2013年10月19日
自給期待と日本の近未来2~不正選挙で大衆はお上を見限った~
昨年末の衆院選そして今年の参院選で顕在化した「自給期待」(自分たちで生きる道を考える)という意識潮流がどのようにして顕在化したのかを明らかにしたいと思います。
過去を振り返ると、これまで日本人は「国家・社会をどうする?」という社会統合課題は、殆どお上(特権階級)に任せてきました。
『6/27なんでや劇場レポート「日本人はいつ物を考え出すのか?」(5)
日本人は物的な工夫思考は得意。身近な集団をどうする?ということも考える。ところが、社会的な思考力は貧弱で、「国家・社会をどうする?」ましてや「世界をどうする?」などはほとんど考えたことがない。
改めて、歴史的に振り返ってみると、
縄文→弥生の転換期には、大陸の敗者受け入れで何も考えず。
弥生→大和の転換期には、朝鮮半島からやってきた正規軍の圧倒的な力を見て、服属することに決定。
元寇や秀吉の朝鮮出兵では戦うという決断をしたが、黒船来航では始めは尊皇攘夷だった同じ人物たちが、西洋列強との力の差を知り、脱亜入欧へコロっと転換(脱亜入欧は西洋文明を取り入れただけで自分たちで物を考えたわけではない)。
そして、第二次世界大戦で敗北して、それ以来GHQ・アメリカに服属。
それが、『お上を見限る』までに至ったのはなぜでしょうか?
お上を見限るまでの大衆の意識を見てきたいと思います。
写真はこちらのサイトからお借りしました。(リンク)