2013年10月25日
自給期待と日本の近未来3 ~否定から実現へのパラダイム転換~
前回記事「不正選挙で大衆はお上を見限った」では、2012~13年の選挙結果によって大衆の意識が大きく転換し、「自給期待」(自分たちで生きる道を考える)が顕在化してきた流れをみてきました。
今回は、現在、大衆の中に生起し始めた自給期待は、人類史上どのような転換をもたらしているのか、かつての運動や意識潮流を振り返りながら見ていきます。
以下、当ブログ 不正選挙で顕在化した「お上を見限って自給期待」とは、否定から実現へのパラダイム転換より引用
一見すると、不正選挙より3・11原発事故の方が社会的影響は大きいはずである。
しかし、3・11では人々の行動は何も変わらなかった。これは、3・11では支配層に対する「おかしい」という不信(否定)に止まっており、その意味では受身の反応で、真に主体的な決断(行動)には至らなかったからである。
お上(現体制)に対する不信も反対を叫ぶことも、その出所は否定意識にすぎない。その否定意識の前提にあるのは体制への依存である。体制依存(お上頼み)を前提にした上で、「お上がしっかりやってくれない」から不信感を生むわけである。
しかし、いくら口で不信や反対を唱えても、肉体が体制依存のままでは行動が何も変わらないのも当然である。
否定意識(と自己正当化)とは近代を貫くパラダイムであり、そのパラダイムの檻に止まる限り、社会が変わらないのは当然の帰結である。実際、近代以降、とりわけ戦後の60年間、数多の反対運動が巻き起こったが社会は何も変わらなかった。