ子はルネサンスの性的自我だが)直接的には兵器需要と貨幣需要から発達した鉱業・製鉄業から生れた双子であるとも言えるだろう。
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コメント12件
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