近代科学の源流4 共同体を破壊した西欧人の死生観に基づいて、宇宙の循環を無視した終末論的宇宙観
「魔術から近代科学へ」シリーズの【まとめ】その4です。
「11.キリスト教→近代科学の時空認識および終末論的熱力学の陥穽」
キリスト教支配下でも残存した魔術的自然観は、ルネサンス期に一気に再浮上し、ニュートンの遠隔作用説→万有引力へと繋がってゆく。
では、キリスト教が近代科学の及ぼした影響は何だったのか?
キリスト教が近代科学に及ぼした影響は、その特異な時空認識と宇宙論である。
●西欧以外の古代人にとって、時間とは宇宙の循環を表すものであった。
ほとんどの古代人の時間認識は、円環的・循環的時間観であり、そこでは過去と未来の区別がなかった。唯一の例外が最後の審判=終末論を体系化したペルシアのゾロアスター教である。
そのパラダイムを受け継いだキリスト教は天地創造にはじまる世界の出来事の一回性と最後の審判に終る歴史的終末論と直線的な時間観を主張した。それは古代人に普遍的であった循環的で再現可能な時間観と対立する。アウグスティヌスは『神の国』でキリスト教教義を支える終末論的な直線的時間観を述べて、それに反するギリシア人を痛烈に非難している。
つまり、キリスト教の天地創造論と終末論に基づいた時間認識は歴史的に見て、決して普遍的なものではなく、極めて特異な認識である。
そこでは、空間も天地創造から一方的に無限に広がるが、やがて終末を迎える。そして、時間も空間も不可逆(一回限り)とされている。
一方、日本の江戸時代以前の時間認識は次のようなものである。
夜明け前と夕暮れ時を基準にして、昼を6等分、夜を6等分し、この6等分されたものを「一つ(一とき)」と云う。夜明けや日暮れは季節によって変わるので、夏の昼の「一つ(一とき)」は長く、夜は短く、冬は昼は短く、夜は長くなる。そのため、1年間を二十四節気にあわせて二十四分割し、時刻を変えていた。自然に合わせた生活であり、これを不定時法と云う。
『富山市科学博物館』「江戸時代の時刻制度」
日本に限らず、西欧中世でも農民の間では時間は循環すると考えられており、昼と夜が季節に関わらずそれぞれ12時間でだったという。
このように、直線的時間認識に支配されたのはキリスト教→近代科学が発達した西欧だけであって、それ以外の民族にとっては、時間とは宇宙(自然対象)の循環サイクルを表すものであり、宇宙の循環と不可分一体のものであった。だから、昼夜を6等分するという、自然の循環に合わせた対象発の時間認識だったのである。
その代表が、原日本人(カタカムナ人)の時間・空間認識である。
楢崎皐月氏による『相似像 第六号』「ニ.物の観方考へ方の相異の根元(時・空量、質量について)(4)最新の科学とカタカムナのサトリ」から引用。
<トキ トコロ>という上古代語を、「時間空間」に直ちに当てることは適切ではないが、上古代人も、我々が感じるような「時間の経過」や「空間の拡がりや物体の存在」は意識したに違ひない。しかし、「時間」と「空間」とが別々に分離できる「二元」であるとは考へず、<トキ トコロ>は互換重合性であり、その発生源は、ともに、アマ始原量である、と観じたのである。
およそ時間といふものは、物体が発現しない限り、無いものである。「物体の存在」を離れて「時間」が存在する事はない。物体の存在の他に、時計が時を刻むような「時間」があると思ふのは、人間だけが思考作用によってつくりあげて居る「観念」にすぎない。
本来、生物にとって「空間」とは、めいめいの生存する「トコロ」のことであり、「時間」(トキ)とは、めいめいのイノチが刻々に発生消滅を続けて、統計的に存在し(イマタチ)、トコロを占めて居る期間のことである。言ひかへれば、ものが発生してトコロを占めると同時に、それぞれのトキ(時間の経過)が存在するだけで、時間と空間は、決して分離して存在する二つの「元」などではない。
日本人なら、何も難しい理屈を並べるまでもなく、時間とは<マ(間)>であり、空間も亦<マ(間)>といふ一語につきるのである。
時計で計る客観的な「時間」は、人間が決めた約束までのことであり、星の距離をはかる光年も、計算上の方便にすぎない。人類や地球や自分の変遷を、歴史的な「時間」として意識するのは、人間だけの観念作用であり、それはすぐれた抽象能力のたまものであるが、しかし、事実は、私には「私の時間」が、あなたには「あなたの時間」があり、花にも、星にも、それぞれの「時間」があるだけである。
<トキ トコロ>と異なる時・空の観念が固定化して、現実から遊離し、「カン」を狂はせて事実の本質を見失ひ、生命を損ふ方向にゆくとしたら、全く、愚かな悲喜劇である。時間空間に関する専門の科学者の学説に対しても、「時空の本質」を見ぬくマトモな直観を以て、判断すべきである。
●宇宙(自然対象)の循環を無視して成り立っている近代科学
ニュートンは外的な事物とは無関係にそれ自体で一様に流れる「絶対時間」や、外的事物とは無関係に存続する不動かつ不変の「絶対空間」概念を唱え、それが近代科学の大前提となっているが、楢崎皐月氏が指摘するように、このような宇宙(自然対象)の循環と切り離された時空認識は架空観念ではないか。
そして、このような時空観→ニュートンの絶対時間・絶対空間は時間・空間を数学的形式に当てはめるのに都合が良かった。その代表がデカルト座標である(その原点は、デカルトが原点とする自我に相当する)。
実際、近代科学の物理量(単位概念)は、この時間と空間(長さ)と質量と電気量を加えた4つ基本単位を組み合わせて構築されている。つまり、この時空観が近代物理学の根幹概念を成して、現代の科学者の頭を支配している。
しかし、その大元の時空観が宇宙(自然対象)の循環と切り離された架空観念なのだとしたら、近代科学では宇宙(自然対象)を解明することができないのは当たり前である。
「デカルト座標」
『システム論ブログ』「デカルト座標はなぜデカルト的か」からお借りしました。
●宇宙の循環を無視した近代科学を象徴するのが、天地創造説に基づくビッグバン説と終末論に基づく熱力学である。
古くは12~13世紀、神学者グロステストは<光>によるビッグ・バンとでも言うべき特異な宇宙開闢説を提唱している。ここで言う<光>は、物理的で可感的な光ではなく、すべての物体に先だって存在する形而上学的存在である。この説は「神は”光アレ”と言った」という『創世記』冒頭に伝えられている光を踏まえたものであろう。
そして、「宇宙はひたすら無秩序化→熱的死に向かっている」という熱力学の第二法則(エントロピーの法則)は終末論を引き継いだものであろう。
熱力学第一法則も第二法則も宇宙は孤立系であることを前提として成り立っている。物質もエネルギーも時間とともに孤立した空間の中に無秩序に拡散してゆき、いずれ「熱的死」を迎える。そして、その孤立空間の中で、時間も空間も不可逆(一回限り)のものとされている。
ところが、この熱力学の法則では生命現象は説明できない。それは熱力学が孤立系を前提としているのに対して、生命は常に流転し、常に外界とのエネルギーの流出入があるからである。
楢崎皐月氏が発掘したカタカムナ人の認識では、宇宙は孤立系ではなく、有限宇宙球<アマ>を取り巻く無限の潜象世界<カム>との間で常に循環している。そこでは、時間量も空間量も相互に入れ替わりながら、物質もエネルギーも相互に入れ替わりながら、無限世界<カム>と有限宇宙球<アマ>の間を循環している可逆性のものである。そこでは熱力学の第2法則(無秩序化)とは逆方向の、秩序化=統合の法則が存在しているという。
それに対して、終末論的熱力学をはじめとする近代科学の欠陥の一つは、自然対象が(宇宙も生命も)循環していることを捨象していることにある。それでは循環する宇宙や生命を解明できるはずがない。
●では、なぜ西欧においてのみ、宇宙(自然対象)の循環を無視した宇宙観・時空観が生まれたのか?
共同体を破壊した西欧人の死生観が自然に投影されて出来たのが、彼らの特異な宇宙観・時空観である。
共同体では成員一人一人は生まれ死んでゆくが、集団は存続し続ける。
そして、共同体の成員にとっては集団の存続こそが第一義である。
実際、ヘアー・インディアンでは集団(皆)の役に立って死ぬことは「良い死」であり、再生が保証されているという。
このように集団を原点とする共同体の成員にとって、個体は共同体と一体であり、従って共同体が存続する限り個体も再生し循環するものと捉えられている。彼らにとって生きることは集団(皆)の役に立つことであり、死ぬことは新たな生の始まりなのである。
『るいネット』「極限時代の死生観」
また、『るいネット』「不安発の古代宗教と感謝・同化の精霊信仰」では、南米のクレナック族の言葉が紹介されている。
我々の言葉で、「生きる」ことは「呼吸」と同じです。宇宙の全ては呼吸しています。ですから、命を授かった時点から地球のサイクルに入り、宇宙の全てと呼吸を共有しているのです。私たちの伝説の中では、命が絶たれたあと、我々は宇宙全体の命を支えている全宇宙的なパワーの一部となるのです。 一個の生が個人的体験を超えて、全宇宙的に広がっていくのです。それは一つの「希望」です。「死」に恐れを感じる必要はないのです。
これが原始人類~採集部族~多くの古代人を貫く死生観であり、そこでは個体の生も死も宇宙の循環サイクルと一体である。時間とは宇宙(自然対象)の循環サイクルを表すものであり、再生・循環する対象発の時間となるのは必然である。
それに対して、共同体が破壊された西欧人では、個人(自我)が原点となる。個人を原点にすれば、生は一回限り(不可逆)のものであり、死は全ての終焉である。だから、個人の死は何より恐ろしいものになり、それに拘り続けることになる。そこにつけ込んだ支配観念がゾロアスター教→キリスト教である。最後の審判において「信じる者は救われる」というわけである。
このような共同体を破壊されて自我収束した西欧人の死生観を土台にして、それを支配観念として体系化したゾロアスター教やキリスト教の特異な宇宙観や時間認識が登場した。
「生は一回限りであり、死は全ての終焉である」という彼ら西欧人の死生観に基づいて「宇宙も時間も不可逆(一回限り)でやがて終末を迎える」という倒錯した宇宙観・自然観が捏造されたのである。それは、「個人(自我)を全ての原点」と信じて疑わない彼らには、個体の生死も宇宙の循環と一体であるとは想像もできなかったからであろう。
そうして出来上がったのが、キリスト教→近代科学に固有の天地創造から終末に至るという、自然対象の循環を無視した宇宙論と時空認識なのではないだろうか。
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コメント11件
You Be Maximum | 2013.09.28 7:20
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最初の天皇の名を分析するとユダヤ人にたどり着く
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中原の土地は元々満州朝鮮族の故郷です
古代殷王朝は満州朝鮮族が打ち立てた王朝です。支那の原型を創ったのは満州朝鮮族です。漢字も彼らが創った事を支那人は
知りません。北京官話は英語でマンダリンと
呼ばれているように満州人の話し言葉が元
に成っています。京劇も乾隆帝が創らせた
満州文化です。チャイナドレスも満州女性の
民族衣装です。朝廷の役人が着ていた服は
キョンシーで有名な満州服です。北方騎馬民族が中原に侵入して新しい王朝を打ち立てたのは、元々中原の土地が満州朝鮮族
つまりツランツングースの故郷だったからです。その事が分からないと北方騎馬民族が
中原に新たな王朝を打ち立てたのが理解
できない事に成ります。