2012年01月17日

カタカムナに学ぶ~電子を与える太陽・イヤシロチ、電子を奪う放射線・ケカレチ

「カタカムナに学ぶ~食や性の本来性は宇宙の輻射エネルギーとのバランス」では、次のことを提起しました。

宇宙は陰(電子)と陽(電子)から成っている。人間の体も食物も同様である。
陰電子(あるいは陽電子)が不足している場合は陰電子(あるいは陽電子)を含む食物を摂取し、陰陽のバランスを取ることが、食物を摂ることの目的である。
ところが、それは人間の体と食物だけでは決まらない。
宇宙も陰陽から成り立っているということは、外界にも陰陽の電子分布がある。
それと調和するように陰電子と陽電子を含む食物を摂ることによって、外界の陰陽電子分布と適応できるということだ。

引き続き、カタカムナ人が観た本能の背後にある本来のナリ(本性)とは一体何なのか?
それに迫ってゆきます。
まず、相似象学会誌『相似象』五号(1973年3月 シーエムシー技術開発㈱発行)から引用します。

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第五章 (健康保持の法)
●第三十三句
カムナガラ  ヲスヒナリウケ
カムミマギ  カムミイヤマヒ
イツキノリ  アマウツシミチ
イヤミソギ

第五章は、前章のヲスヒナリのサトリをうけ、健康を保持する上に基本となる〈アマウツシミチ〉をとりあげて居る。ここでは、ミソギ イツキ マツリ カシコミ、等の古い和語が出でくるが、屡々述べたように、これらの言葉を、ノリトなどの、所謂神道的用語と決めてしまはず、そのような先入見にとらわれる事なく、神道発生よりはるか以前の、カタカムナの上古代に、既にこれらの和語をつくり出して居た人々の心情を思念し、原初の意味を、アリノママに復元する気特になって、改めて把へてみる姿勢が、何よりも優先すべき基本要件であることを、強調しておく。
要するに、「カムナガラ……」としか言ひようのない「カムミ」を、畏れ、敬ひ、まつることを教へて居るこれらの「サトシ」は、心理的には、後世の宗教思想と相似象であるが、その根底にある、カタカムナ人の物の観方(直観のしかた)の違ひを、ハッキリとつかむ必要があるのである。
カタカムナ人は、現代人が「能力」や「本能」とよんで居るものには、より起元的な「カミ」のある事を直観し、段階的に存在するその「カミ」を追究してその根源をサトリ、そこからすべての「ミチ」が分化し、分化したすべてのミチは又そこへ収斂される、といふ観方で一貫して居る。
たとへば、現在一般に謂はれる食本能、性本能なるものも、カタカムナ人の直観によれば、終末的な本性(ナリ)ではなく、「食本能」のカミ(起元)には「食の本性」があり、「性本能」のカミに「性の本性」がある。則ち、食べられる物自体、めいめいの「異性」の親和(雌雄和合のムツミサチ、三十句)の所産であり、その「性」のカミは、カムとアマの異種異性の親和(モトツアマカム、三十二句)の本性に在る。
したがって、そのような「食」と「性」の本来性が、人間に、「食」と「性」に対する神聖な欲求念をあたへ、それが、人間の「本能」となり、至烈な願望(イツキノリ)をもつ事になる、といふ関係で、以下のサトシが示されて居るのである。
(イヤミソギ)
「イヤ」とは、「イ」の「ヤ」(極限的飽和安定)まで、イヨイヨ、ますます、活性に、の意。〈ミソギ〉とは、一般に、海水中で身の穢れを清浄にする「楔祓の行」と思はれて居るが、カタカムナの原語の意味は、「ミ」を「ソグ」こと、則ち、サヌキ アワを「身に収着させる」ことであり、それによって、身内(内実のミ)の密度が濃縮され、外見は、ソゲた形になる事であって、本来は、水を条件として居ない。
むしろ山の頂きや、後代、神社の境内となったところなどが、上古代人のミソギの場であったと考へられる。そこは、楢崎の実測調査の結果例外なく「還元電圧」をもつ地帯であり、電子正孔(サヌキ アワ)の濃度の高い(イヤシロチ)である事が確められて居る。
地球上は、電気の分布状態が一様ではなく、そこに行けば電気を奪はれる「酸化電圧」の地帯もある。カタカムナ人は体覚(カン)によってこの事をサトリ、前者を(イヤシロチ)、後者を(ケカレチ)と称して居る。「ケカレ」とは、イヤシロに至る途上の思念で、穢れ汚れという直接の意味は無い。
(ケカレチ)は、人間ばかりでなく、そこに存在する動植物鉱物等から電気を奪ふ傾向性を、あるひは有つ、則ち、電気の分布密度の低い酸化電圧地である。
▼私達は、人体をはじめ動植物等を対象とする多くの実験データによって、大地の正反電気(サヌキアワ)の反応が、極めて迅速に、被験者に及ぶことを、測定器を用ひて確める事が出来た。(はじめは、ミソギを意識して行ったわけではなく、修養のつもりでもなく、ただ山が好きで、気持が良いので出かけて居たが、カタカムナのサトリを知ってから興味をもって測定してみたところ、イヤシロチでは、たしかに体内の電流値がふえ、頭の冴えを実感した。そこで各地の神域といはれるところを、電気的に調査してみようと思い立ったのである。)
それにより、人々の住んで居る家屋の位置や作業の場が、ケカレチである為に、不健康や災害をうけて居る事が、案外多いこと(反対に、イヤシロチの場合は長寿者が多く、農作物の出来がよい等といふ実例)が判明した。
このような問題に関して、現代人は、体覚(カン)が劣化してしまった為に、生理学や医学の研究者も、無視あるいは等閑視し、一般人も、病人や災害の続くのを家相のせいにしたり、神社(イヤシロチ)に詣でてセイセイするのも「神様のおかげ」ぐらいに思って居るが、カタカムナ人は、大地表層の電気構造が、生命の保全や人間性や機能などに、重要な作用を及ぼす因子である事を知り、自分たちの生存の上に支配的なチカラをもつ、このような「環境の条件」や「電気生理」の物理を、人々にサトして居たのである。
彼らのミソギの場の設定は、極めて、物理的な理由に依拠して居た。人間の知性(サトリの性)や智能(理智の能力)の、マトモな進化を促進する為の、極めて有効な、合理的な生活技法として、イヤシロチに於ける「ミソギ」のスペ(方法)を、具体的に、以下の歌詞によって人々に体得させて居たと想はれる。
(カムミ マギ)
「カムミ」とは、カムの「ミ」、則ち目に見えぬ(カム)生命の代謝物(ミ)、ここでは、サヌキ アワの「ミ」をさして居る。「マギ」とはまねき、求める意、
〈イツキ ノリ〉
「イツキ」とは、「イ」の個々(ツ)の発生(キ)の思念、「イ」の個々とは「カムミ」のことである。「ノリ」とは乗る思念、それを欲しいと切望する至烈な願いにより、それが、自分の身体に乗りかかってくる、と感じるのがイノリの姿である。祈りの内容は人によって異なるが、ここでは、人間の最も根源的なイノリの心構へを教へ、イノリの根本はミソギであり、ミソギの本質は、カムミの収着であることを示して居る。
▼則ち、人々が、「食」と「性」の本性をサトれば、異性の親和を求める生物的な気持がスナホに発動され、互ひの人間性の向上、人体の美化を願う念が生じる。そのようにナホ(ナホビ)されるチカラのもとを希求して(カムミマギ)、カムミを貴ぶ気特になる。そのことが、「アマウツシ」により「イヤミソギ」する「イツキノリ」の実感となるわけである。
(アマウツシ)とは、「アマ始元量から変遷した(ウツされた)もの」の意であり、(アマウツシミチ)とは、そのサヌキアワのカムミを、身にウツす方法のことである。
従ってこの句の概要の意味は、『カタチは見えぬものであるけれども(カムナガラ)、食と性の本来性(ヲスヒナリ)のサトリをうけて、目に見えないカムミを求める気持が強くなり、カムミを尊重して(イヤマヒ)至烈な願望を祈りつづけることは(イツキノリ)、カムミ(サヌキアワ)を身体に収着させる(イヤミソギ)、アマウツシの有効な方法(ミチ)である。』
▼なほ、このような彼らの教へを伝へるウタは他にも数多く残って居る。たとへば、ウツクシノ イツキノイノリ イナシコメ ミソギ ハラヒ ナホビヒコヒメ(ウツクシノ)とは、イヤシロチの中でも、特に景観の優れて美しくみえる場所がある。そこは「カンダ」ともよばれ、私達は「美観電圧地」といって居る。則ち、ヨモのタカミを結んだ、高電位の地である。彼らは、本能的に、そのようなところをイツキのイノリの場とし、そこに行ってアマウツシを得れば、異性相互が美化され、向上するといふ事を、当時の社会常識としてわきまへ、実行して居たのである。この習慣が、後世のヤシロ-神社-祭礼の伝統に、変遷したものと考へられる。

ここで、酸化とは原子(または原子団)から電子を取り去ることであり、還元とは原子(または原子団)に電子を付け加えることである。
楢崎皐月氏らの調査によれば、
生体に電子を与える還元電圧の環境を「イヤシロチ」と云い、そのような土地では動植物の生育が良好であり、病人は少なく、長生きする人が多い。日本の古い神社などはイヤシロチに建てられているとのことである。
逆に生体から電子を奪う酸化電圧の環境を「ケカレチ」と云い、そのような土地では動植物の生育が悪く、病人も多く、また建物の破損も多いとのことである。
ということは、食の目的とは、外界から身体に電子を取り入れることだと云える。放っておくと電子が身体から外界に出てゆくので、食べることによって電子を外界から取り入れてバランスさせているのであろう。
従って、電子を外界から大量に与えられる超優良のイヤシロチでは、極論すれば、何も食べなくても外界から電子が与えられるので、生きてゆくことも可能になる。
例えば、『るいネット』「不食が可能である根拠を示した二人の不食者」で、1日1個、銅貨の大きさの聖餅だけで命をつないでいる聖女テレーザの話が紹介されているが、これもカタカムナ人のイヤシロチの認識から考えれば、決して有り得ない話ではない。
彼女が住む教会の場所が超優良なイヤシロチで、常に外界から身体に電子が与えられてるという環境条件が前提にあって、1日1個、銅貨の大きさの聖餅だけで命をつなぐことが可能になっているのではないだろうか。

●不食の聖女テレーゼの奇蹟
テレーゼは1898年に生まれた。20歳のとき不慮の災難に遭い、そのため失明し、全身不随になった。熱烈な祈りを捧げた結果、奇跡的に視力を回復し、その後手足も一瞬にして癒された。1923年以来、テレーゼは毎日、祭壇に供えた聖餅の小さな一片をのみ込む以外は、食べ物を完全に断ってしまった。
『あるヨギの自叙伝』の著者であるヨガナンダは、彼女を訪ね、そのときの様子を書き残した。
「あなたは何も召し上がらないそうですね?」私はこの答えを彼女自身の口から聞きたかった。
「はい、毎朝6時に祭壇に供えた聖餅をいただくほかは何も食べません」
「その聖餅はどれくらいの大きさなのですか?」
「銅貨くらいの大きさで、紙のように薄いものです」彼女はこう答えると付け加えた。「私はそれを聖餐の意味でいただくのでございます。祭壇に供えたものでなければ、のみ込むことができないのです」
「もちろんあなたは、12年もの間、それで命をつないできたわけではありませんね?」
「はい、私は神様の光で生きているのでございます」
なんと明快な答えであろう! なんとアインシュタイン的言葉であろう!
「あなたは、生命のエネルギーが、エーテルや太陽や空気からからだの中に注ぎ込まれていることを知っておられるのですね?」
ほほえみが彼女の顔をほころばせた。「私がどうして生きているのかわかってくださって、ほんとうにうれしうございます」
「あなたの神にささげられたご生涯は、キリストがおっしゃった『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのコトバによって生きるのである』という真理を毎日実証するものですね」
この説明に、彼女は再び大きな喜びを表した。「ほんとうにそのとおりでございます。私が今日この世にこうして生きている理由の一つは、食べ物によらず見えない神の光によって生きられることを証明するためでございます」
(パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』森北出版)

『メダカの学校:中村陽子のコラム』「放射能汚染と向きあうメダカのがっこうの姿勢」では、
陰陽論では、放射能は極陰であり、それを中和させるには極陽の海水、塩、味噌、梅干、炭が有効であると言っている。
これは、長崎に原爆が落とされた時に、秋月辰一郎博士が玄米飯と塩と塩からい味噌汁を患者に食べさせて命を救ったこと『るいネット』「放射能汚染から身を守る為の知恵~塩、味噌が身を守る!」や、「炭で放射性物質を除去する」と符合している。
また、若杉友子氏『体温を上げる料理教室』(到知出版社)によれば紫外線や電子レンジは陰で、赤外線や太陽(可視光線や赤外線)は陽とのこと。
つまり、放射線をはじめとして波長の短い電磁波は陰であり、波長の長い電磁波は陽であるということになるだろう(但し、可視光線より波長の長い電磁波は、それはそれで人体に害があるかもしれない)。
これとカタカムナの「イヤシロチ」「ケカレチ」の認識を重ね合わせると、
イヤシロチ(還元電圧の環境)は陽の土地であり、波長の長い電磁波に満ちている環境であり、
ケカレチ(酸化電圧の環境)は陰の土地であり、波長の短い電磁波に満ちている環境であるということになるだろう。

実際、楢崎皐月氏はケカレチの土壌改良の方法として、「炭素埋設法」を提起している。これも陰陽論的に捉えれば、(極)陰の土地に極陽である炭素を埋設することで土壌を中和するということであろう。
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List    投稿者 staff | 2012-01-17 | Posted in 13.認識論・科学論2 Comments » 

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コメント2件

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