2009年11月04日

どうなる?ネットの可能性~るいネット・共認革命に学ぶ10「新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである」

%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88.jpg
前回明らかにされたように、「マスコミが放つ強制共認」に、もはや誰も反応しなくなった事が、選挙結果で明確となりました。
国民の政権交代への意思は、強制共認に左右されず、政権交代選挙となったのです。
但し、一方では「マニフェスト選挙」と言われ、マスコミも喧伝していましたが、これはどうだったのでしょう?
政権選択のための、判断材料という事でしたが、その実、自民党も民主党も「ばら撒きの美味しい話」のオンパレードであったし、政権を担う党としての大きな違いが見出せませんでした。
もちろん、マスコミは、単に一覧表を作るだけの中身のない報道に終始しました。
「何を根拠に比較し、どう評価するのか」という、選択する国民の側の議論があったら、「マニフェスト選挙」と呼ぶに値したかもしれません。
そのあたりを、共認革命10で見て行きたいと思います。
お願いします!

にほんブログ村 政治ブログへ


共認革命10 新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである

貧困が消滅し、私権の強制圧力がとことん衰弱してゆく以上、もはや私権によって(人々を私権に収束させることによって)社会を統合することは不可能である。従って、教宣階級をはじめとする旧い統合階級の存在基盤は日に日に亙解してゆき、早晩消えて無くなるだろう。それだけに、長い間人々を閉じ込めてきた強制共認に代る、素人たちの手による共認形成の場の成立が急がれる。
幸い、私権の衰弱に伴って、私権収束から本源収束への潜在潮流は日増しに大きくなってきている。従って、私権統合から本源統合へと社会の統合軸を転換させる為には、素人の社会的な共認の場さえ形成できれば良い。それは、人類が長い間奪われてきた“まつり”(参加充足=共認充足)の場を再生してゆくことでもある。その場こそ、ネットに他ならない。つまり、ネットは人類に与えられた新しい“まつり”の場であり、人類最大の共認充足の場となるべきものなのである。
『実現論』第四部:場の転換が明らかにした様に、人類は今、衰弱する一方の私権圧力に代えて同類圧力を新たな(と云っても、サル時代からそうであった様に、当然の)活力源にしようとしている。同類圧力とは、課題や期待や評価etcの様々な共認圧力であるが、中でも現在の人類の命綱となるのは、私権闘争から評価競争に移行中の、同類闘争を止揚する社会統合の共認圧力である。
いずれ、この社会統合という課題や期待や評価の共認を母胎として、その上に(その中から)規範共認や制度共認あるいはそれらの正否判断の基礎となる事実共認(現象事実から構造事実まで)が確立されてゆくことになるだろう。そこで、今まず必要なのは、社会統合という課題・期待・評価の共認の場であり、従って何よりも重要なのは、まずもって皆の共認の場=新しいまつりの場を形成することである。
しかし、まつりの場は自ら参加しなければ成立しない。つまり、見ているだけでは駄目で、投稿してはじめて場が形成される。もちろん、はじめは単なる評価投稿や感想投稿でいい。又、まつりは、参加者が多いほど盛り上がるし、場が盛り上がれば上がるほど参加者が増えてゆく。
だから、皆にお願いしたい。周りの人に、投稿を呼びかけて欲しい。新しい社会は、皆が社会統合サイトに投稿することによって、簡単に実現するのだと云うことを、人々に訴えて欲しい。

最大の可能性は、ネットだったのです。
ネットのまつり場で、「何を根拠に比較し、どう評価するのか」という議論が可能だったのです。
単に、言いっ放しでは無く、皆からの期待や評価によって、正否判断の基礎となる事実共認(ものさし)が確立してゆく事が可能なのです。
多くの人がまつり場に参加し、ものさしを作っていけば、国民のマニフェストを作ること、政策を形成する事も可能となるのではないでしょうか。
マスコミを凌駕する、皆のまつり場の可能性が開かれています。
%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%95%E3%81%97.jpg

List    投稿者 atoms | 2009-11-04 | Posted in 11.世論形成の場、ネットの可能性2 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2009/11/1427.html/trackback


コメント2件

 いいじゃん☆ | 2010.05.18 19:59

>民主主義は、私権統合国家の核心部を、(全く実質を伴っていない、形式だけではあるが、)身分制から合議制に変えた。その意義は大きい。合議とは共認であり、国家は社会共認に従う存在となったのである。
だが、合議制になったにも拘わらず、なぜ国家→社会は根底から変わらないのか?
その答えは、既に明らかだろう。
確かに、国家は社会共認に従っている。しかしその社会共認は、全て支配共認なのである。支配共認とは、強制的に(否応無く)形成された「性権力」や「占有権力」、つまり権力そのものの共認であり、それを基盤にして、権力者=支配階級が己の権力や身分を正当化し、維持する為に形成された架空観念(欺瞞観念)の共認である。
人々は、その私権を共認し、自由な性=恋愛を共認し、市場拡大を共認し、自由や個人や権利を共認している。そうである限り、私権統合→性権力支配→市場拡大→権利拡大のパラダイムも変わらない。
西洋の民主主義は、権力によって否応無く支配共認に染脳されて終った民に主権を与えただけである。あくまでも支配共認の枠の中での合議、これも大掛かりなペテンの一つである。
全文引用しちゃいましたが・・・とってもとってもスッキリです!!
そうそう!そうなんですよね~!!
ありがとうございます(≧▽≦)

 brown hermes | 2014.02.02 18:53

hermes uk parcel shop 日本を守るのに右も左もない | 小沢騒動に見る近代思想の大ペテン~③“市民に開く”の詭弁

Comment



Comment


*