2011年09月07日

企業を共同体に変えるには?6~「本源集団の再生」~

 前回は、現代の企業活動におけるトラブルの原因が指揮系統にあることを見てきました。しかし、指揮系統を廃止し、全てを社内ネットに委ねると言っても、現実的に可能なのか?と思われるでしょう。
 今回は、実際に指揮系統廃止し、社内ネットによる統合を実践している企業の文章です。キーワードは今回シリーズのテーマである「共同体化」です。
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実現論 第4部:場の転換 本源集団の再生 より

 企業を私権統合から共認統合に変えるのは決して不可能ではなく、むしろ簡単である。企業を合議制の共同体に変えれば良い。例えば、会議を中央席から同心円形に二重・三重に囲む形にし(当社では「劇場会議」と呼んでいる)、まずは取締役を中央に座らせ、外側に部課長たちが座って自由に発言させるという風に、取締役会をオープンにしてしまう。それが出来たら次は、部門ごとに部課長が中央に座り、外側に全社員が座って自由に発言するという風にして、完全にオープンな全員参加型の体制に変えてゆく。もちろん、その為には経理を含めた全情報を全社員に公開する必要がある(その為には、相当量のシステム化が必要になる)ことは言うまでもない。  
   
 近代社会は、民主主義を標榜してきた。だが、民主主義を口にするのなら、何よりもまず日々の仕事の場=生産体を、自分たちで動かすことのできる共同体に作り変えるのが、本当ではないのか。日々エネルギーの大半を費やして生産活動を営む、最も身近な集団を自分たちで動かすことのできない権力体のままにしておいて、はるかに遠い超肥大集団=国家(議会)に四年に一回投票するだけの、西洋式の民主主義など全くのごまかしである。人類が五〇〇万年に亙ってその中で育まれ進化してきた『自分たちで動かすことのできる生産体or 集団』は、人間にとって決して失ってはならない絶対的人権である。人々から生命の母胎とも言うべき本源集団を奪い盗り、何もできない様に去勢しておいて(現に、サラリーマンからは何の運動も生まれなかった)、支配共認に染められた民に「主権」を与えただけのまやかしの「主権」在民や、支配共認の枠内に矮小化された「人権」尊重へと国民を染脳するのは、むしろ犯罪的でさえある。  
 企業を合議制の共同体に変革しさえすれば、三年以内に『自分たちの生きる場を自分たちの手で作ってゆく』ことの大切さを、皆が体得してゆくだろう。言い換えれば、共認と集団の大切さが体得されてゆくだろう。それは、長い間権力によって封鎖されてきた、人類本来の豊かな共認充足の再生に他ならない。・・・

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生産共同体としては古くから農村や漁村の共同体がありますね。
 >「民主主義を口にするのなら、何よりもまず日々の仕事の場=生産体を、自分たちで動かすことのできる共同体に作り変えるのが、本当ではないのか」
 数年に一回の、それも選択肢を見るとがっくりしてしまうような選挙で、国政に参加したというのは欺瞞ではないのか?
そんなものが民主主義ならば、民主主義が欺瞞ではないのか?
 各人にとって、一番大事なのは、日々働く企業体の統合を担うことではないのか?日常所属している集団の統合担わずに、日々の充足は無い。自ら働く場で主体的に役割を担い、集団を作り、その延長に地方や国の政治がある。それが本当ではないのか?
企業の共同体化は構成員の活力を上昇させることが第一の目的ですが、社会の統合=共認社会の実現そのものにも関わっていく内容を持っているわけです。

List    投稿者 hihi | 2011-09-07 | Posted in 07.新政治勢力の結集に向けて1 Comment » 

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コメント1件

 holland hermes | 2014.02.02 23:52

hermes handbags new collection 2012 日本を守るのに右も左もない | 幕末の思想3 市場化による共同体の崩壊から生まれた世直し期待と民衆宗教

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