モンゴル方面の遊牧部族における母権制⇒父権制への転換(1)
画像はこちらよりお借りしました。
2011年02月13日「力の原理と父権制の関係構造 ~プロローグ~」での提起を受け、「モンゴル方面(アルタイ山脈~大興安嶺山脈)の遊牧部族はいつどのようにして父権制に転換したのか?」の追求に取り組んでいきます。
まずは遊牧において母権制から父権制へ転換する要因を整理します。
遊牧は、家畜を連れて小集団で独立して移動する生産様式であり、天候の影響や動物による襲撃、他の部族集団との接触といった危険要因が多くなります。
それ故に、地理(エサ場、水場の位置)を把握する能力、家畜や人を襲う動物に対する防衛力、他部族との折衝(あるいは戦闘)力が、生き残っていくためには重要となります。
そして、上記の能力については男の方が長けているため、小集団の生存力を保持するには、男を小集団に残しておく必要があり、母権制の婚姻様式では適応しにくくなります。
ただし、母集団から遊牧に出る範囲が近距離であれば、母集団への帰還頻度は著しく低下しないので、婚姻様式を転換する必要はありません。
したがって、遊牧によって母権制から父権制に転換するのは、母集団にほとんど帰還できないほど遠くまで遊牧に出ざるを得ないほど、牧草が不足した状態になった結果と考えられます。
牧草が不足するのは、家畜が増加して従来の牧草地では賄えなくなるケースと、気候の変化によって、牧草地が減少するケースが想定されますが、人類が牧畜を開始した初期に、いきなり家畜が大幅に増加することは考えにくく、後者の気候変動(寒冷化・乾燥化)による牧草地減少が長距離遠征に至る要因と考えられます。
モンゴル高原では、約1.4万年前からの温暖期(→海面上昇)にスンダランドが水没を始めたのに伴い、スンダランドからモンゴロイドが移ってきましたが、約1.3万~1.15万年前の寒冷化によって一旦無人となりました。
そして約1.0万年前からの温暖化の時期に再びスンダランドからモンゴロイド(トルコ族・モンゴル族・ツングース族の祖)が移ってきています。
そこで、この1万年前の温暖化以降に起きている寒冷化の時期に焦点を当てて、各時期で発掘されている遺跡から読み解ける生産様式や婚姻様式を検証して、父権制への転換時期を探っていきます。
寒冷化の時期と遺跡については、以下の対象を中心に検証する予定です。
(1)8200年前頃:興隆窪文化
(2)5500年前頃:紅山文化
(3)4000年前頃:下層夏家店文化
画像の確認
※上記資料は「図説中国文明史Ⅰ文明への胎動(発刊:創元社 監修:稲畑耕一郎)」の「先史時代の主要遺跡分布図」を利用
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