2012年07月17日
共認収束への大転換⇒実現の時代へ(3)~‘02年収束不全によって生まれた当事者意識の高まり~
画像はコチラより
’12年以降、いよいよ実現の時代に入りました。
現在を称して巷では、「激動の時代」とか、「100年に一度の危機」と表現されることがありますが、そこには一つ大事な視点が抜け落ちているように思います。
大きな時代潮流(人類史、あるいは生物史)から現代(今置かれている状況)を捉えなおすという視点です。これがなければ、今という時代の本質に迫ることは難しいでしょう。
歴史を通して、謙虚に「学ぶ」という姿勢は、自らの「主張」を第一とする民主主義とは異なるものです。
このシリーズの狙いは、まさに‘70年貧困の消滅に始まる共認収束の大潮流を謙虚に学び、近50年の状況認識を基に、次代の新たな可能性の提示を試みるところにあります。
第一弾「起点となった’70年の大転換」では、’70年が生物史上の大転換期であったことに触れ、現在の経済不況や、「実現の時代」幕開けの起点となった時代であることを提起しました。
以降の記事では、’70年の転換期を境に意識潮流や社会構造がどう変化していくのかを段階的におさえ、そこから今後10~20年がどのような時代になっていくのか(=新たな可能性の実現基盤)を提起していきます。
今回注目したのは‘02年。
今週から2回に渡って、‘02年はどんな意識潮流の変化が起こり、そして現代にどのように繋がっているのか?を考えていきたいと思います。
続きはこちらです。