2011年11月10日
10/9なんでや劇場レポート(2)~現在求められているのは、共認収束の新パラダイムに則った観念 ~
「10/9なんでや劇場レポート」第二弾です。
●10/9なんでや劇場3 現在求められているのは、共認収束の新パラダイムに則った観念より
ここまでの検討で、それぞれの時代が求めるパラダイムの軸上にある思想しか登場しなかったことがわかる。
例えば、古代思想が登場した背景にあったのは、東洋では社会統合期待、西洋では救い期待で、共に安定期待という概念で包摂することができるが、古代にはこの安定期待のパラダイムに沿った認識しか登場しなかった。性欠乏・物的欠乏⇒私権拡大を正当化したのが近代思想であるが、ここでもこのパラダイム上の認識しか生み出されなかった。
前回の記事では、古代宗教・近代思想が登場した背景を追求しました。
そして、古代宗教については、東洋では支配者層による長引く戦乱⇒社会統合期待から儒教が登場、西洋では皆殺しや奴隷制の常態化⇒救い期待からユダヤ教やキリスト教が登場、そして近代においては、性欠乏・物的欠乏⇒私権拡大の正当化から近代思想(平等・民主主義等)が登場したことが明らかになりました。
ここまでの検討から、新しい思想(観念)は、それぞれの時代が求めるパラダイム(古代なら安定期待、近代なら性欠乏・物的欠乏)の軸上でのみ、生み出されることがわかりました。
では、新しく生み出された思想は、その後どう進化するのか、しないのか。そして私権収束⇒共認収束(パラダイムの大転換)という新しい現実に、どう適応していくのかを考えていきます。