2013年10月23日

新概念を学ぶ18~自我の原点は個人自我ではなく集団自我(私権)である

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「チンパンジーの狩り」
画像はこちらからお借りしました。
「新概念を学ぶ16 共認回路と自我回路」で提起されたのは、次の3点である。
【1】自我の源泉は、共認の否定にあること。
【2】従って、自我を原点とする近代思想が共認を破壊するのは必然である。実際、近代思想によって導かれてきた現代社会は崩壊の危機に瀕している。
【3】人格の形成過程を見てもそれは共認の確立であり、自我ではなく共認こそ原点(意識の統合者)である。

ここで、自我がどのようにして登場したか?新しい仮説を提起する。
『るいネット』「新概念定義集」で自我は次のように定義されている。

みんなの共認によって(自分には)与えられなかった評価を、他者否定と自己正当化によって、己に都合の良い幻想に収束することで自己充足を得る機能。これは共認機能の派生物であるが、みんなの共認を破壊する共認の敵対物でもあり、謂わば、共認機能が生み出した鬼っ子ともいえる。

この定義からもつい、自我は個人と一体と考えがちであるが、自我の源泉は個人自我ではなく、集団自我なのではないか。
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「自我⇒否定⇒私権意識の成立構造」で、「自我の原点は個人自我ではなく集団自我である」と提起されている。
人類の私権時代(’70年以前の貧困な時代)には、国家(民族)を挙げて豊かさ⇒私権獲得に邁進していたが、’70年豊かさが実現するとまず国家私権が衰弱し、次いでバブル崩壊を契機に’95年企業私権が衰弱し、そして現在、最後の集団である家庭の私権が衰弱と集団私権が年を追って衰弱し、それに続いて否定意識が空中分解し、続いて自我が衰弱している。

このように現在は、私権意識の衰弱→否定意識の空中分解→自我の衰弱という順で衰弱としている。逆に云うと、この私権意識→否定意識→自我という順で自我は成立したのではないか?(仮説)
私権意識の登場構造⇒その原因である掠奪闘争の始まりを解明する。
掠奪闘争は遊牧部族発だが、他の採集部族が単一集団=それそのものが社会であるのに対して、遊牧部族は羊を連れて小集団で独立して移動する生産様式であり、拠点集団とそれから離れて遠征する遊牧部隊から成る複層社会を形成する。
複層社会の遊牧部族では、単一集団では生起しない集団間の相対比較→相対意識が生まれる(ex.あの集団には羊が多い)。この遊牧部族の集団間の相対意識(集団私権意識)が、集団自我→他集団否定の母胎(卵)となったと考えられる。
そして、この相対意識が蓄積された上で、娘移籍の婚姻様式が始まる。遠征生活する遊牧部隊は男だけの集団で、かつ滅多に拠点集団に戻らないので、拠点集団から遊牧部隊に娘たちを移籍するようになり、人工的な父系集団が形成されたのだ(遊牧ではその生産様式が婚姻制度を規定している。)ここで移籍した女たちの性的自我→否定意識→私権意識が顕在化し、それが遊牧部族の男たちにただちに転写される。
そうなると自集団を正当化する観念が形成され、集団全体がそれに収束する。そうなると、他集団否定(自集団のためなら、よそ者は殺してもいい)という理屈は簡単に成立する。
これが遊牧部族の集団自我→否定意識→私権意識の登場過程であると考えられる。
自集団の正当化観念が掠奪→戦争の直接的原因ではあるが、複層集団の相対意識が母胎としてあってはじめて正当化観念も成立する。
認識の転換が必要である。
これまで自我は個人と一体であると考えてきたが、それは間違いではないか。
集団の自我(私権)こそ、自我(私権)の出発点ではないのか。
個人発の自我が集団に蔓延したのではなく、まず集団自我(私権)が生まれ、それが個人に転写され、個人の自我(私権)が生まれたのではないか。

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画像は「共同体社会と人類婚姻史」からお借りしました。
確かに、集団自我(私権)が強い時代は私権欠乏発の否定意識(不満や怒りや要求)も強く、私権欠乏発の自我「自由(自由追求の欠乏)」も強くなるが、集団自我(私権)が衰弱すると私権欠乏発の不満や怒りや要求も無意味化し「否定」意識が空中分解してゆき、個人の自我も衰弱する。
このことから考えても「集団自我(私権)があってはじめて個人の自我も発現する」⇒「自我の原点は個人自我ではなく集団自我」と考えて間違いないが、これは、人類の遊牧部族⇒掠奪集団だけではなく、真猿にも当てはまるのではないか?
真猿集団は他集団と同類闘争を繰り広げている。これは集団間の縄張り闘争=私権闘争である。そこで自集団の縄張り意識(私権意識)が強くなり、そこから「縄張りを守るためにor拡大するために敵集団を倒せ」という他集団の否定意識が強く形成される。
真猿の同類闘争(種間闘争)の制覇種がチンパンジーである。
同類闘争の制覇種であるチンパンジーが極めて好戦的で凶暴であり、チンパンジー集団同士の闘争では敵集団のチンパンジーと殺し合うことから考えても、真猿の同類闘争(集団間の私権闘争)が、集団自我(自集団の私権意識)を媒介にして他集団の否定意識を生み出したという仮説は十分成り立つように思われる。
実際、チンパンジーは好戦的かつ凶暴で同類殺しをすることや、メスの子どもが成長すると集団の外に出て行く父系集団である点も、人類の遊牧集団⇒掠奪集団と親近性が強い。
真猿においても、集団間の同類闘争(縄張り闘争)⇒集団自我(自集団の縄張り意識=私権意識)⇒他集団の否定意識が強くなり、それとともに真猿個体の否定意識も強くなる。その否定意識を媒介にして、周りから与えられた期待や評価を否定した場合に評価(共認)捨象・自己正当化の自我回路が形成される。こうして個体の他者否定・自己正当化の自我が形成されたのではないだろうか。
「自我の源泉は、共認の部分否定にある」
本能に基づく外敵闘争ではなく闘争共認に基づく同類闘争になると、同じサル同士の闘いなので体格が劣るメスは全く戦力にならない存在となり、存在理由を失って終う。
「サル時代の雌雄分化 ~集団が同類闘争に適応するために、メスは性収束した~」
真猿のメスが役割欠損から依存収束すると同時に強力に自我収束したのも、この他集団の否定意識発の否定意識があったからであろう。
∵役割欠損だけでは必ずしも自我収束しない。共認を否定する意識が強くあってはじめて自我収束する。
つまり、同類闘争(集団間の縄張り闘争)が集団自我(私権)と他集団の否定意識を生み出し、それが個体の否定意識と個体自我を生み出したという仮説である。
それを検証する意味でも、チンパンジーとボノボの違いは示唆的である。(続く)

List    投稿者 staff | 2013-10-23 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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