2008年10月28日

国家紙幣の本当の意味~新しい社会的活動(仕事)の創出

なぜ、国家紙幣が必要なのか?
それは政治家や学者の間で議論されているような、単に国家の借金や利払いをなくすといった消極的な意味だけではない。
市場原理下ではできなかった新たな社会的活動、つまり新しい仕事と活力源を創出し、社会を再生するための切り札である。
『るいネット』「需要発から供給発へ」から引用する。
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’04年10月16日のなんでや劇場「経済破局は来るのか?市場の軟着陸は可能か?」のハイライトは「需要発から供給発へ認識を転換すれば市場再生のいろんなアイデアが湧いてくる」というものであった。

前半の経済破局分析、原因分析を通じてクローズアップされたのは、「お金第1の価値観」が廃れた以上、金融秩序の崩壊程度では社会秩序は崩壊しないし、人々の秩序収束を背景にすれば国家紙幣の発行によって国債の雪達磨的増殖も処理することができるので、経済秩序の崩壊すら回避できる。しかし本当の課題は破綻してしまった金融システムの残務整理にあるのではなく「もはや求めてもいない物的需要をむりやり刺激したところで、活力は衰弱していくばかりである。」という現状を突破する「活力再生の切り口」である。
そしてその切り口とは、「市場経済の分析軸として固定観念化してしまった需要はどこにあるのかという需要発の発想こそ、可能性探索を妨げる旧観念であり、供給発の発想に切り替えさえすれば答え=可能性は無限に開かれる」という「需要発から供給発へ」の発想の転換であった。

こうした答えられるようになる=供給者になることが現在の「最も大きな活力源」という構造は、なにも「なんでや」に限ったことではない。今若者が仕事選びにおける選択基準は「給料や余暇をいくらもらえるか=需要主体になれるか」でなく「仕事のやりがい=供給主体としての充足」にあるし、そうした欠乏はこれまでは単なる消費主体としてしか見なされてこなかった、高齢者や障害者の欠乏としても見て取れる。今や彼ら「旧来の社会的弱者」は「弱者として消費=需要する権利を主張する」なんて地平を脱却し「同じ社会の当事者として役割を持つこと=供給者になることを求めている」。高齢者は誰しも子供達の面倒を見てあげるという子育て支援の供給者たりえるし、知的障害者であっても(だからこそ)潜在思念あふれる美術表現を通じて人々の共感回路を刺激する作品をかける子はたくさんいる。

そう人間は答えさえあれば誰だって「類的生産の供給者になりたい」と思うし、「なれる」のだ。何故なら共認充足の欠乏は誰にも備わっているし、潜在的需要としては無限にあるのだから、需要の心配は全く無用であって、欠落しているのは答えと供給体制の整備だけなのだ。そして「これまでの市場経済の需要発の発想」を超えて「類的供給体制の整備=供給者の育成」という視点で、補助金(否、手垢についた補助金という言葉は止めて活力再生事業者支援金と呼ぼう)を「子育て支援」活動や「老人のやりがいづくり」活動や勿論「共認形成」活動に払っていけば、供給者はどんどん誕生していき、日本は世界経済のまさに最先端を切って、新たな類的生産の時代を開いていける。

確かに、これまで国家は、お金を物的な需要者にバラ撒くことによって、あるいは国家自身が公共事業の需要者となることによって市場を拡大させてきた。これが「(物的)需要発」ということだ。その結果、国家は莫大な借金を抱えることになり、それと裏腹に社会活力は衰弱する一方であった。それは、’70年貧困の消滅→私権の衰弱によって、市場が縮小し始めたことが原因である。縮小し始めた物的需要を無理矢理拡大させるために、国家は借金を積み重ねてきたのである。
実は、物的需要の縮小こそ、環境問題を解決するための根底的な実現基盤である。実際、現在の科学技術力を以ってすれば、製品の耐用年数を2倍にすることは簡単であり、法定耐用年数を2倍にするだけで環境負荷は半減するのである。このように、物的需要を無理矢理肥大させることさえ止めれば、物的生産への労働投入量は半減させることは可能なのである。
物的生産が半減すれば、それ以外に社会的に有意な活動をどのようにして創出するかということが、次の社会的課題になる。類的生産は答えの供給者が登場して初めて需要が生まれるという構造に着目すれば、供給者の育成さえできれば需要は自ずと生まれ、市場の軟着陸が可能になる。
ところが、社会に本当に必要とされる活動は市場原理の下では採算に乗らないものが多い。農業しかり、介護しかり、子育てしかり。さらに言えば認識生産(答えの供給)という課題の多くがそうである。これらの活動では市場原理下では飯が食えないがゆえに、多くの人々が従事すること(供給者になること)を断念し広がらなかったのである(誰もがその必要性は感じているにもかかわらず)。
国家紙幣を発行することは金貸しによる国家支配の終わりであり、お金をどこに投入するかの判断は国家が握ることになる。市場原理に拘束されることなく、社会的に必要な活動の供給者の育成にお金を投入することができる。そうすれば、市場原理の下では誰も手を出せなかった新しい仕事(役割=活力源)が次々と生まれて、社会活力が再生されていく。これが「(類的)供給発」ということだ。
供給者の育成にお金を投入し、新しい仕事と活力源を生み出すことで、市場の軟着陸させ社会活力を再生する。これが国家紙幣発行の本当の意味であり、金融破綻⇒国有化はその絶好のチャンスなのである。
(本郷猛)

List    投稿者 hongou | 2008-10-28 | Posted in 07.新政治勢力の結集に向けて5 Comments » 

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コメント5件

 羊熊 | 2009.01.26 7:27

当時の政治状況が見えてきました。
特に、
●各有力者が必死で権力闘争に邁進している中で、1人吉田が余裕綽々でいるところが気になります。アメリカ(ストロングジャパン派)との太いパイプに乗っかっていたからでしょうか。
あと、
●自由民主党の急速な結党の背後に、あった財界の危機感。自由・民主双方均等に献金しながら、社会党へのけん制を行ったようですが、当時の財界のキーマン、あるいはアメリカとのパイプ役は誰だったのか?
このあたりをぜひ追求したいですね。

 y.suzuki | 2009.01.26 11:45

吉田茂の背後にはGHQストロング派らしき勢力が読み取れますが、一方の鳩山一郎の背後は、国内財界なのかロスチャなのか、興味のあるところですね。

 nandeyanen | 2009.01.27 21:45

羊熊さん、suzukiさん、コメントありがとうございます。
私は吉田茂は国家主導を継続する路線で「官僚政治」の土台をつくったのだと思います。
それに対して、(鳩山というより、その後の)岸の背後には、今の多極派に通じるストロングジャパン派の勢力がいたのでは?と見ています。

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