2013年09月10日

【情報戦】0 情報戦のこれまでとこれからを考える ~“情報”のパラダイム転換~

 
 在日米軍問題や日本の軍事力が議論の遡上に乗ることも増えてきましたが、その度に日本の「諜報機関の必要」や「情報戦にとことん弱い日本人」が言われます。近代化(明治維新)以降、一貫して叫ばれてきた命題の一つだとも言えます。
歴史をさらに遡って、縄文人と渡来人との衝突を考えてみても、(国際)情報に疎い日本人(縄文人)の姿が浮かび上がってきます。
 
 ◇果たして、日本人(縄文人)は歴史的にも、諜報戦・情報戦に弱い民族なのでしょうか?
 ◇日本人(縄文人)が諜報戦・情報戦に強くなる可能性と基盤は、あるのでしょうか?
 
 
 
諜報力・情報力は、歴史的にも一貫して重要なものとして扱われてきました。しかし、戦争時代以前(1万年前以上)の極限時代にまで遡って考えれば、諜報の必要は登場しません。つまり、極限時代の共認原理の社会では、情報戦はなかったし、諜報も必要なかったことになります。
 
 ◇今後、共認原理への転換が進むにつれて、情報戦・諜報の必要は残るのでしょうか?
 ◇仮に、情報戦が残るとしたら、どのような形に変化していくのでしょうか?

 
 
日本や共同体における情報戦や諜報戦のことを考えると、すぐに上記のような疑問が出てきます。
これらの疑問、すなわち『共認時代の情報戦は、どうなるのか?』を解明するのが、今回の【情報戦】シリーズです。
 

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 さらに、「情報戦」とパラダイム転換(私権原理から共認原理への転換)とを重ね合わせて考えてみると、以下のような疑問が出てきます。
 
◇「情報戦」の様式は、今後どうなっていくのか?
◇「情報の価値」とは何なのか?
 
  
 
共認時代(極限時代及び近未来)は、 「情報は共有されることに価値がある」(共有されている人数によって、価値が上昇する)というパラダイムで、
私権時代(5000年前から1970年代まで)は「情報は限定的なところに価値がある」(知っている人間が限られているからこそ、価値がある)というパラダイムのように思えます。
 
実際、私権時代は、情報を独占or隠匿することが力の基盤であって、真相情報は金貸しや手先エリートが独占してきました(知らしむべからず)。
ところが、共認時代は、情報をみんなが共有することが不可欠となります。例えば、社会を共認原理で統合するためには、社会の成員の誰もが自分たちの置かれている状況と課題を熟知していることが不可欠です。
 
 実現論:序3(下) 民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である
  
今後、共認原理への転換が加速するということは、情報の隠匿は力にならず、逆に情報の共有(誰もが知っていること)が力の基盤となる可能性があり、その可能性が半顕在化しつつあるのように思えます。
インターネット時代の幕開けとはそういう意味を持っていたのであり、さらには社内ネット導入企業の増加などは、その先駆的事例なのかもしれません。
 
どうでしょう?
情報は、「みんなが知っているから価値がある」のか「他の人が知らないから価値がある」のか。単純なようで、本質的な問いのように思え、いろんな追求に発展しそうな予感がします。
 
これらの疑問を包摂して、一定の道筋と答えの方向を見出すために、 『歴史を遡って』追求を進めていきます。その追求の中で、「勝敗を決する情報(の種類や中身)とは、何か?」が、歴史段階的に変化し続けてきた様子も見えてくると思います。そして、社会構造と最先端情報との関係と構造が固定できれば、次代に必要な”情報”と、その闘いの様式も見えてくるでしょう。
 
大きな構成は以下のように考えています。お楽しみに!!!



1.動物にとっての情報の意味、サルにとっての情報の意味
言い換えると、本能にとっての情報の意味と共認にとっての情報の意味
=種間闘争における情報と同類闘争における情報
 
2.極限時代≒縄文時代の情報(洞窟時代)
極限的な自然外圧の中で、自然を注視し、(その情報から)法則性(精霊)を見出す。
 
3.生産様式の獲得
弓矢の発明→自然法則を発見して、生産様式を獲得していく。
  
4.遊牧交易民族
交易(による利益獲得)における情報の意味。
 
5.武力闘争時代
情報の有無が生死に直結するため、諜報機関が発達していく。
 
6.安定した武力支配(封建制)
情報網を支配する貴族が登場(タクシス家)。情勢分析→権力維持のための情報収集。
 
7.金貸し支配
儲けるための情報を収集し、没落させるための情報を流す
=情報の取得と情報の発信
 
8.民主主義国家
世論形勢のためのマスコミの登場→情報の”流布”
 
9.近代戦争と国家諜報機関
戦争の近代化=大型化にともなって、諜報機関も国家に組み込まれていく
 
10.マスコミ支配
マスコミによってほとんどの情報が支配されている。
一方で、新たな媒体としてのインターネット。
 
11.共認時代における情報、情報戦
共同体は情報戦に勝てるのか?
新時代の情報戦は、どうなるのか?

List    投稿者 tnaito | 2013-09-10 | Posted in 11.世論形成の場、ネットの可能性No Comments » 

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