次代の社会統合の場を考える③~私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である~
前回の記事『次代の社会統合の場を考える②~国家と(力の序列共認)とその統合限界~』では、私権獲得を最大の活力源にしながら、固定的な身分制度に基づく収奪よって下層階級の私権拡大の可能性閉ざされるという、武力統合国家の統合限界を扱いました。
武力支配国家で身分制度が固定されると、税などによって上位者に富が集積し、時間の経過とともに生産財である土地が押さえられていきます。さらに世襲制でその財が親から子に受け継がれれば、上位と下位力の格差広がる一方です。その結果下層階級の私権拡大の可能性は徐々に閉ざされていきます。
今回は、この「上位への富の集中」という結果に応じた可能性収束先として登場した「私権闘争からの抜け道=市場」に焦点を当てていきます。
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るいネット:『超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である』からの引用
交換取引は、武力闘争(およびその帰結たる身分制度による私権拡大の封鎖)からの抜け道として登場した。それどころか、最初に交換関係が登場した動機は、額に汗して働くよりも、(相手にこの品物が大きな可能性を与えてくれると信じ込ませることさえ出来れば)交換によって得る益の方が、ずっと大きいからである。
実際、古代市場も、女の性的商品価値を一層高めてくれそうな宝石や絹や毛皮を主要な交易品として、拡大していった。(なお、近世→近代も、呉服や毛織物やレースが起点になる。)それに対して日常の主食品(米や麦やイモなど)に対しては、その様な幻想的な可能性など描き様がない。
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交換取引は、秩序が一定程度安定していなければ成立しません。初期の市場は、国家事業に伴うものだったと考えられますが、国家が安定するにつれ、前回扱ったように統合階級に権力と冨が集中し、混乱や腐敗(ex解脱欠乏を満たす宮廷サロンのような遊興の場など)が生じます。
この国家に寄生し、そのおこぼれを預かろうとする商魂逞しい者たちが交換による私権の獲得~拡大という抜け道を切り開いていきました。その魁となって交易の道を開いたのは遊牧民が有力だと考えられます。
【参考記事】
『自給できない遊牧民の特異性』
『古代商人の前身は遊牧民』
『宮廷サロンをつくった商人とそれを支えた受領』
『交易文明トランス・エラムの商人がインダス文明を形成』
るいネット:『超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である』からの引用
この幻想共認(幻想への可能性収束)によって作り出された、市場商品の価格と一般農産物の価格との価格格差こそ、市場拡大のテコとも原動力ともなった市場の秘密の仕組みである。 (異国の食品や、無農薬の食品は、幻想共認の形成が可能であり、だからこそ一定の市場化も可能なのである。)
そこでは当然、農耕の労働価格は、幻想商品の労働価格にくらべて、異常に低くなる。この価格格差(価格差別ともいえる)の秘密こそ、途上国が一貫して貧困状態に置かれ続けてきた真の理由であることは、いうまでもない。
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注目すべきは、「市場拡大は幻想共認に基づく不等価交換を原動力としている」点です。一般的に市場・交換というと、つい等価交換がなされているようなイメージを抱きます。しかし、安く原資を手に入れ、可能な限り価値のあるものだという幻想による騙しで不等価交換を行うのが市場の仕組みの本質です。
【参考記事】
『4000年前には農夫と職人の賃金格差は2倍』
『農産物はなぜ安いか?』
『『おいしいコーヒーの真実』が語らないこと』
るいネット:『超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である』からの引用
(なお、採取部族間の友好維持の為の贈り物と、私権利益を獲得する為の交換とは、共に共生(取引)適応の一種ではあるが、その発生基盤は片や共認原理、片や私権原理と全く異なっており、従って、贈り物は、決して私権時代の市場の起源なのではない。だから、「贈与」と「交換」は、厳格に区別されなければならない。)
(同様に、生活必需品の物々交換が市場の起源であるという話も、真っ赤な嘘であって、生存上の必需品を他部族に委ねる部族など存在しない。その様な物々交換は、市場(関係)がある程度日常的に存在する様にならない限り成立し得ないのであって、従って、市場の真の起源は、私権闘争の抜け道としての、快美幻想の共認、もっとはっきり言えば「騙し」をテコとする私益行為以外には考えられない。)
市場の中に居て馴染んでいる私達は、「取引」に対して「贈与」という概念はあまりピンと来ないところもあります。「贈与」に関連する投稿を紹介します。
【参考記事】
『「贈与」と「掠奪・収奪」と「交易(交換取引)」』
『黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか①』
『黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか②』
『「贈与」に何を学ぶべきか!~2、縄文人の集団間の関係は?』
るいネット:『超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である』からの引用
性幻想を高める為の毛織物やレースをはじめとして、私権圧力下の解脱回路(主にドーパミン回路)が生み出す快美幻想がはびこり、生活全般に亙って快美(快適さや便利さ)を求める快美欠乏が上昇してゆくにつれて、その幻想共認が作り出す価格格差をテコとする市場はどんどん繁殖してゆく。そして次には、その生産効率を上げる為の科学技術が発達してゆき、市場の拡大競争が生み出した侵略戦争→軍備強化への期待圧力が、その科学技術を更に大きく発展させてゆく。
この科学技術の発達による快美充足の可能性(快適さ利便さ)の実現こそ、中後期の市場拡大の原動力である。
快美欠乏はなぜ上昇し続けたのでしょうか?
豊かになった現代では、僅か数十年前と比べても、快美欠乏は数段低下し続けている実感があります。快美欠乏が上昇し続ける上では、私権圧力を背景に、「人よりも上(より便利・快適・高価)」である事が、周りから羨望の眼差しで評価される事にもなり、「人よりも」という意識が留まる事のない快美欠乏の上昇を牽引していたのだと思います。「もったいない」という言葉に見られるように、人々が「本当に必要か?」という意識を持ち始めている現在、これまでの市場は拡大のテコを失ったとも言えます。
市場は当初富が集中していた上位層に始まり、下層にまで広がり続けて今日に至ります。その市場拡大の原動力となった科学技術の発展の背景には、国家の市場拡大への加担や、グローバリズムに繋がる欧州の特殊事情があります。参考投稿を紹介します。
【参考投稿】
『12/29 なんでや劇場レポート②~近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた~』
今回は、幻想共認による価格格差、快美欠乏の上昇が私権闘争の抜け道である市場の拡大の原動力であるという構造を抑えました。次回は、市場が拡大していく上で不可欠だったもう一つの具体的な要因を扱います。お楽しみに
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