『白人の源流~ギリシア・ローマ編~2』 オリエントの文明の発祥である 『エーゲ文明~クレタ文明』
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プロローグ:大転換の予感⇒人類史を追求する意義
に引き続き、近代を先導してきたヨーロッパ(白人)の解明を目標に、
西欧の起源・源流といわれる『ギリシア・ローマ』について扱います。
以下内容は、るいネット内の
2/6なんでや劇場(3) 5500年前、イラン高原で最初の略奪闘争(戦争)勃発
2/6なんでや劇場(4) 3500年前、略奪部族の支配国家と山賊・海賊だらけになった
を参考にして再構成します。
《クレタ島クノッソス宮殿 復元図》
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5500年前のイラン高原での最初の略奪闘争(戦争)をきっかけとして、
略奪集団と緊張圧力が中東全体に伝播した。
5000年前~のギリシアのクレタ文明初期(エーゲ文明)は、セム族J主導だが黒人色が強い平和な文明だった。
4200年前の寒冷期にコーカサスで戦争が始まり(コーカサス戦争)、
印欧語族Rの敗者が四方に大移動を始める。
ギリシアへは、4000年前に印欧語族の敗者(アカイア人R1a)が入ってきて、
クレタ文明中期から文明の中身が変わる。
しかし、変化の中身は、宮殿ができたこと、新たな様式の土器が登場したこと、
線文字Aが生まれた程度である。支配階級も登場していたようだが、
この段階では、アカイア人が完全に支配したわけではなさそうである。
クレタは5000年前の初期(エーゲ文明時代)から交易を生業としていたので、
そこで財を成すものが登場する。この『交易の勝者が支配階級になった』と考えられる。
この支配階級は、3500年前頃の宮殿に残されている壁画から判断するに支配層は肌の色が白っぽく、髪の毛は黒色であることから、セム族が主導であるものと思われる。また、その他の民は褐色系の黒人が多いことが下の壁画からもわかる。
クレタ島ユリの王子
上記画像の拡大ボタン① 、 ☆画像の確認②
4000年前のアカイア人第一波は、
山賊海賊ではなく【交易部族】としてやってきて、
クレタ文明を支えたということではないだろうか。
だから『中期クレタ文明も大きくは平和的』だったのである。
その証拠にクレタ文明には、母権社会が残存していたと思われる女神の土偶やクノッソス宮殿・蛇の女神像、城壁のないクノッソス等の宮殿(王族の住居兼貿易センター)、海洋文明らしいイルカの壁画や、白人と黒人が仲良く牛遊びをしている壁画、胸元が肌けたおおらかな美女の壁画、甲冑・武器が発見されていないなどの女性的で、平和的な様相(リンク)がある。
《写真:右から3600年前頃のクレタ島クノッソス宮殿の蛇の女神(手に採る採物は蛇)・美女の壁画・オリンピック》
《2004年アテネオリンピック開会式》
このように、
4200~4000年前の印欧語族・第一次移動の段階では、共同体として移動した部族もいたと考えられる。
ところが、
3800年前の印欧語族の第二次移動からは様相が変わる。これは温暖化に伴うコーカサス地方の乾燥化によるもので、『4200年前のコーカサス戦争の勝者が移動』してきた。
《土器に描かれたミケーネの戦士》
次回は、◆クレタ文明を滅ぼした『ミケーネ文明』について取り上げます。
たっぴ
【 その他、参考 】
・ギリシア~ローマ史まとめ①
8000年前~4000年前 略奪戦争の勃発、クレタ文明の登場
・ギリシア~ローマ史まとめ②
4000年前~3200年前 ミケーネ文明登場、「海の民」
・クレタと交易のあったエジプト舟(ハム族)の壁画(4400年~4600年前)
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コメント3件
hermes finland | 2014.02.03 3:10
hermes handbags london 日本を守るのに右も左もない | 近代科学の成立過程4~戦争や市場拡大とともに発達した西洋医学~
読者 | 2011.11.03 20:33
すみません。前回URLを間違えました。
「阿修羅」を改めてご案内いたします。