2011年11月11日

近代科学の成立過程5~戦場で活躍した外科医が支配階級に取り立てられ権威化していった~

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前回は山本義孝氏【十六世紀文化革命】から「第2章 外科医の台頭と外科学の発展」の前半を要約しながら医学の発展過程を見てきました。
古代ギリシャ時代から中世以降の医学は科学の発展に伴って、神に近い存在であった医者が現実社会、生活の場に降りてくるようになった。そして医学が戦争と市場拡大に欠かせないものとなりました。
今回は現実社会に降りた医者たちの存在。そして戦場における医者(理髪外科医)の活躍と躍進について見ていきたいと思います。
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著:山本義隆氏「十六世紀文化革命」(みすず書房)より引用

6 パラケルススと外科学
中世からルネサンスにかけて、医学において後進国であったドイツで16世紀に登場した破格の人物がパラケルススである。
彼はイタリアの大学で受けた教育や見聞した大学の現状に失望した。
その当時の特権的アカデミック医学は現実にあまりにも無力で、まさに机上の医学であった。それに対して、彼の考える医学、医師に必要とされるものは、第一に研究と教育の基本に臨床の経験と患者の現実を据えるという立場であり、第二に、民間に語りつがれている医療から謙虚に学ぶという姿勢である。
その成果として挙げられるのが、抗夫病の発見や梅毒についての臨床観察記録である。
抗夫病は1533年にチロル地方の鉱山地帯を訪れた彼が鉱山や精錬所の危険で劣悪な労働環境と、そこの労働者に顕著に見られる疾病に着目して見出したものである。
彼は慢性呼吸器疾患としてのその症状を記録し、その原因を塵肺および砒素や水銀や鉛の蒸気によるものであることを突き止めた。医学史上、初めての職業病の発見である。
彼は医学思想において何よりも重要なことは、医学と外科学が単一不可分なものであると述べている。疾病を診察するのは医学であり、実際に処置を行うものは外科医であると彼は言う。患者が求めるものは医師であり、且外科医なのである。
医師と外科医が大きく隔てられていた当時のヨーロッパでは革命的思想であった。
実際のパラケルススの思想は、特有のキリスト教博愛主義と新プラトン主義の思想が背景にあり、占星術と錬金術をも包摂し、一部は自然魔術にも通底した、きわめて複雑で神秘的な要素をふくみ、必ずしも近代的に割り切れるものではない。

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7 アンブロアズ・パレ
16世紀外科学の世界でフランス人アンブロアズ・パレの功績は一頭地を抜いている。
彼は大学で権威的アカデミック医学を受けることなく、晩年にはフランスで最高位の外科医にまで登りつめた。それは彼の鋭い観察力、権威的医学に囚われない思考、そして旺盛な実証精神と傷者を思い遣る人道主義の賜物であった。
 彼は新しく登場した大砲などの火器による火傷の治療に対して、ジャン・ディ・ヴィーゴの古い書物の内容(火器による火傷は火薬の毒でおかされているので、その治療には火傷するくらい暑く煮立てたニワトコの油に少量のテリアカを混ぜたもので焼灼する)を信じることが出来ずにいた。
しかし彼が従軍医師として参戦した戦場ではそれが当たり前のように行われていた。ある日、書物の治療が出来ず化膿薬だけでしか治療をすることが出来なかった患者がいた。しかし書物の治療を施した患者より、その患者の方が治りが早かったのである。
 又、ある戦場で火傷した兵に対して、通常の冷え薬(化膿薬)での治療を行おうとすると、地元の老婆が言った。「初期治療の段階では少し塩をふった生のたまねぎをあてがうとよい」。彼はその治療を実験的に行った。結果、通常の冷え薬よりも火脹れがなくなっていた。
たたき上げの彼には権威ある書物よりも現場での経験が重きをなしていた。そのため民間に語り継がれている治療法を馬鹿にせず実際に確かめてみることをよく行った。そして新しい治療法を実施した場合としなかった場合を比較して、その有用性を判定するという近代的な対照実験を施している。更に一回の試行で早急に結論を下さず、反復して実験を試みる。
以上のように戦争での従軍医師として活躍することで、王の外科医の一員に任命されるようになった。更には1562年にはルーアン遠征に従軍し、シャルル9世の首席外科医に任命され、64年から66年には王室の巡幸に随行している。

鉱山病の発見の背景には市場拡大により貨幣の需要が高まり、それに伴い鉱業が拡大することで、鉱山病の増加に繋がったということが考えられます。そういった社会の変化によって発生した新しい病に対して、古代書物に書かれている治療法では無力であることが認識され始めたのです。
そして戦場では実際に処置を施している経験の多い理髪外科医が医師として活躍することが可能だったのです。当然戦場での活躍は国の利益にも繋がり、結果として彼ら理髪外科医達が王の外科医や王側近の外科医まで登りつめることが出来たのでした。
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8 パレとパリ大学医学部 
従軍につぐ従軍という驚くほど活動的な生涯を送りながら、パレは何冊もの論文、著書を残している。それらの著書は専らパレの経験に基づく内容である。
彼は過去の権威者の所説も踏まえているが、それ以上に自身が何度も実際に試し、成功した例、経験を重んじ、その内容を記している。しかし当時のパリ大学医学部の医師達は激しい批判を浴びせその著書販売の妨害をした。
彼らの批判は全く自身の経験からではなく、古代図書に書かれた内容でしかなく、実際には役に立たないものであった。又それがいかに愚かなことであるかも知らなかったのである。パレの著書は文書編重の机上の学から臨床重視の実践的知へと、患者不在の医学から患者のための治療へと転換させた。
またそれだけではなく、字(フランス語)が読めない人たちにも読める本を書いたことで、大学医学部による知の独占に風穴を開け、高等教育を受けていない現場の外科医や理髪外科医たちに、努力と能力さえあれば科学としての外科学に平等にアクセスできる道を開いたのである。
9 イングランドの事情
 イングランドにおける俗語医学の伝統は西ヨーロッパでもっとも古い。オックスブリッジの教育はパリをモデルとしたものであり、医師が外科処置や調剤に手を染めないというのは同じである。更に大学出の医師、外科医、理髪外科医、薬種商、無資格医師というヒエラルキーも厳然と存在していた。しかし黒死病などの疫病と英仏百年戦争でもって、情況は大きく変化する。
 新しい疫病が流行した際にはアカデミズム医学が役に立たないということが明らかになり、又戦争での新しい戦機(重火器)による負傷者に対しての処置も同様に役に立たなかった。実際に処置された方法は従軍治療であった。
1339年のエドワード3世の遠征から1513・14年のヘンリ8世の遠征までのイングランド軍の全ての軍事行動に、国王は大部分が外科医からなる医師団を帯同させた。そのことで外科医たちは威信を高めるとともに、日常での常務では得ることが出来ない多くの貴重な経験を積んでいった。
 イングランドでは外科医の組合と理髪外科医の組合がフランスのように厳しくは対立していなかった。両者は提携の意を表明し、外科医と理髪外科医が都市住民に対する医療サービスの提供でより大きな役割を果たすようになった。アンブロアズ・パレとほぼ同世代のトマス・ゲイルは徒弟修業で育った理髪外科医であるが、イングランド艦隊に軍医として乗り込み、スペイン無敵艦隊を撃破した後、その活躍を認められ、パレ同様に女王の外科医に任命される。 
 それに対して大学出の医師たちは守勢に立たされていた。その医師たちが巻き返す契機がヘンリ8世によるロンドン王位医師協会の勅許であった。この協会は寡頭独占団体である。ロンドンから7マイル以内の医師を監督し、開業の許認可を与える権能を有し、統制違反に対して、罰金を科した投獄する権限さえ与えられていた。この協会の設立は医師の数を少数に限定することで上流階級のきわめて限られた数の金持ち患者のシェアーを維持していたのであり、大多数の民衆とはおおよそ無縁な存在であった。イングランドの一教主は「医術は金持ちだけに準備された治療法であり、貧乏人のためのものではない。なぜなら貧乏人は医師を雇うことが出来ないからだ。」と明言している。
 
 地方医療に関しては英語なら読める程度の「村の知識人」が正業の合間に地域の病人を診て回っていた。なんらかのライセンスを有しているわけではないが、地域の共同社会内部で医療従事者として受け入れられていたのであり、そのようなケースは各地で見られたと思われる。庶民の治療は従来通り、共同体的治療が施されていました。その活動を支えていたのが、当時イングランドに普及していたいくつもの俗語医学便覧の存在でした。

パレの活躍により、大学医学教育の無能さが露呈し、且実際の医療行為の重要性が明らかになりました。更に数々の俗語による書物の出版が大学医学の知の独占を防ぎ、学のないものにも努力と能力さえあれば科学にアクセス出来る道を切り開いたのです。
そして戦争の勝敗、国の利益と医学の発展が密接に絡んでいたと考えられます。戦争での新たな武器として重火器が登場することで、正しい治療の出来る外科医の需要が高まり、活躍することで支配者階級にとりたてられ、権威化していきました。以下は、西欧の戦争の歴史と重火器の登場をまとめたものです。
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 ■戦争の歴史と重火器
1096 第1回十字軍
1118 ヴェネツィア・東ローマ戦争
1147 第2回十字軍
1172 ヴェネツィア・東ローマ戦争
1189 第3回十字軍
1202 第4回十字軍
1215 第1次バロン戦争 英内乱
1217 第5回十字軍
1228 第6回十字軍
1241 モンゴル軍がポーランドに侵攻
1248 第7回十字軍
1264 第2次バロン戦争 英内乱
1270 第8回十字軍
1339 イギリス・フランス百年戦争
1340 ハールィチ・ヴォルィーニ戦争 リトアニア大公国vsポーランド王国
1366 第一次カスティーリャ継承戦争 カスティーリャ王国の内戦
1381 第1次リトアニアの内戦 ドイツ騎士団vsリトアニア大公国
1389 第2次リトアニアの内戦 ドイツ騎士団vsリトアニア大公国
1419 フス派vsカトリック マスケット銃の発明→はじめて手銃器を使った戦争
1431 第3次リトアニアの内戦 ドイツ騎士団vsリトアニア大公国
1450年 英仏百年戦争末期:英敗退時(ノルマンディー、ボルドーからの英軍の撤退)火薬を使った大砲
1453年 東ローマvsオスマン帝国・東ローマ滅亡時(コンスタンティノープルの陥落)火薬を使った大砲
1454 十三年戦争 プロシア連合vsドイツ騎士団国
1455 バラ戦争 英内乱
1460 オスマン・トルコ帝国がギリシア全土を支配
1474 ブルゴーニュ戦争 ブルゴーニュ公vsフランス王
1492年 レコンキスタ:約250年も続いたキリスト教vsイスラム教がキリスト教の勝利で終わる(グラナダ陥落)改良型大砲
1494 イタリア戦争 ハプスブルク家vsヴァロワ家 車輪付砲架を備えた大砲
1542 第4次イタリア戦争 騎兵用の短銃がスペイン帝国領のドイツで開発され対仏戦に使用される。
1562 ユグノー戦争 フランスのカトリックvsプロテスタント
1568 八十年戦争(オランダ独立戦争)
1588 スペインの無敵艦隊、ドレイク率いるイギリス海軍に敗北
1618 三十年戦争
1652 第1次英蘭戦争
1689 英仏戦争(第2次百年戦争)
1700 北方戦争 スウェーデンvsロシア

10 医学における俗語使用の問題
西ヨーロッパの多くの国で、旧来の古典医学に固執している大学医学部をしりめに、新しい医学の教育と研究は、大学教育を受けていないにせよ、豊富な臨床経験を有する外科医や理髪外科医によって担われ、その成果が彼らの俗語書籍に発表されるようになっていた。翻訳とういう形でインターナショナルな影響さえ有していた。しかしそれは平坦な道ではなかった。
外科医により俗語書籍の出版にアカデミズム医学は抵抗を続けていた。哲学や倫理を知らない者は真の医師にはなり得ない。そもそも高等教育も受けず、ラテン語も読めない職人風情の理髪外科医のごときが専門書を書くこと自体が僭越にして許しがたいという、大学の医師たちの抜きがたい差別意識が透けて見える。その医師たちの差別意識は古代から受け継がれてきた神聖な学問の奥義は選ばれた者にのみ開示さるべきで、資格のない者にみだりに明らかにしてはならないという論理によって正当化されていた。
中世後期からルネサンス期にいたるまでの西ヨーロッパの大学医学部にとって、医学とは端的に机上の学問であり、治療法である以前にアリストテレス自然学にもとづく理論的知識であり、ガレノスやアヴィケンナによるその解釈であった。
しかしガレノスやアヴィケンナの書のような過去の典籍を不磨の経典として崇める大学医学は、黒死病のような未曾有の惨劇や、重火器による銃創、そして梅毒の流行のような新しい状況に対して、、完全に無力を露呈することになった。にも関わらず、臨床の経験から学ぶ術も、姿勢も持ち合わせていないアカデミズム医学は、自己変革することもできず、袋小路にはまりこんでいた。これが16世紀初頭に大学医学部の置かれていた状況であった。
他方で、病気で日々患者の治療にあたり、戦場で数多くの負傷兵に接する外科医や理髪外科医は、臨床の経験を蓄積し、従事者としての腕をあげていき、新しい状況にそれなりに適応していくことができた。実際、16世紀の医学・医療の変革は外科医、理髪外科医の実践と研究から始まった。

今回は主に大学医学の無能さと理髪外科医の実践的処置による医学の発展。そしてそれによる戦争での活躍と権威獲得を見てきました。
机上の医学だけの医療が発展しないのは当然であり、実際の課題に直面し、それに対して様々なことを顕著に学ぶ姿勢のあった理髪外科医が活躍することも当然だと言えます。
『るいネット』「大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく」にあるように、大衆の救い期待に応えたのがキリスト教会であり、その教団の支配下にあったのが大学医学部です(大学内の序列が①神学部、②法学部、③医学部であったことが中世の大学が教団支配の下にあったことを示しています)。
一方、十字軍遠征によって戦争によって濡れ手に粟の儲けを手に入ることを金貸したちや商業貴族たちは確信しました。そこで、1300年代には、金貸しや商業貴族たちが私権拡大のために国家をそそのかして戦争を煽り始めます。
『るいネット』「金貸しを支配する勢力①-ロスチャイルドのボス達-」
その結果、上記の西欧の戦争年表にあるように、十字軍遠征が終った1300年代にはヨーロッパ内部で戦争が絶え間なく頻発するようになります。さらに、1400年代には鉄砲・大砲が主力兵器となり戦争はますます激化してゆきます。
ところが、重火器による戦傷には、キリスト教団の支配下で観念論を振りかざす大学医学では全く役に立ちませんでした。
そして、戦争で活躍する理髪外科医を金貸しや王族が取立て、権威を与えるようになりました。このように、西洋医学は戦争とそれを煽る金貸しと共に発展していったと言っても過言ではありません。

そしてそれ以外にも戦争によって発展したものがあります。それは鉱業、とりわけ製鉄業と貨幣鋳造業です。
次は戦争と鉱業の発展について見ていきたいと思います。

List    投稿者 KAWA | 2011-11-11 | Posted in 13.認識論・科学論10 Comments » 

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コメント10件

 通りすがり | 2012.11.18 19:14

ブログ主様やブログをご覧になられている方々は
元外務省の孫崎享氏の「戦後史の正体」「アメリカに潰された政治家たち」という書籍をご存知でしょうか?
今の政治の状況を考える上でとても参考になる書籍だと思いますので、まだご覧になられていない方は、衆院選の前までに立ち読みでもよいので、ご覧になられることをお薦めします。

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特許が関わる事件に巻き込まれましたが。裏で大きな事件と関連しています。相手側が事件を取り下げたのは2001年8月28日、2週間後の2001年9月11日に法律的に45億円の損害賠償請求事件は無くなりました。 私の弁護人、橋下徹は弁護を装い存在しない事件の弁護をしました。裁判所の違法証拠を持ってるため、これを日本の法曹界の立ち直るために使いたい。鬼塚英昭師とお会いしたいのでよろしくお願いします。

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