【情報戦】3.情報とは闘争において可能性を発掘するための徹底した対象探索、対象同化の果てに得られる
これまで、【情報戦】のシリーズでは、情報戦に弱いといわれる日本人が情報戦に勝っていくための突破口を探るべく、情報の意味や情報戦とはそもそも何なのかを歴史を遡って追求してきた。この間の追求で見えてきた情報の意味や情報戦とは一体どういったことを意味しているのかを一度まとめてみたいと思う。
情報の意味を考えるとき、その根幹にあるのは、外圧=内圧の構造である。つまり正しく外圧を捕らえてはじめて適切な行動が可能となるのだから、対象探索=情報収集こそ闘争に勝つための第1歩なのだ。そしてその次に大切なのが自らの力の可能性を探ること=内圧形成である。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という孫子の格言はこの構造を言い当てている。
実際、動物の歴史を振り返ってみると、対象(自然外圧及び種間闘争外圧)を的確に捉えるために、感覚機能は発達してきた。
サルは、樹上という第4の世界を独占し、異常繁殖した結果、同類闘争を余儀なくされたが、その結果、いくら対象分析を推し進めても、勝者は一握りの強者のみ。大多数の弱ザルには突破口はない。そんな状況で弱ザルたちは、対象分析の果てに、「相手も自分を同じ弱ザルなんだ」と、認識し、共認(共感)回路を形成した。この共認(共感)回路も対象分析の先に生まれたものであるが、それだけで対象(敵)を突破することはできなかった。
しかし、そのような過渡的な状況があったとしても、対象直視し続けたサル・人類の共認機能は、最終的には対象を突破する地平へと収束していった。それが共認機能が対象直視の果てにたどり着いた精霊信仰であり、その先に人類が獲得しえた観念機能である。
まず原始人類達は圧倒的な自然の力(=対象)の背後に、目に見えない力(の塊)を感じた、それが精霊なのではないか、と私は思います。
この背後に目に見えない力を感じたものはおそらく「気配」を察する、感じるという共認回路ではないかと思います。だからこそ精霊は一つ一つの対象の背後、つまり万物に存在しえたのでしょう。それらは極めて具象的です。だからその場合、もし充足=統合イメージまずありきということであれば、必ずしも具象的なそれに行き着かず、もっと一般的なイメージになったのではないかと思われます。
さらに、始原人類は徹底した対象直視です。既に共認機能を獲得した人類は本能回路では突破可能性の見つからない自然対象に対して、仲間に取ったのと同じく、とことん「対象の語るところに耳を傾け」、対象の「潜在思念」を読みとろうとする思考ベクトルを取ったのではないか?と類推します。
つまり自らの持つ探索回路=可能性を探る回路を、適応欠乏に基づきフル作動させた結果、先端機能である共認機能に収束したであろうことは想像に難くありません。
しかし仲間と違って自然は必ずしも応えてくれるわけではありません。ここではだから突破不可能な不全に対して、充足可能性だけを探索すると言う充足状態を求める適応欠乏に導かれたベクトルも同時に働くと考えられます。これは現代人に見られる答え=突破口がないので充足収束するという適応欠乏の習性の現れと同様です。つまり共認機能と、不全感からの脱出方法=突破口がないので充足可能性に収束する充足収束の回路が、共認回路と相乗収束した物、これが超越統合の原点ではないかと思われます。
なおここでは充足収束する上で同一のリズムの繰り返し=おどりも大きく寄与していると思われます。
対象に対して意識を凝集させる事でトランス回路が作動します。少し変な事例ですが、F1レーサーである”セナ”は猛スピードでコースを疾走している時に「コースの果てに神を見た」ことが度々あったそうです。これは極度の緊張と対象に対する集中と同一のリズム(風景の繰り返し)が起すトランスハイ現象と思われます。おそらく脳回路的にはこれに近い状態が想定されると思います。
いずれにせよ適応欠乏と共認機能をフル稼働させ充足可能性(だけ)を辛うじて発掘する事が出来た。それが(あまりにも半端ですが)観念機能の端緒と言う事なのでしょう。
しかし重要な事は現象の背後に精霊を見る事によって、それまで主として不全の対象でしかなかった自然の現象を、可能性探索の対象として捉えなおす事が出来たという点にあるのではないかと思います。
(リンク「観念機能の考察についての中間整理②超越統合」より引用)
観念機能の本質は「見えない物を見ようとする、明確化する」(リンク)というところにあるが、この「見えない物を見ようとする、明確化する」観念の発達は、対象世界を頭の中で再現することを可能にし、更には、それらのイメージを自在に結び合わせることで、対象の可能性を発掘することを可能にした。
たとえば、火は他の動物にとって(感覚機能にとって)は恐怖の対象でしかないが、「火」を感覚機能から切り離して捕らえ直すことによって、「火」がもたらす恵みの可能性を発見し、ついには「火」を操ることが可能となった。
このように感覚機能では脅威の対象でしかなかったものさえも、可能性として捉えなおせるまで、とことん対象探索した結果として人類は、観念機能を更に進化させ、対象を克服してきた。(ex火をコントロールできるようになった)
現在、私たちが「情報」を必要としているのは、まさに「感覚機能の限界(例えば対象への恐怖)を超えて、可能性を探る観念機能の外圧探索の働き」のためである。逆に言えば、そのような「対象探索意識」や「本気で勝ちにいく気迫」を欠いた「情報」は「情報洪水」を生み出すだけである、ということでもある。
☆この時代についての追求を通して見えてきた、情報とは「闘争において可能性を発掘するための徹底した対象探索、対象同化の果てに得られるもの」であるという認識は非常に重要であると思う。対象への同化力は日本人の得意領域である。現代に視点を移して、騙しに長けた欧米人に、日本が情報戦で打ち勝つ土台は、やはり徹底した対象探索→対象同化にこそある。
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