2009年09月28日

既成社会理論の限界と突破口~否定意識や自我観念から脱却できない近代人=現代人~


「我思う、故に我あり」のルネ・デカルト(画像は知の快楽さんよりお借りしました。)
社会は今閉塞状況に在る。
この200年(日本は100年)社会を導いてきた社会理論は近代思想である。この社会閉塞は近代思想(を始めとした既成の社会理論の)の閉塞でもある。
現在、政権交代こそ実現したが、この近代思想を立脚点にしている点では、民主党も自民党も実は代わりが無い。本当に社会を変えるためには、社会を導いてきたこの近代思想(既成の社会理論)の抜本的な見直しが不可欠である。
では、そもそも既成の社会理論にはどのような限界や問題があるのか。どうすればその限界を乗り越えられるのか。そのような問題意識で記述されたのが、近代思想の問題点やそれを越える条件を明らかにしたるいネット構造認識の現況」「思考次元」「観念パラダイムの逆転等のシリーズ投稿である。当ブログでは社会閉塞の突破口を考察する上で、既成社会理論の限界と突破口を示した、これらのシリーズ投稿を連続的に紹介していきたい。
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但し、そもそも社会理論の必要性についてピンと来ていない人も中にはいるかもしれない。
例えば今回の選挙でも自民党は「責任政党」という「規範観念」を掲げ、民主党は「友愛」という「理念(価値観念)」を掲げた。また個々の政治家においても、「政治は愛」だとか、「情熱」だとか、「庶民の目線」であるとか等々、人々の心に響きやすい言葉が飛び交った。しかしそれらの言葉(政治理念)だけで果たして政治が変わるだろうか?これらは政治家の心構えとしては必要かも知れない。しかし政治や社会を変えるにはそれだけでは不十分な事も明らかだろう。社会を対象化するには社会の成り立ちや、構造を明らかにした社会理論が不可欠なのだ。

トマス・ホッブスの「リヴァイアサン」(画像はエディタコミュニティさんよりお借りしました)
では具体的紹介に入る。

構造認識の現況1」の1より引用
「古代・中世の社会は、基本的に集団(統合)原理に基づく身分序列の社会である。従って、規範観念や価値観念で社会を捉えることが出来た。
しかし、市場社会は、集団を超えた交換(統合)原理に基づく社会であり、もはや感応観念で社会を捉えることが出来なくなった。(例えば、自由・平等・博愛etcの価値観念で社会を考究しても、ユートピアにしかならない。)
そこで、感応観念に対する不信or無効の潜在思念を下敷きにして、超越思考(客観主義)や事実追求(経験主義・実証主義)を重視する気運が強まり、感応観念から構造観念への移行が推進された。」
まず簡単に言葉の説明をしておく。「価値観念」「感応観念」とは「友愛」「情熱」などの「価値観や理念」を表す、人々の心に響きやすい観念を指す。それに対して「構造認識」とは自然科学などに代表される。客観的な構造や、法則を表す、特定の価値観の混入していない、事実を体系化した理論を指す。」

では古代中世の社会は、何故「規範観念」や「価値観念」で社会を捉えることが出来たのか?それはまず古代・中世は武力を背景とした、力関係に則った「力の原理」で社会が統合されていたからであり、その力の序列関係を制度化した身分序列とそれを正当化した「身分規範」(規範観念)で社会が統合されていたからである。この力の原理は単一集団の統合原理である。
また封建社会は、地方分権社会であって、封建領主が地方を治め、その上位に幕府や国王が立つという関係である。つまり日常生活を占める地域は独立した存在であり集団間の交流もほとんど存在しない。閉じられた集団を統合するだけなら複雑な理論は必要ない。力関係や心情関係(や、せいぜい規範観念群)で統合可能である。
古代や中世に、社会理論(構造認識)は必要されなかったのはそのためである。

フランス革命(画像は連山さんよりお借りしました。)
しかし市場社会に成って状況は一変する。
まず市場は生涯(末代)固定の身分制度に風穴を開ける。つまり閉ざされていた私権追求の可能性を開く。その結果部分的に身分序列が無効化する。従って身分序列を土台とした規範観念も無効化する。
また市場は単一集団を越えた、集団間の交流を登場させる。その際、利害や価値観の異なる集団間や地域を越えた観念の必要が生じる。加えて市場は集団から離脱した個人(商人や雇われ人)を登場させる。
つまり集団内の原理を超えた「社会空間」を登場させるのである。
それが集団原理とそれに基づく規範観念や価値観念あるいは利害関係など、それらを超えた客観的な構造理論を必要とした時代背景(歴史的実現基盤)である。
実際、中世から近代にかけて、客観構造や事実を重視する機運が高まった。それは自然科学の方法の導入(この時期には社会理論家はデカルト等、数学などの自然科学者でもある事例が多い)や百科全書派(自然科学の知識や各国各地域の知見などを編纂した百科辞典を作ろうとした知識人の一派)が隆盛を誇ったことなどに示されている。

構造認識の現況1」-2より引用
「しかし、彼らは貧困と抑圧の圧倒的な現実を前にして、強い否定意識⇒と潜在思念に近い感応観念(例えば、自由・平等・民主)を持って社会を「客観的に」対象化した「社会構造」を提示する事になる。当然、その構造認識は極めて一面的で、その上、人類社会の原基構造を成す原始人類⇒猿社会に関する基礎認識が極めて貧弱であり、とうてい社会を統合できる様な代物ではない。
他方、現実に自我と性の可能性が開かれたにも拘らず、(何らかの個人的欠陥→)非充足の故に深く自我と性に拘り、人間(意識)を「客観的に」対象化した自我派も、結局、自我と性を根幹とした偏った「意識構造」しか提示できない。
要するに、近代思想家たちは、夫々の否定意識や自我観念に囚われた、極めて一面的な「構造認識」しか生み出せなかった。つまり、社会や人間についての構造認識は、未だ入り口にも達しない、根本的な誤りを刻印されたものでしかなかったのである。」


フロイト(画像は成功道さんからお借りしました)
しかしながら、そのような実現基盤がありながら、近代思想家たちは否定意識(社会を否定する意識)に立脚した構造理論しか体系化できなかった。事実、「自由」、「平等」、「人権」などの観念は、自然科学或いは歴史的な事実の根拠をもってそれが絶対正しいと証明できるような代物では到底無い。それらの観念群は、封建体制によって、或いは市場社会によって生まれた抑圧や貧富の差にアンチを唱え単なる理想状態(それは架空のもので現実にはありえない)を言葉化したものに過ぎなかった。或いは構造理論家としての代表の一人であるマルクスにしても、彼は資本の運動によって生まれる社会矛盾を体系的に理論化しが、いざ実現方針となると「万国の労働者の団結」を呼びかけただけである。それは非人間的な「資本」に対し労働者を理想化し観念化しただけのものに過ぎない。
彼らが否定の潜在思念にとらわれ続けたのは何故か、
恐らくその要因は3点であろう。
一つ目は貧困や戦争という「否定」すべき現実が圧倒的に広がっており、社会をどうするという地平に立った時にこの現実を強固に否定せざるを得なかったこと。
2点目に、それらを(否定的現実)克服する普遍的な実現基盤を求めた際に、本来の客観理論であれば、自然科学や歴史上の事実に立脚するしかないが、当時その知識(人類の意識構造や、社会構造を知る上で不可欠である、人類史の圧倒的部分を占める原始時代に関する知識や大脳生理学の知識)が極めて貧弱であり、理論的な根拠が薄弱であった事。
3点目に、市場は確かに私権闘争の可能性を開いたものであったが(自由や個人はそのような私権闘争の主体を正当化したという意味では「肯定観念」でもあったが)、人類の本源的な可能性の母体をなす本源的な集団が、市場の拡大に従って、村落共同体が崩壊するなどむしろ衰弱するばかりであり、従って人間関係の希薄化に代表される共認充足(関係充足)も希薄化するばかりであったこと。
これらの歴史状況が合ったがゆえに、近代の構造理論は社会否定の潜在思念から脱却できず、頭の中の存在に過ぎない「自我」にこだわり続けることとなったのである。(続く)

List    投稿者 mokki | 2009-09-28 | Posted in 07.新政治勢力の結集に向けてNo Comments » 

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