もう、プロには期待できない~大衆による直接社会統合の可能性 11 ~必要なものは実現の論理~
前稿でシリーズは一旦まとめましたが、「これからどうする?」の部分を補足しようと思います。
菅直人首相は運動家の出自はどこへやらアメリカの傀儡となり、千葉景子法相は自身の信念と国家統合課題の葛藤に気概も表さず死刑を執行し、辻元清美議員は見え見えの風見鶏で社民を離脱しました。「左翼はすぐに転向する」 とも言えますが、彼らには結局現実を「どうする?」が無く、否定の論理しか持たなかったからです。
これれから新しい時代を築くのに必要なものは「実現の論理」です。既存の政治家、左翼やマスコミがやるような「否定の論理」で社会は統合されません。統合してゆくためには収束先たり得る可能性の提示が必要です。
なんか、情けないですよねぇ~
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るいネットから引用しましょう。
否定の論理しか持たなかったが故に、民主党は敗北し転向した。
’09年の衆院選で民主党は、脱自民(反特権)の潮流を追い風に、自民党批判・官僚批判と「政権交代」をスローガンにして圧勝し政権を獲得しましたが、政権を獲得するというのは何事かを実現する立場になるということであり、そこでは批判するだけでは済まされません。ところが、民主党には自民党批判・官僚批判といった否定の論理はあっても、「では社会をどのようにして変えてゆくのか?」という実現の論理はありませんでした。
例えば、事業仕分けをするのであれば、あるいは郵政民営化を差し戻すのであれば、「では、国家財政や郵貯350兆円を社会再生のためにどう使うのか」という答えが求められます。また、普天間基地を沖縄から移設するということは脱米路線に舵を切ることと同義ですが、であれば脱米後の外交や国防をどうするのかが課題となります。あるいは官僚批判をするのであれば、官僚支配に代わる社会統合の仕組みをどう構築するかが課題になります。
ところが、「民主党マニフェスト2009」リンクには、官僚批判⇒「政治家主導」「国民の生活第一」といったスローガンやバラマキ政策はあっても、「社会をどのように変えようとしているのか?」その実現イメージすら読み取れません。さらに、本気で社会を変えようとすれば、その実現基盤が発掘できるまで社会の構造を掘り下げ解明する必要がありますが、そのような実現ベクトルに貫かれた追求の形跡は見当たりません。
そして、否定の論理しか持たず、実現基盤はおろか実現イメージさえ持たない民主党がいざ政権を担うことになっても、これまで社会を統合(支配)してきた官僚組織を解体することなどできるはずがありません。逆に官僚たちに縋らざるを得ず、その言い成りになって政権交代から1年も経たずに転向者が続出するのは、当然の成り行きだったのです。
~中略~
つまり、現実否定意識に基づく近代思想から脱却できない、従って否定の論理しか持ち得ないことが、民主党が敗北し転向した根本原因なのです(否定の論理とは敗北の論理であるとも言えるでしょう)。
前稿で出しました「平成版参勤交代」はこの実現の論理の一部です。
実現の論理とはどういったものか?超国家・超市場論30実現の論理から
その際、最先端の機能or意識or闘争は、常に古い機能or意識or闘争によって構成された古い現実世界の真っ只中に登場する。それが、真に最先端の適応機能(or意識)ならば、当然、古い機能(or意識)を自らの下に収束させてゆく。むしろ、最先端の適応機能(or意識)は、古い現実世界の真っ只中で古い機能群(or意識群)を収束させてゆくことによってのみ、それが最先端機能であることを証明してゆくのである。
今、古い現実=私権圧力による秩序統合はボロボロの状態です。社会は大衆側から新しい統合形式に変わりつつあります。しかし、統合者側は古い現実から脱却出来ません。
社会の底辺側はマグマのように、新しい体制へと移行しようと煮えたぎっているのに、その上部にいる政治家、官僚、マスコミは古いパラダイムにとらわれたままで進化出来ずにいます。それが、今の社会の閉塞状況です。
我々の社会が、新しい時代へと進化するためには、その収束先となる言葉(=観念)が必要です。その言葉は現状を否定するだけでなく、実現可能性を示す、確かに「そうすればスッキリするし、上手く行きそう」な感覚が持てるものでなければ収束できません。
これが「実現の論理」です。
当ブログでは、今後も出来る限りこの論理を示せるように精進してゆきたいと思います。
これで、シリーズ「もう、プロには期待できない~大衆による直接社会統合の可能性」を本当に終えます。
ありがとうございました。
>しかしながら、(中身はともかく)集団の収束力が強ければ集団は強くなる(※集団の強さとは収束力)。
>古代ローマが大帝国になったのは、山賊の寄せ集めだから、略奪を拡大し続けるしかなかったのであり、他の集団よりも『略奪によって私益を拡大する』ことへの集団の収束力が強固であったためである。
これ、気づきです!
だとしたら、現代の寄せ集め略奪集団=アメリカに対抗しようと思ったら、それに匹敵するだけの収束力を形成しないといけないってことですよね!
充足基調や本源志向が高まっているとはいえ、まだまだそれでは不十分なんですね。