コロナがもたらす観念の転換~ 自由・プライバシーよりも統合
コロナ問題の本質は、ロスチャ+中国の意を受けたマスコミによる洗脳であるが、一方で、独裁的と批判されてきた中国のほうが現実に日常を早く取り戻しており、これまで西欧が信奉してきた旧観念「自由、プライバシー」の無能ぶりを明らかにする事態になっている。このような事態は、近代観念廃棄の結節点となっていくのではないだろうか。
中国は、IT技術でも、株式市場でも、そしてコロナ危機への対応でも西欧諸国を凌駕している。
先端技術の開発であれ、コロナなど、今後もますます増えていく危機への対応であれ「統合力」の時代なのである。自由、プライバシーといった旧観念は、時代の外圧変化の前にますます無能観念であることが明らかになってきている。
2020/4/28付日本経済新聞 「EU、揺らぐプライバシー信仰」
欧州連合(EU)に公式な宗教があるとすれば、それはプライバシーだろう。EUの高官や政治家といった敬虔(けいけん)な聖職者は、EUのプライバシー法だけが救済に導くと説く。EUの一般データ保護規則(GDPR)や「eプライバシー指令」などの聖典は全世界が従うべき英知としてあがめられている。
EUのプライバシー規制の影響力は非常に大きいため、大半の国はこれに従っている。そして、規制に違反すると厳しい処罰が待ち受ける(全世界の売上高の最大4%という制裁金が科されるのだ)。だが、新型コロナウイルスの感染拡大で政策立案者らがロックダウン(都市封鎖)の解除方法を模索するなか、プライバシー信仰は試練にさらされている。
イタリアなど欧州の国々はロックダウン(都市封鎖)の措置を取っており、当局による監視とプライバシーのあり方を巡っては議論が展開されていきそうだ=AP
信仰の危機はかつての熱心な信者たちの間に広がっている。オーストリアの中道右派、国民党を率いるクルツ首相は「(プライバシーとコロナ感染防止は)トレードオフ関係にある」と言い切る。同氏は「我々にとってどちらが重要なのか。データ保護か、それとも日常生活を取り戻すことか。データ保護か、それとも命を救うことか」と訴える。
これまで信心深い大祭司だったドイツの政治家も同調する。ドイツのシュパーン保健相はウイルスの封じ込めにスマホの位置情報を使って感染経路を追跡するよう提案し、厳しい批判を浴びて撤回した。これはまるで(カトリックの最高指導者の)ローマ教皇が、説教の冒頭で(米公民権運動を主導したプロテスタントの)マーチン・ルーサー・キング牧師の言い分にも一理あると認めるようなものだ。
プライバシー信仰への異教徒が多い国や地域は、当局が積極的に監視をしてきた。香港への来訪者は、追跡機能付きの腕時計型端末の装着を義務付けられる。イスラエルは新型コロナに感染した疑いがある人を追跡するため、諜報機関に協力を求めた。韓国では、当局が感染者を特定するのにタクシーの領収書からクレジットカードの利用記録まで調べる。EUは今、安全と監視をどこで線引きすべきか検討している。(中略)
こうした状況では、プライバシーに対する崇高な熱意を捨て去ることになる可能性もある。基本的信念の1つを断念することで政治体制を守るのは、自滅的な行為に思えるかもしれない。だが、政治は結果が問われる。EU各国政府は厳しい監視システムを活用した国と明確に対比され、日常生活をどれほど早く復活させたかで評価されるだろう。歴然とした差が開けば、プライバシーの熱烈な信奉者でさえ信念を貫けなくなるかもしれない。
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