2013年01月02日
天皇制国家の源流13 高句麗・百済・新羅の対中外交路線の違い
前回、天皇制国家の源流11 高句麗に滅ぼされた北百済の継体勢力が東国勢力を味方に応神勢力に取って代わるでは、高句麗広開土王に南侵で南百済(熊津百済)から亡命してきた応神天皇以降続いた王統は、武烈天皇でいったん途切れ、応神天皇の五代孫とされる継体天皇に移ったが、これがクーデターではないか?という説を紹介しました。
今回は、現在の日本の支配階級の米国一辺倒の属国意識は、百済の南朝一辺倒の属国意識が源流であったのでは?という切り口から追求していきたいと思います。
『「日本=百済」説~原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)第10章東アジア史の中の「倭の五王」より引用させて頂きます。