2009年11月04日

どうなる?ネットの可能性~るいネット・共認革命に学ぶ 11「皆が次々と投稿するだけで、まつりの引力が生み出される」、12「ネットこそ主役で、交流会は付録にすぎない」

 このシリーズでは、「ネットの可能性」を探るために、「るいネット・共認革命」のシリーズを紹介していますが、いよいよ佳境にさしかかっています。
 共認革命8で、「人々を支配観念から解放する共認革命だけが社会を変えることが出来る」ことを明らかにし、共認革命9では、「マスコミが旧観念(=支配観念)を垂れ流しているために、社会が全面的な閉塞状態が抜け出せなかったが、先日の選挙で、ついにマスコミの化けの皮が剥がれた」ことを示しました。
 そして共認革命10 では、「マスコミを凌駕する新しい祭りの場がネットである」と宣言しました。

岸和田だんじり祭り より
 今回は、8月の衆院選で実現した政権交代で、ネットが果たした役割と今後の可能性について、共認革命11、12をもとに考えてみたいと思います。
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皆が次々と投稿するだけで、まつりの引力が生み出される

☆つながり・広がり⇒皆が次々と投稿してくれる事こそが、最大の引力となっている。
●皆が次々と投稿して、一つの共認が形成されてゆくこと(そこに参加していること)に、最大の価値がある。
●そこには、共認形成に参加するという、私権時代に失われた最も本源的な共認充足がある。
●そこでは、個人名や個別の意見などは重要ではない。みんなが共認の場を形成し、必要な評価共認や規範共認に収束してゆくこと自体に価値がある。
注:これは、従来の全ゆるメディアのどの発信様式とも異なった構造である。しかもネットは、双方向の会議(発信)とも異なっている。会議では一部の人しか発言できないがネットでは全員が発信できる。
また、対面では笑顔etcでごまかせるが、ネットではごまかしが効かない。むしろ、全員が発信することによって、ごまかしが浄化されてゆく。だから、ネットは、皆が参加することによって生み出される新しいまつりの場なのである。

 なるほど、マスコミのような一方的な発信では嘘やゴマカシが通用しても、ネットで多くの人(→全員)が発信するようになれば、嘘やゴマカシは通用しなくなり、事実が浮かぶ上がってくるのですね。
ネットこそ主役で、交流会は付録にすぎない

●将来の同類闘争=創造競争の場は、まちがいなく統合ネットであり、そこではネットに参加し、投稿することが、素人の最大の社会統合活動となる。
●既に現在、ネットは脱私権(=本源的)で社会的な、全く新しい集合の場を形成しつつある。(マイナス自我やマイナス解脱が残存混入しているが、私権の衰弱とプラス評価収束によって、いずれは淘汰されるだろう。)
●現在の中心動機は社会探索であるが、これは同類闘争⇒対象(=社会)注視そのものであり、将来の社会統合に直結している。
もう1つの動機たるネットの可能性探索は、期待共認⇒評価共認を潜醸中であり、それらの土壌の中から収束力を持った(統合サイトの原型となる)サイトが生まれ出るのは、時間の問題である。
∴ネットに参加し、投稿することこそ、素人の中心的な社会(統合)活動であり、ネットに参加し投稿することがイコール、ネットワーク作りそのものなのである。(ネット=NWの中で、最高の質を持つサイトが統合NWになる。)
●万人が参加できるまつりの場はネットしかなく、そのネットの引力を生み出すのは、投稿(の量と質)だけである。多数の良質な投稿だけが核引力を生み出すことが出来るとしたら、社会(統合)活動の主役は投稿であり、交流会や勧誘は脇役or補強手段にすぎない。

 先日の衆院選挙では、マスコミが報道しなくとも、若い世代を中心に、ネット探索によって、郵政選挙の嘘など、事実が次々と明らかになり、民主vs自民の評価共認が形成され政権交代が実現したのです。
 これからますます多くの人(→万人)がネットで発信するようになっていくことは明らかです。
 そして、万人が参加することによって、ネットが祭りの場となり、社会(統合)活動の主役になるのです。 
 次回からは、万人が投稿する社会統合サイトを、作っていくための具体的な課題の検討に入っていきます。

List    投稿者 tama | 2009-11-04 | Posted in 11.世論形成の場、ネットの可能性3 Comments » 

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コメント3件

 よく考えよう | 2010.05.18 20:19

年配官僚はお荷物でしかないのか

今日の夕刊で国家公務員の新規採用人数が4割削減と1面トップで出ていた。結局は出世レースに負けた官僚はお荷物でしか無いと言う左証でしか無いと言う結論なのだろ…

 !うにまろ!日記 | 2010.05.20 22:16

日本人はどこまで堕ちるのか?(カンボジア関連記事を見て)

産経新聞記事を読んでて、日本人がここまで落ちたのかとショックを受けた。勿論記事内容では無い。その記事を書いた記者、その記事を通した編集部や上司たちなどがま…

 かずお | 2013.05.18 7:51

なるほどと思います。  私は、聖書の勉強を、カルチャーでしましたが、内容は本当によいことがかかれております。ただしっくりいかない気持ちもあり、今回の論文を、読みなるほど、と感銘しました。
 聖書のように、行動できませんが、人間は罪びとであるので、神に懺悔すれば許しをもらえるという、ガス貫気があります。これがよいことであり、また曲者でもある意わけです。
 思想というのは、論理的に考えることも必要だなと、痛感しました。
 日本のクリスチャンも、本当に人格のできた人と思える方がある一方、権力にすがって、のさばっているような人も見受けられます。

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