魔術から近代科学へ7 キリスト教も近代思想も近代科学も、ゾロアスター教が確立した略奪集団の正当化と他者否定のパラダイムにある
「ゾロアスター教寺院の屋根に描かれた善神アフラ=マズダ」
画像はこちらからお借りしました。
前回の記事「ローマ貴族や市民の自我肥大⇒快美収束・妄想収束から広まった、ローマの魔術的自然認識」において、次のことを明らかにした。
ローマ時代に、その後のキリスト教中世における自然力、とりわけ磁石と磁力の理解の原型がほぼすべて形成されることになった。それは、
第1に、磁石の働きを生物になぞらえてみる生物態的視点の浸透
第2に、磁石には物理的な作用があるだけではなく、生理的な作用さらには超自然的な
能力「魔力」が備わっているという想念の普及
第3に、自然万有のあいだの共感と反感の網の目でもって自然の働きがなりたっている
という自然観の形成
では、この「魔力」、あるいは「共感と反感」とは、どのようなものだったのだろうか?
今回は、それを追求します。
いつも応援ありがとうございます。
大出晁氏の論文「ヘレニズム・ローマ時代の知の系譜2-正統的知識と非正統的知識Ⅴ」から引用する。
●占星術普及の思想的背景
【1】占星術が広汎な信奉者をえた背景には、それを促す思想があった。古代の思想家たちは、当然、天体を含む自然界の人間への多様な影響を信じていた。降雨と農作物、日照と人間の健康との関係などは否定するには困難な事象であるが、とくにアリストテレスはその関係を重視していた。しかし、これらの間の神秘的関係を説いたのはストア派、とくに、中期ストア派の思想家たちであった。
ストア派はキプロス島出身のゼノンを始祖として前4世紀末アテナイに出現した。彼らは世界-霊魂としてのロゴスという能動的原理と一切の性質をもたない第一質料という消極的原理の二つの基本原理からあらゆる事象の説明を試みたが、「全宇宙は秩序づけられており、合理的な法則で支配されている」というのがその基本的な発想であった。そこで、ロゴスという世界-霊魂はあらゆる未来の現象を予知し、人間の未来も彼らのいう「運命」として規定されている。人間の霊魂はこの世界-霊魂にあずかり、その一部でもあって、その肉体に浸透している。宇宙は気息(プニューマ)に満たされた一種の生体で理性や感情を備えている。その結果、すべての存在物の間には完全な「共感」が存在し、人間は全体を映す小宇宙である。かくて、未来の予知は人間にとって可能であり、あらゆる形での占いを彼らは容認した。
【2】ストア主義者のミリニウスの『アストロノミカ』からの引用を二つあげる。最初は占星術者について、次はストア主義者としての彼の「宇宙的共感」の主張である。
「これらの人々〔神官たち〕が我々の高貴な学問を確立した人たちである。彼らが、はじめて、運命がいかにして惑星に依存しているかを彼らの技術によって理解したのである。」
「その個々の部分が異なる元素-空気、火、土および平らな海-から成る巨大な宇宙のこの有機的な構造は精神の神的な力に規定されている。神は全体を通して神秘的な仕方で息をし、それを不思議な手段によって決定している。その一部が他の部分にその力を伝え他の力を受け取っている全ての部分の間の相互関係を、神は制御している。結果として、宇宙的共感が多様な現象の間で永遠に支配していることになる。」
【3】プトレマイオスは太陽の影響として季節の変化、動植物の発生・成長、その位置変化にともなう寒暖・乾湿など、また、月の与える影響として潮の満干やその満ち欠けにともなう動植物への効果などに言及しているが、その際、地上の生物・非生物と月との間の関係としてストア風の「共感する」という語が用いられているのが注目される。さらにプトレマイオスは月上の世界のみならず、月下の世界に対する天空の影響を考慮しなければならない占星術の可能性について、その正確さに一定の留保をつけながらも、可能性を容認している。
【4】占星術に対するキリスト教思想家の態度を考察するにはキリスト教的時間観について考察しておく必要がある。この問題はキリスト教出現後の思想の基本的枠組みを規定する最も重大な要素を含む。
古代オリエントの民族の多くは円環的時間観を有していた。
古代エジプトでは時間は再帰する状態の継起とみなされ、過去と未来の区別をもたなかった。早くから天変占星術に関心をもっていた古代メソポタミアの諸民族は、その天体の地上への影響への信仰を考えると、歴史的進歩の思想を持っていたとは考え難く、天体の運動に象徴される円環的な時間観を有していた。前5世紀の古代ギリシアにおいては、その思想の<過去回顧的>性格からして、主要な哲学学派が未来を軽視して過去を重視する円環的な時間観を有していたことは驚くにあたらない。
古代社会で例外的なのはペルシアのゾロアスター教である。
前6世紀から前331年のバビロニア征服のころにかけてペルシアではゾロアスター教が最盛期を迎えた。その始祖ツァラツストラは北ペルシアの牧羊族の出で、多神教を排してマツダ神への信仰を説き、真理に組するものは不朽の栄光を獲得し、虚偽に組するものは「永遠の暗闇」に罰せられると説いたが、この「最終の事態」の教義こそ、終末論の最初の体系的主張で、ユダヤ教とキリスト教に深刻な影響を与えた。
キリスト教は救世主キリストの出現にはじまる世界の出来事の一回性と最後の審判に終る歴史的終末論を主張し、この直線的な時間観は古代世界を支配していた循環的で再現可能な時間観と基本的に対立していた。そして、それを明瞭に主張し、特に、ギリシア人の時間観を弾劾したのはアウグスティヌスで、『神の国』でキリスト教教義を支える終末論的な直線的時間観を明確に述べて、それに反するギリシア人を痛烈に非難している。この時間観にたてば、天体の再帰現象に基礎をおく占星術はその根拠を失うことになろう。
さらに、占星術はその決定論的な発想から未来を知る全知の神と人間の不完全な知識との関係をめぐる議論を提起し、占星術は云わば神の智恵を盗むことで、それは悪魔の助けを借りて可能になるという議論を生むことになった。
●魔術・悪魔学
【4】一般に宗教と魔術の間に明確な境界線を引くのは困難であるが、次の点を指標とする。
宗教は超越的な神に敬虔で服従的な態度で祈り帰依するが、魔術は神が付与すると称する特殊な知識を用いて世界を変革しようとし、時により神を脅かす。この世界への<働きかけ>の意図に魔術の特徴を見ることによって、ルネサンスにおける近代科学成立への重要な契機を理解できる。
魔術magicなる語はギリシア語のmagosを語源とし、古代イラクの一部族の名称で、ペルシアにおける賢者あるいは未来の透視者や夢の解読者、またゾロアスター教の神官を意味したという。古代ギリシアの著名な魔術師magoiにはオルポイス、ピュタゴラス、エンペドクレスの名が挙げられ、古代において魔術と学問的知識とは明確に区別されてはいなかった。
魔術の基本的原理には宇宙諸部分の相互的影響、いわゆる「照応関係」、もしくは「共感」が挙げられる。人間は、この関係を通して、宇宙の一部を変化させることで宇宙全体を変化させることができ、この方法の体得者がマゴスであり、彼は世界を変革し、未来を透視できるとされる。
魔術は通常、超能力秘術と妖術に大別される。前者は思想的背景をもち、多くの哲学者もそれを行使する超能力秘術者と見なされ、後者は階級的にも下層と扱われる怪しげな魔法使いとされ、magosは次第にこの妖術者の呼称として用いられるようになった。
そこで、思想家のうちにも妖術者の嫌疑を受けて裁判にかけられ、身の潔白を証さなければならぬものも出現した。これは後世の魔女裁判の先駆と言えよう。古代ギリシアでも「魔女裁判」が好感をもたれない人物を葬る手段として用いられた。
【5】魔術の理論的根拠を提供した思想の一例としてプロティノスの『エネアデス』の一節を挙げる。
「魔術的作用をどのように説明すべきであろうか? 共感によってか、それとも、類似のものの間には自然な調和があり、似ていないものの間には不調和があるという事実によってか、あるいは、単一の生命ある被造物に共同して影響する〔あるいは生ける存在物の一致に向けて協力する〕多くの異なる大きな力が存在しているという事実のいずれによってか? なぜなら、誰かがそれらを運動させたわけでもないのに、多くの引力と魔術的作用が存在するからである。真の魔術とは宇宙における『愛(共感)と憎しみ(反感)』なのである〔エンペドクレス〕。最初の妖術家、最初の魔術医は人々周知の人物であり、その服薬と呪文とは人々の互いに用いているものなのである。」
同書で、プロティノスは魔術的作用の存在は肯定しているが、その作用対象は人間霊魂の非合理的部分であって、合理的部分はそれを無効にすると主張する。賢人はそれらの外力を反呪文によって無効にしてしまう。実際、オリンピウスという敵対者が彼を魔術によって傷つけようとすると、彼は賢者としての精神力によって押し返し、その魔力は敵対者自身に戻ってきたという話をポルフィリウスが伝えている。
さらに、ローマ時代にアフリカで実際に用いられた呪文板には、当時ローマ帝国内で盛んだった繋駕競技で、赤青白緑の4チームのうち青赤2チームのファンが相手の白緑チームの敗北のため、それらを悪魔に引き渡そうとする呪文が記されている。
【6】これらの例からも明らかなように、魔術が悪魔の存在と密接に結びついていることは疑えない。悪魔信仰はメソポタミアに発すると言われ、バビロニアの悪魔学はよく知られているが、それによれば悪魔は軍隊に似た階級制度によって組織され、病気は悪魔の取り付きから生じ、悪魔祓いによって治癒されると信じられていた。
しかし、demonという語の直接の語源であるギリシア語のdaimonには「神」の意味はあるが、「悪しき神」「悪霊」といった意味はない。Theosが「神」、daimonが「悪霊」を意味するようになったのはヘレニズム時代のことで、そのもっともはっきりした例は新約聖書のマタイ伝8章31節である。学問的な悪魔学はプラトン・アリストテレスの系統を引き、特に、アカデメイア学派の共通意見とされる内容を持つ。
それによれば、悪魔は高度の集中力をもって思考する精神的存在で、感受性の極めて高い人間をはじめとする精神的存在に自分の思考を受容させる大気の振動を引き起こすとされ、この能力によって、透視・予言その他が説明されるのである。また、伝統的に神に帰せられていた能力のいくつかは悪魔に割り当てられているが、神とは異なり、悪魔は年をとり、幾世紀かの後には死ぬとされ、この悪魔の老化と死亡が古代世界の衰退の説明に用いられている。
以上の記述から、ローマ時代から中世西欧の自然観を貫く「共感と反感」というキーワード、あるいは「魔術」の関係構造は次のように読み取ることができる。
神の気息によって宇宙は満たされており、それが「共感(愛)」を生み出すのに対して、「反感(憎しみ)」とは悪魔の力である。そして、人間は悪魔の力(反感)を借りて、神の気息の力(共感)を盗み、透視や予知を可能にし、宇宙を変化させることができる。これが魔術である。
そして、自然哲学者や思想家の多くは超能力秘術者や妖術者と見なされていた。ルネサンスになって職人の肩書きが芸術家に変わったように、中世以前の魔術師の肩書きが近世・近代になって科学者や思想家に変わったのである。
このように、神VS悪魔、共感(愛)VS反感(憎しみ)という対立構造(二元対立論)によって宇宙は成り立っている。これが古代西洋の宇宙観である。
そして、この対立構造をはじめて体系化したのが古代ペルシアのゾロアスター教である。
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ゾロアスター教はどのような宗教だったのか?
『世界史講義禄』「アッシリアからアケメネス朝ペルシア ゾロアスター教」から引用する。
ペルシア人の宗教について見ておきます。かれらの宗教はゾロアスター教。あとの時代にまとめられる経典が「アヴェスター」です。
これは、面白い宗教です。ユダヤ教が一神教とすれば、ゾロアスター教は二神教とでも言いますか。神が二人います。一つが光の神、光明神アフラ=マズダ。対立するのが闇の神、暗黒神アーリマンです。
ゾロアスター教によれば、アフラ=マズダとアーリマンは永遠に戦いつづけている。それぞれ天使の軍隊と悪魔の軍隊を率いて戦っている。そして、この世に起きるあらゆる出来事はすべて、この二人の神の戦いのあらわれだと考える。永遠に戦うのですが、最後には光の神アフラ=マズダが勝つ。
アフラ=マズダの勝利のあとで救世主が現れる。救世主はそれまでこの世に生をうけて死んでいった人々をすべてよみがえらせるのです。そして、復活した人々を善悪に振り分け、天国行きと地獄行きに選別するという。これが、ゾロアスター教の「最後の審判」です。
なんだか、キリスト教みたいでしょ。ということは、ユダヤ教にもそっくりなわけ。では、ユダヤ教とゾロアスター教とどちらが先かというとゾロアスター教なんです。ユダヤ教の救世主待望思想や最後の審判の観念は、ゾロアスター教の影響を受けて生まれたといわれています。
ちなみにユダヤ教、キリスト教はヤハウェ神信仰の一神教だと前回お話ししましたが、聖書を読んでるとおかしなものがでてきます。神でも人でもない。何かというと、これが悪魔です。悪魔って一体何者なんでしょう。これは神の一種としか考えようがない。旧約聖書の「ヨブ記」などでは、神が悪魔の挑発に乗ってしまって義人ヨブという人をいじめぬいたりします。神は悪魔とほとんど同じレベルで論争しているのです。
この悪魔もゾロアスター教のアーリマンがユダヤ教の中に紛れ込んだのではないかといわれています。ヘブライ人は、アケメネス朝の支配下でユダヤ教を確立していったのですから、そういうこともあろうかとうなづけますね。
この神VS悪魔という対立構造(二元論)の本質は、自集団正当化→自己正当化と他集団否定→他者否定の観念である。つまり、神とそれを信じる者は絶対正しく、信じない者は滅ぼしてもよい(それこそが神の意思である)ということである。
この正当化観念を最初に体系化したのがゾロアスター教であるが、それは5500年前、最初の略奪闘争(戦争)が始まったイラン高原の遊牧部族→略奪集団アーリア人(ペルシア人)がつくった宗教である。
つまり、ゾロアスター教とは略奪集団による正当化観念に他ならないが、この正当化のパラダイムはそっくりそのままユダヤ教→キリスト教に受け継がれ、さらに近代~現代の西洋人の思考もこの正当化と他者否定のパラダイムから変わっていない。
●まずキリスト教である。
キリスト教が「神の意思」を正当化の根拠にして十字軍侵略や魔女狩り、アジア・アフリカ・北米や中南米侵略を扇動したことは言うまでもないが、その正当化と他者否定のパラダイムは現在も全く変わっていない。
『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子著 文芸春秋刊)から引用する。
現在のアメリカでは人口の60%がいずれかの宗派に属しているが、毎週日曜のケーブル・テレビでは、キリスト教原理主義者たちが、いくつものチャンネルを通して勢いよく説教を続け、「聖書の一言一句は神の言葉であり、これを信じる者のみが天国へ行く。信じない者、他宗に騙されている者は地獄に落ちる。我々の信仰のみが正しく、他は邪である。邪と闘うことこそ神から与えられた我々の使命だ」と叫んでいる。
このテレビ説教がいかに多くのアメリカ人に影響を与えているかは、視聴者から毎週集まる莫大な献金によっても明らかである。キリスト教原理主義者たちは、その大金によって政治家を動かす。と同時にヨーロッパ人が何世紀にもわたって聞かされたように、自分たちは上等で他は下等、自分たちは正義で他は邪、自分たちは善で他は悪、という二元論を視聴者に浸透させる。人心に浸透した二元論は、世論をコントロールしようとする政治家のレトリックに使われ、それに呼応する下地となる。
●次は近代観念である。
『るいネット』「近代観念は共認収束に蓋をする閉塞の元凶となった」
近代観念は、自我発で形成された架空観念であり、その一つ一つの観念が、自己正当化観念として働いている。その結果、近代観念に染まったものは、無数の自己正当化観念に囲まれたその中心に強固な「自分」という観念を形成し、あたかもその「自分」観念こそが自分の本質であるかのような錯覚に陥ってしまう。
従って、いったん強固な「自分」観念を形成してしまうと、その「自分」観念を崩すことは自己の崩壊を意味することになるので、「自分」観念を疑うような根本追求に対する忌避回路が形成される。このような根本追求に対する忌避回路が形成されている以上、誰も近代観念を根底から覆すような大理論の構築に向かおうとしないのは当然である。
近代観念に代わる新理論が登場してこない原因の第一は、この「自分」観念による根本追求の忌避にある。
「絶対正しい」という形で刷り込まれた近代観念が、それに反する認識を受け付けないのも、近代観念がゾロアスター教が確立した正当化と他者否定のパラダイムにあるからである。
それは民主主義も全く同じで、例えば、今もアメリカは「絶対正しい民主主義ではない国は邪悪な国家である」という口実を以て他国を侵略し続けている。
●そして、近代科学である。
この二元論(正当化と他者否定観念)はデカルト以降の近代科学にも受け継がれている。
『るいネット』「近代、科学と哲学の原点、デカルトに思う」
デカルトの主張した心身二元論とは、絶対確実な真理を発見するために、すべてを疑い、そして疑っている「自分の精神」の存在こそが絶対確実なものであることの発見に始まり、「われ思う、ゆえにわれあり」──つまり近代的自我の発見、この「精神」とともに、「物体」をもう一つの実体(それが存在するために他の何ものも必要としないもの)と考えたということだと思います。精神の本質は「思い考えること」、物体の本質は「空間的広がり」。世界は、この全く性質を異にする「精神」と「物体」の二つによって成立しているという考えです。
このようにデカルトは世界を二つに分けた。
一つが科学(機械論的世界観)が適用できる物質的世界であり、もう一つが科学が適用できない精神の世界である。精神は人間だけが神から与えられたものであるとし、他の動物は全て物質的存在のみからなるとした。人の精神を除く全ての現象(自然、生物、人体)が科学の対象となり、また科学以外ではその真理を追究できないものと見なされることになった。
【参考】『心の学術史』「第四章 デカルトと心身二元論」
これがデカルトの二元論(人間の精神VS自然世界)であるが、これは神に与えられた精神(自我)を持つ人間が、精神を持たない(機械にすぎない)自然世界を支配・収奪することを正当化観念に他ならない。
一方、魔術→錬金術の信奉者であったニュートンの万有引力説も、魔術→遠隔作用論から生まれたものである。
「物活論(有機論的全体論)→魔術→ニュートンへ」
デカルトの近接作用説→機械論的自然観が、神と神から与えられた人間の精神(本質は自我)に立脚して自然を支配しようとしているのに対して、ニュートンの遠隔作用説→万有引力説は、悪魔の力を借りて自然を支配しようという発想から生まれたものである。
「物活論(有機論的全体論)→魔術→ニュートンへ」で紹介したように、デカルト派(近接作用説)とニュートン派(遠隔作用説)は対立したが、神から与えられた力(自我)によって自然を支配するか、悪魔的力(魔術)によって自然を支配するかの違いにすぎず、ゾロアスター教に始まる略奪集団の正当化と他者否定のパラダイムにあることは両者とも変わりがない。
★大出晁氏の提起する「キリスト教教義を支える終末論的な直線的時間観」も、近代科学の欠陥(限界)を示す重要な論点であり、これについても近いうちに追求する。
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コメント16件
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