世界が注目する日本人の可能性~西洋文明の行き詰まりを前に日本民族に期待されるもの
日本人の可能性を考える最終回です。
○第二次大戦を征した米国は「戦争」と「ドル紙幣」を世界中に輸出して世界を巻き込んでやりたい放題を尽くして来ました。然し、世界覇権の落日は間近に迫っています。
米国債とドルは暴落へとに向かっており、資本主義経済と国家・民族の集団秩序は破綻の淵へと追い込まれて行きます。米欧主導の資本主義の崩壊をきっかけに世界は大激動期に入ると共に、西洋文明から東洋文明へと人類社会は転換期に入っていくことが予想されます。
この激動の時代に生き残り、再生の可能性を切り開いていくのはどの民族なのか、その一端をこのシリーズでは考えてきました。人類の本源性(共同体質)を色濃く残してきた日本民族に期待されるものは大きいと思われるのです。
人の身になってものを考えるのが、大多数の日本人の常態でした。然し有史以来、世界をどうする/人類社会をどうするなどと、そんなものの考え方をしたことがあったのかという疑問があります。いつになったら日本人はものを考え出すのかという疑問があるのです。
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るいネットより
6/27なんでや劇場レポート「日本人はいつ物を考え出すのか?」(5) 本能的な秩序収束⇒課題収束⇒草の根共認⇒ネット収束
日本人は物を考えたことがあるのか?
日本人は物的な工夫思考は得意。身近な集団をどうする?ということも考える。ところが、社会的な思考力は貧弱で、「国家・社会をどうする?」ましてや「世界をどうする?」などはほとんど考えたことがない。
米中欧崩壊状態でも、日本人がいきなり世界構想にチャレンジしても無理。そこで取る対策は日本人の体質から見て半鎖国政策(米中欧とは鎖国し、共同体的な諸国と細々と貿易して生き延びる)だろう。それでも「国家をどうする?」を考えないと話にならない。
改めて、歴史的に振り返ってみると、
縄文→弥生の転換期には、大陸の敗者受け入れで何も考えず。
弥生→大和の転換期には、朝鮮半島からやってきた正規軍の圧倒的な力を見て、服属することに決定。
元寇や秀吉の朝鮮出兵では戦うという決断をしたが、
黒船来航では始めは尊皇攘夷だった同じ人物たちが、西洋列強との力の差を知り、脱亜入欧へコロっと転換(脱亜入欧は西洋文明を取り入れただけで自分たちで物を考えたわけではない)。
そして、第二次世界大戦で敗北して、それ以来GHQ・アメリカに服属。
これまでの日本の歴史は、力の論理で説明できる。
日本人が多少なりとも物を考えたのは、外圧=力が働いた時だけであり、その時の判断は戦うか服属するかのどちらかで、ほとんどは服属するという結論に流れる。そして、これまでの外部勢力は常に彼らの秩序を持っており、それを日本に植え付けてきた(日本人はただそれを受け入れてきただけ)というわけである。
今回は、力の外圧ではなく、力の空白状態、つまり力の原理の崩壊=世界の秩序崩壊という、嘗て経験したことのない状態である。
秩序崩壊は、本能⇒共認⇒観念の意識構造上、とてつもなく深い位置にある。本能は一つの秩序体系そのものであり、秩序崩壊は本能にとって絶対にあってはならない事態である。人々が秩序収束しているのはその適応本能の働きである(嫌煙権やマナーファシズムなどもその歪んだ事例)。最近では秩序収束から更に進んで、人々は課題収束に向かっている。昔は遊び第一だった学生が今や授業にほとんどが出席するのも、企業でも今や7~8割の社員が定年までこの会社に勤めたいという言うのも、課題収束の現れである。
このように、秩序崩壊は本能を直撃する⇒新たな秩序構築のために「どうする?」という思考が本能的に登場する。この本能的に発生する問題意識は、どんな場面で登場するか?
飲み屋でも、数年前までは女や遊びの話ばかりだったが、今やどのテーブルでも仕事や部門の話に変わっている。遊び→仕事や集団の話に数年間で大転換したわけである。
このような草の根の共認形成が、企業だけでなく身近な地域集団でも起きる。そして、小さな共認形成の場が社会の至る所で無数に形成されるはずである。そこでの課題意識(秩序形成をどうする?)に対する答は新聞やTVにはないので、草の根の共認形成はネットに収束する。そこに至って初めてネットの共認形成力がマスコミの共認形成力を打倒する。
その過程のどこかで勉強会や劇場などの場が作られるが、原点として重要なのは、場が与えられるのではなく、本能的に至る所で共認形成の場が作り出されるということである。そこではネットの情報も草の根の共認形成の場にフィードバックされる。そして、この草の根の共認形成⇒ネット収束がマスコミを打倒することができれば(社会統合の)事は成ったも同然であり、残る問題は政治過程をどうする?といった手続き上の問題にすぎないことになる。
今後の追求すべきテーマとして、次の3点の問題が残っている。
①マスコミが主導権を失ったとしても安心はできない。∵現在のネット界の大半は旧観念(近代思想)に囚われているからである。これを突破しない限り、新秩序は構築できない。
②草の根共認、そこでの人々の問題意識、状況認識はどういう中身で、どういう変遷を辿るのか?
③社会を統合するためには新理論(⇒人類の意識構造・社会構造の解明)が不可欠だが、草の根の共認形成とネットから新理論が形成されるのか否か? また、新理論を欠いた政治革命路線は危険性を孕むが、そこに絡め取られる可能性もある。
○資本主義とその母胎をなす西欧文明の行き詰まりを震源とする激動の時代を切り開いていくには新たな理論が求められ、新理論を欠いた政治路線は危険性を孕むことと提示されました。
新理論を生み出していくにはどの様な場の形成が求められるのか、果たして誰しもが新しい認識を生み出していくことが出来るのか、その疑問に切り口を与えてくれる投稿を引用いたします。
同じくるいネットより
10/17なんでや劇場(7) 現代~近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す
【6】現代~近未来は?
ここまでの流れは、本能次元の秩序収束⇒共認(仲間・課題)収束⇒観念(認識)収束という流れであるが、これは本能機能⇒共認機能⇒観念機能という人類の進化過程(実現過程)をそのままなぞっている。
このことは、現代~近未来が実現の時代であることを示しており、社会期待として捉え返せば、実現期待の時代に入ったとも表現できるだろう。
では、共認収束⇒認識収束の時代に生き残ってゆくために必要なものは何か?
それは、共認充足と(それを母胎にした)実現である。
充足を生み出すには、相手に同化する必要がある。実現するためには、対象に同化する必要がある。つまり、今後必要とされるのは、対象に対する同化であり、同化能力こそが現代~近未来の最終制覇力(実現力)であるということになるだろう。言い換えれば、観念力を鍛えるためにも、言語能力を磨くためにも、同化能力を鍛えるというのが最終回答になる。
同化能力の形成過程は3段階に分けられる。
①赤ん坊は、学習本能によって、トコトン真似る=同化することで吸収する。
②小学校~高校では、観念力の基礎となる言語能力を鍛えるには徹底した暗誦・反復であり、その効果は実証済みである。ex.類塾の事例では、暗誦用テキストを毎晩15分反復した生徒は、半年で偏差値が20ポイント上昇した。
③問題はその先にある。5/30なんでや劇場「観念力を鍛えるには?」で最後に提起した問題は「現在は旧観念に代わる新理論が求められる時代だが、新理論の創出にはどのような能力が必要とされるのか?」である。では、新しい認識はどのようにして出てくるのか?リンク
まず興味or疑問をもって対象に同化すること。その際、蓄積されてきた事実認識群が同化する手掛かりになる。
例えば、今日の事例で言えば、部族連合の時代はどういう時代か?を、今日は「その時代の社会期待は何なのか?」という問題意識をもって、これまで蓄積された事実認識群を総動員してその時代に同化してみた。そのようにして対象に同化すれば、何らかの新しい認識が生み出される。
従って、対象に同化しさえすれば新しい認識が付け加わることによって、より正しく状況が掴め、もって事実を追求すること(原因を追求すること)が可能になる。
新しい認識の創出は超難問というイメージを抱く人が多いが、問題意識を元に対象に同化しさえすれば、誰でも新しい認識を生み出すことはできる。
問題は、この思考パラダイムに転換できるかどうか?
古代宗教や近代思想はこれと逆のパラダイムにある。そこでは初めから答えは決まっており、「神」も「人権」も最終回答である。実際、古代宗教や近代思想が提示する観念群は、それが登場した時から全く進化していない。
だから、そのような言葉を発した途端に誰もが思考停止に陥ってしまう。実際、現在の学者たちも何も生み出していない。それは、彼らが観念信仰に囚われているからである。つきつめれば、彼ら御用学者が振りかざす観念群は彼らの飯の種であり、つまるところ彼らは己の私益のために追求しているからである。
それに対して、対象に同化しさえすれば、素人でも新しい認識群を生み出すことができる。そこで重要なことは、我々は対象に同化するために追求するのであって、私益のために追求するのではないということである。
また、古代宗教や近代思想は価値観念であるが、同化することによって獲得される認識は事実の認識群である。そこには善悪などの価値判断は入っていない。認識収束の時代において、価値観念では万人が共認することはできない。ex.仏教徒とキリスト教徒が同じ観念を共認することはできない。事実だからこそ万人が認識を共認できる。だからこそ、その認識が統合原理となり、万人が紡ぎ出す事実認識の体系が、次代の社会統合の核となるのである。
○世界に先んじてバブル経済の盛衰を経験し巨額の国家財政赤字を背負いながら、如何なる国家も経験してこなかった急激な高齢化と人口減社会を克服していかなければなりません。
そして神戸大震災のような大災害を整然と克服する民度の高さを有し、従米特権階級の暴走にもかかわらず、(私権原理から共認原理へと、)共同体の時代へと若者や先進的な企業や身近な地域集団でも、草の根の場作りが活発化して来ました。
当シリーズの読者や返信投稿を頂いた皆様に感謝いたします。
ありがとうございました。
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