2013年01月26日

業態レボリューション-4 ~農と塾における業態革命~





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みなさん、おまたせしました:D
短編シリーズ「業態レボリューション」も、いよいよ最終回一歩手前までやってきました。
前回まで、農業と塾の業態革命の変遷を見てきましたが、今回はその他の業態ではどうなっているか検証していきたいと思います

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農、塾という全く異なる業界で、似たような業態革命が起こっているということは、もっと普遍的に見られる現象であるはずである。そこで、こういった業態革命やそれに近い現象が、他の業界の事例にもないかを考えてみる。
■建築設計業における業態革命
設計業は元々受注生産であり、クライアントの最上流をどう攻めるかということが重要である。
建築は他の商品に比べて値段が2桁以上違うものであり、その成否はクライアントに大きな影響を及ぼす。特に、激動の時代を迎えている現代、「クライアントをいかに勝たせるか」ということが設計業に期待され、それに応えるために、従来の設計業務を超えたシンクタンク的な能力も求められるようになっている。
新しい意識潮流に応じた新需要が各業界にどのような形で発生しているかといったクライアントを取り巻く社会的な外圧はもとより、適切な設備投資の在り方、次代に向けてクライアントの組織力を高める、といったことも見通した本当に有益な提案を行うことが求められている。
この需要の構造の変化の一番奥には、意識潮流の変化がある。そこで、もう一度その観点で意識潮流を見直していく。
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1970年には豊かさが実現、その結果、物的欠乏が飽和状態に達したと言われている。
この「物的欠乏が飽和状態に達した」とはどういうことなのだろうか?
例えば、掃除機を無騒音にしようとすれば莫大なコストがかかる。無騒音の掃除機は誰もがほしがるが、それが100万円もするのでは誰も買わない。
物的欠乏とは、この掃除機の事例のように利便性・快適性の追求ということ。物理的にはこれらの限界はないが、費用対効果という点で見れば確実に限界が存在する。現在ことごとくモノが売れなくなっているのはこういうことなのである。
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当然そこから70年以降は自然志向、90年以降は節約志向、11年以降は自給志向という段階にまで達してきている。しかし、これは単に物的飽和からだけ出てきたわけではない。もう1つ重要なファクターがあって、それは言うまでも無く、私権から共認へという潮流である。つまり共認充足が第一価値になった。
この共認充足第一という根底的な意識潮流は、その後、特に02年私権の終焉以降、課題収束、能力収束という流れを生じさせ、今や独学志向あるいは自習志向という段階にまで進んできた。
実は、自然志向とか節約志向、自給志向も、共認充足第一というファクターが強く影響を及ぼしている。歴史的に、共認充足が充分に得られていた時代、要するに私権時代以前の時代は、自然と一体であった。共認充足とこの自然志向は一体化する構造にある。さらに言えば、共認充足の最遠点には、実はかつての自給自足という自給志向とも密接に繋がっていると思われる。
従って、歴史的な背景からもわかるように、共認充足は当然自分たちで考えていく、自分たちでつくっていく、という方向に繋がっていく。
短編シリーズ「業態レボリューション」
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List    投稿者 mizuguti | 2013-01-26 | Posted in 11.世論形成の場、ネットの可能性No Comments » 

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