2011年11月18日
共同体社会の実現に向けて-9 ~実現論 序3.市民運動という騙し。民主主義という騙し。(その2)~
みなさん、お久しぶりです。
まずは一番上のタイトルをもう一度着目してみて下さい ・・・『市民運動という騙し。民主主義という騙し』とあります。
一読すると、過激で『えーっ!?』と思われる方も多いと思われますが、その感覚こそが「市民運動」も「民主主義」も疑うことなく『良かれ』 と盲信している証かもしれません。
・・・振り返ってみると私たちは、幼少から学校で洗脳教育を受け、日々のマスコミ情報を通じて現代固有の社会通念や常識が染み付き、市民運動は善、民主主義は正。と思い込まされているのだと思います。
先回私たちは、歴史的に、全ての市民運動は大衆の願いを実現できなかった事、そして市民運動という“美名”の裏に潜んでいる構造的な欠陥(願いを実現できない理由)を学びました。→『市民運動という名のペテン』
続いて今回は、「民主主義」の象徴ともいえる『議会』について、『金貸しの暴挙にお墨付きを与えるだけの議会』という切り口で切開していきます。
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