2010年11月01日

シリーズ『超国家・超市場論』1 新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?

日本は今、大きな分岐点をむかえている。
現在、政治改革や政界再編が焦点になっているが、その中でも特に中心的な論点になっているのは、官僚支配の弊害(それに対する地方分権や事業仕分けの議論)であり、もう一点は景気刺激策である。
しかしながら、それらが議論される際に、そもそも官僚機構がなぜ生まれ、なぜ官僚支配となるにいたったのか?翻って、今の政治家や官僚の存在は、本質的には何が問題のなのか?といった、歴史的視点からの議論が極めて貧弱な様に思われる。同様に経済≒市場はどのように登場し、拡大してきたのか、そして現代何故市場は衰弱するに至ったのか。翻って、そもそも現在の小手先の手法で市場は再生していくのか?という歴史的視点を踏まえた議論も極めて貧弱な議論も極めて貧弱なように思われる。
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後々詳しく展開していくことになるが、現在日本あるいは人類社会は、生存圧力の衰弱という、生物・人類史上未曾有の状況を迎えている。そして、そもそも、国家や市場という存在は、人類500万年という長い人類史の中では、せいぜい3000年程度の時間しか経過していなく、ごく短期間存在した仕組みに過ぎない。
これから、当ブログで紹介する『超国家・超市場論』は、国家・市場がどのようにして生まれたのか、あるいはどのようにして衰弱してきたのか、そして、現在の国家や市場という仕組みを、いかに新時代に則した新しいものに変えていくのかについて、分析と基本的方向性を展開した投稿群である。これらの投稿の紹介を通じて、今後の社会、ひいては政策の基本的方向性を上述した歴史的視点から明らかにしていきたい。

しばらくみなさんの投稿を拝見していましたが、中でも『お金の使い方』に着目した玉川さんの投稿29283は、何でもないことの様で実は、答えへの重要なカギを秘めた(例えば、環境問題に対する最終解答になり得る可能性を秘めている)極めて重要な視点ではないかと思われます。
一方、その前後から、お金の持つ『万人に認められた評価指標』としての機能or可能性に注目した投稿が続いてきた(そして今も続いている)訳ですが、私はその視点だけでは答えに肉迫することができないと思います。
例えば、お金は現在すでに第二義的な価値しか持っていませんが、その様に既に最先端価値ではなくなった(あるいは、今後ますます衰弱してゆく)『評価指標』が、新しい認識闘争⇒評価闘争の場である認識形成サイトの『評価指標』になるとは考えられません。
なぜなら、認識形成の場は、人々の最先端の外向収束⇒認識収束を結実させた全く新しいまつり場であり、それは人々の最先端の可能性収束の場であるが故に、同時に、人々の最大の活力源となる筈の場だからです。
新しい場には、それに相応しい『評価指標』がある筈で(例えば、秀作・佳作・掲載・非掲載やそれを数値化した投稿ポイント、あるいは序列化された投稿資格etcも、その様な評価指標の一つです)、敢えて古い評価指標であるお金を使う根拠が、皆さんの投稿からは見えてきません。

この投稿は、直接的には「『万人に開かれた認識形成サイト』における、認識闘争⇒評価闘争に相応しい評価指標がなんであるべきなのか?(秀作・佳作などの投稿評価、あるいは数値化したポイント、資格、懸賞金など)」に対する基本解答を求めようとしたものである。
万人に開かれたインターネット上の認識形成サイトは、一方的な発信によって世論形成を牛耳る現在のマスコミに代わる、開かれた共認形成(世論形成)の場を目指すものであり、その意味で次代の社会の中核部の雛形を目指すものとなるはずのものである。その意味でそこでの評価指標の有り様は次代を考えるうえで極めて重要なものでもあるが、まずは、そもそも評価指標とは何であるのか、あるいはそれが、いかに重要なものであるのかについて明らかにしておく必要がある。
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評価指標とは社会あるいは「場」を統合するために、或いは活性剤として不可欠なものである。この社会的評価指標は人類史上様々なものが存在してきたが、その中心的評価指標はその社会を取り巻く圧力状況によって変遷してきている。
古代・中世は武力支配の時代と認識されているように社会を統合する中心的な力は「武力」であり、社会が安定秩序化した後は、その武力の大きさを序列化した「身分」制度が評価指標となってきた。
この身分制度は、社会統合の為の制度であると同時に、身分の高さが社会的な力をも規定するので、同時に万人が獲得を目指す目標(活力源)でもあった。そしてこの身分制度は洋の東西を問わず帝国が登場して以降、世界中例外なく身分制度となるという普遍性を持っている。
また、近世・近代(市場時代)は身分以上の力として財力(お金)が最重要の社会的指標指標となってきた。そして同様にお金は市場が存在する場では世界中でほぼ普遍的に登場する。つまり、これら「身分」や「お金」などの社会的評価指標が存在しなければ、おそらくは社会は統合or活性化することは出来なかったであろう。(注:但しお金は活力源という側面はもっているが、社会を統合する力をもっていないことは後々明らかにしていく。)
これらの評価指標は勿論現代もある程度の力をもっている。例えば身分(肩書き)出世は多くのサラリーマン達の活力源として今なお生きているし、官僚(公務員)や大学教授、あるいは弁護士や公認会計士などの資格は、明らかに身分制度の一種である。さらには学歴(東大・京大卒など)も一種の社会的身分であって、その獲得を目指すのも良し悪しは別として、それら身分が社会的な力になることを解っているからである。あるいは、お金(年収)も現在尚、人々の一定の活力源となっている。
しかし、同時に現在これらの身分やお金の力が既に二義的になっていることも明らかである。例えば、就職において年収の高さを第一の判断基準として会社を選ぶ若者は極めて少ないし、出世を第一と考える若者はもっと少ない。それどころか、ボランティア等を志望する層も年齢を問わず着実に増大している。
一時的には(ついこの間までは)それらに代わって「知名度」がお金や身分を凌ぐ最強の評価指標になっていた時期もあった。最強という意味は、芸能人等知名度が高ければ政治家という身分を獲得することも出来るし、お金を稼ぐこともできることによる。また、企業においても知名度ないしブランド力があれば、市場競争にも勝っていけることができる。
しかし、従来は知名度のあるタレントでさえあれば、殆ど選挙に当選していたのに対して、前回の参議院戦では多くのタレント議員が無残に落選したように、いまや知名度が必ずしも最強の価値とはいえなくなってきている。かつ、そもそも知名度はテレビに出演した回数によってほぼ規定されるという極めて歪な評価指標でもある。
その意味で現在は、社会的に絶対性を持つ評価指標は不在状態にある。では、現在から近未来にかけて相応しい評価指標とは何なのだろうか?
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その根拠を考える為には、もっと大きな(or深い)視点が必要になると思われます。『認識形成の場』が提起された原点に戻って考える時、最終的に問われてくるのは、新しい社会統合機構の中核となるべき認識形成サイトは、旧体制(つまり、国家と市場)を超えることが出来るのかという問題でしょう(当然、その中に、新しい社会はお金を超えることが出来るのかという問題も含まれています)。
そして、この問いに答えるには、既に実現論1_1_00『可能性への収束=統合』で明示されている、「新しい状況に適応すべく生み出された最先端の機能の下に全ての古い機能が収束することによって、全体が統合される」という最先端適応or最先端統合の論理が不可欠になると思われます。
ただ、適応論・統合論だけでは抽象的すぎてピンとこない方が多いでしょうから、改めて具体的に原始集団、国家、市場の夫々の適応原理(=統合原理)を押さえ直しつつ、認識形成の場(=まつり場)を中軸とする新しい社会統合機構がどの様にして古い体制(国家と市場)を超えてゆくのか(=その実現基盤は何か)を明らかにしてゆきたいと思います。
これは、実現論が本当に現実を切ることのできる認識であるかどうかが試される正念場となるでしょう。と同時に、この問いに答えることは、実現論全体を(大枠ですが)塗り替えることにもなると思われます。

国家や市場において、身分やお金などの評価指標が不可欠であったことは既に述べた。評価指標は統合or活性化のためのシステムである。従って評価指標がいかなるものであるべきかを考える上では、そもそも個体(の意識)や集団(や社会)はどのように統合(秩序化、整序)され、どのようなものが活力源となるのかという、更に土台の部分を押さえることが不可欠である。
そして、時代が根底から変わるとき、全ての存在は根底から変化する。つまり統合の有り様や、活力源も大きく変化する。そのような進化(根底からの変化)はどの様にしてもたらされるのかを、歴史を遡って押さえる必要がある。
次回は人類史・生物史を貫く進化の根本原理に焦点を当てた、実現論の『可能性への収束=統合』という視点を紹介することで、次代を読み解く最基底部分の構造を学び取っていきたい。

List    投稿者 kentaro | 2010-11-01 | Posted in 11.世論形成の場、ネットの可能性2 Comments » 

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コメント2件

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