共同体社会の実現に向けて-5 ~実現論序2.私権時代から共認時代への大転換(その1)~ 【現実世界を動かしている力の構造】
現代社会は大災害や原発事故などによる「地球危機」と「経済危機(市場崩壊)」に見舞われ、社会秩序の崩壊から下手をすると滅亡にまで至りかねない危機状況に直面しています。前回まで見てきた「実現論序1.」では、それらの危機が近代思想(直接的には近代思想に染め上げられた官僚や学者・政治家・マスメディアなどの統合階級)によって社会全体がリードされてきた結末であることを明らかにしました。
そして、次代の社会を築いていくためには、近代思想に代わる新理論を普通の生産者たちによって創り出し、次代の社会の実現基盤を発掘することが必要であること、そのためには歴史の中に示されている実現構造を明らかにしていくことが必要であり、この「実現論」がその先鞭をつけるものであることを示しました。
これから見ていく「実現論 序2.」では、現代が私権時代から共認時代へと大転換していこうとしている過渡期であり、社会の構造がどのように変わり、企業などの社会を構成する集団がどのように変化していくのかを考察しています。
今回は、歴史を遡りこれまでの私権時代がどのような社会構造であったのか、時代の変遷の中で社会の構造がどのように変わってきたのかを明らかにします。マスメディアや学校では絶対に教えない内容ですが、次代の社会の実現構造を見通していくためには必要不可欠な認識です。
現代社会に対する状況認識を共に深めていくきっかけにしていただければ幸です。
続きに入る前にご協力をお願いします。
それでは、早速見ていきましょう。
実現論 序2.私権時代から共認時代への大転換【現実世界を動かしている力の構造】
市場社会の崩壊と大転換の時が迫っているが、この危機を乗り越え新しい社会を実現するためには、まず、この現実世界を動かしている力の構造を知らなければならない。
従って、まずはじめに、現実世界の力の構造とその現在の状態を明らかにしておこう。
私有制度に基づく社会では、誰もが、私権(地位や財産)の獲得を目指して争う。教科書に載っているいわゆる文明社会とは、誰もが私権(の獲得)に収束することによって統合された、私権統合の社会に他ならない。(※収束=統合とは:下記(注)参照)
当然、そこでは私権の獲得に必要な力がものを言うことになり、力の弱い者は力の強いものに従うしかなくなる。力の原理である。
私権社会は、このような力の原理によって統合されている。その力とは、武力闘争の社会では武力であり、市場競争の社会では資力である。それらの力は、社会を統合する統合力であると同時に、闘争相手を倒す制覇力でもある。
この力を体現した勢力が、武装勢力や金融勢力であり、これら中核勢力がこれまでの社会を動かしてきた。
(注)収束とは、一点に集まっていく事。生物は、外部世界に適応しようとして先端可能性(与えられた状況とそれに対応する諸機能のうち、最も可能性のありそうな対象とそれに対応する機能)に収束する。先端可能性に収束する事で、個体(の意識)や集団や社会は秩序化され統合される。(実現論 新概念定義集:「収束と統合」)
では、これら中核勢力はどのようにして社会を動かしてきたのか、その支配構造を古代と近代のそれぞれについて少し具体的に見てみよう。
古代初期、王国が誕生した段階では、武装勢力を率いてきた部族長が王となり、将たちが貴族となって、国を治めていた。
ただし、部族長は、もともと祭祀を司る長でもあったが、王国が誕生する前後に、祭事は神官(後に教団)に委ねられてゆく。次に、国の規模が大きくなると、政治も官僚に委ねられていった。
そして、教団勢力が大衆の共認支配を担い、官僚勢力が大衆の法制支配を担うことによって、現実に社会を動かすと共に、その権力をどんどん拡大していった。
その結果、王は、形の上では最高権力者だが、それは表向きだけで、実権は官僚や教団が握って好きなように社会を動かすようになり、王は彼らが進める彼らに都合のよい施策に、お墨付きを与えるだけの存在にまで形骸化する。要するに、名前だけのお飾りである(日本の天皇がその典型)。
それに対して、市場社会では、金貸しが、官僚を支配し、教団に変わって登場した学者とマスコミを支配し、そして官僚機構が大衆を法制支配し、教宣機関(大学・マスコミ)が大衆を共認支配している。
こうして見ると、古代と近代では、社会統合と大衆支配の仕組みは、基本的にはまったく同じであり、ただ統合力=制覇力が、武力から資力に変わっただけである。
なお、武装勢力は、国家が成立するまでの戦争状態では序列の頂点にいるが、国家が確立すると官僚に実権が移る。その後も戦争状態よりも平和な期間の方が長いので、官僚が実権を握り続ける。そうなれば、再度、戦争状態になっても官僚支配は変わらず、武装勢力は官僚の下orよくて横並びの位置に止まる。
それに対して、金融勢力が君臨する市場では、市場競争が(戦争状態が非日常であった古代と違って)日常的に存在している。従って、市場社会では、金融勢力が常に頂点に君臨し続ける。しかし、金貸しは決して社会の表には出てこない。その意味では、古代より近代の方が、支配勢力の力の蓄積はより巨大なものとなり、かつ、表からは見え難くなっている。
ロスチャイルドやロックフェラーに代表される金融勢力=金貸しは、近世以来、配下に諜報・工作機関を持ち、目星をつけた政治家や官僚や学者を、一般的には利益誘導によって、勝負所では買収と脅迫を使い分けながら、支配し続けてきた。その力は、王室さえも操れるほどである。
マスコミにいたっては、利益誘導や脅迫による支配だけではなく、金貸しが直接的に経営支配しているケースが多い。要するに、力の頂点に君臨する金貸しが、政治家や官僚や学者やマスコミ等の統合階級を支配し、その統合階級が大衆を法制支配+共認支配しているというのが、現代社会の基本構造である。
具体的な事象については以下の記事などが参考になると思います。
※金融勢力による政界支配の一端について記載した記事
・ロックフェラー→CIAによる東京地検特捜部を用いた政界工作
※こちらは、かなり長いですが、歴史の流れに沿って分かりやすく記述されています
・日本人が知らないニッポン
いかがでしたか。不可解な戦争やテロ、世界中で頻発する暴動、繰り返し起こる金融危機、民意を無視した原発存続の動き、検察・司法の暴走…等々、私たちが日ごろ何かおかしいと感じている様々な出来事の背後にある基本構造が明らかになったのではないでしょうか。
このような力の原理による支配構造をみんなが認識し、打開していくためにはどうしたらいいのか? を考えていくことが求められています。それが、現代の閉塞した社会状況を突破していく第一歩になると思います。
次回は、これまで数千年間続いてきた私権社会の支配構造を超えて、人々が力を合わせて築いていく次代の社会(人類本来の共認社会)へと大転換していく、その道筋を明らかにしていきます。
乞うご期待!
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