企業を共同体に変えるには?5~トラブルの根底に指揮系統あり⇒みんなの当事者意識を上げる仕組みを作る~
前回、会議の欠陥の分析から対面会議の欠陥を突破する場は、全社会議orネット会議の場であることを明らかにしましたが、今回は集団にとって会議と並び重要と思われている指揮系統の欠陥について取り扱います。
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政治家のコメントで、緊張感を持ってこの問題に取り組みますというフレーズをよく耳にします。これらは私権圧力の衰弱により、政治家だけでなく皆が緊張感を持って仕事が出来なくなってきたことの表れだと思います。その結果ミスを起こしやすくなり、そのうえミスを隠蔽する事で修復困難な問題となり、最終的に大きなトラブルに繋がっているのではないでしょうか。
るいネット「トラブルの根底に指揮系統あり。全てをネットへ」より
先日とあるトラブル総括会議で大きな気付きを得た。
問題、課題が顕在化しても誰も解決しようとせず、課題捨象されていく。後になればなるほど修復困難な問題になり最終的には大きなトラブルとなる。課題を認識していないが故にトラブルになるのではなく、課題と解っていても捨象され(or間抜けの独断で劣化し)トラブルになるのが特徴的である。何故課題捨象されてしまうのか?
その答えは指揮系統にある。
どの企業でも社長-部長-課長・・・など、肩書きや名前は違えど、ある課題を取り組んでいく集団には、その集団固有の指揮系統がある。この指揮系統は、本能原理である序列統合を下敷きにした私権時代の産物であるが、共認原理へと転換したことによって、指揮系統が課題隠蔽を引き起こすトラブルの根底問題として顕在化してきた。どういうことか?
私権時代であれば、この指揮系統は十全に機能していた。それは、問題隠蔽行為が即序列、生存を脅かすものとしての私権圧力が強力に働いていたから。その典型が反逆であり、反逆は重罪として存在していた。しかし、私権の圧力が衰弱した現代は、序列統合から共認統合に集団統合様式が変った。そこに指揮系統だけが残るとどうなるか?
問題や課題が発掘されても、私権圧力の働かない指揮系統の中では悉く隠蔽されていく構造ができあがる。上長と部下の指揮系統では、上司が問題を握りつぶし、部下は指揮系統を意識するほどに問題を発信できなくなり自ら隠蔽する。とりわけ決定的問題が発見されるほどにその問題は共認圧力にさらされず、その指揮系統の中で隠蔽されていく。現在起きている不祥事が、とりわけ旧い指揮系統を残存させている官僚機構に顕著なのもそのためである。今や指揮系統は問題隠蔽の巣窟となり、不正の温床ともなっている。
共認原理の時代の統合様式は共認統合による他はなく、社内NETこそ共認統合の場に相応しい。それは指揮系統を超えた皆の評価共認が働くからだ。皆の評価共認によって問題が固定化され、課題や方針に繋がっていく。そんな体制を構築した集団こそ、社会の評価共認を勝ち取っていく集団になるのは間違いない。
問題を隠蔽するということは今に始まったことではありません。歴史を振り返ってみると、指揮系統上の下位の者が、自分に都合の悪いことを隠蔽し、その結果、戦いに敗北したという事例はいくらでもあります。
この問題を隠蔽するという行為は、私権社会における序列原理の統合様式である指揮系統が構造的な問題を孕んでいるものと考えられます。
指揮系統は上位の者から下位のものへのラインで構成される。概ね命令を受ける担当は一人です。すなわち他の人は誰も知らないことがほとんどである。そういう意味でラインのどの段階でも隠蔽しようと思えば可能であった。
そうは言っても、私権圧力が大きくはたらいている時代では、万一隠蔽がバレたら即身の破滅を招き、その恐怖の力で隠蔽が一定抑えられてはいました。ところが’70年貧困が消滅すると、私権圧力が衰弱し、すなわち序列原理が衰弱すると、官僚機構も民間企業も不正のオンパレードとなってきた。
るいネット「みんなの当事者度を上げる仕組みを作ることが体制改革の真髄」より
大きなミスを起こす場合、なんとなく気がついているが『まあいいか』と捨象しているという意識が根本にある。それは『たいしたことは無いと思っていた』『気がつきませんでした(本当はなんとなく違和感を持っていた)』なども同じことである。
このような状況を捉えて、危機察知能力が無いからと分析されるが、これでは不十分だ。なぜなら、自分の立場が悪くなると保身に走るなど、自分の危機は察知できている。むしろ、自分の危機を察知しているからこそ保身に走り、ミスを隠蔽し後で大問題になるのだ。
つまり、察知出来ていないのは社会や企業の全体にかかわる課題の危機なのだ。言い換えると、個人課題(≒私権課題)が達成されないという危機は捨象されないが、全体課題が達成されないという危機は簡単に捨象されるという構造なのだ。
しかし、潜在思念レベルでは、私権原理から共認原理への転換がなされている。にもかかわらす、現実場面、とりわけ仕事の場面では今だ私権原理(や序列原理)から脱却できず、全体課題が捨象されてしまうのは何で?という問題につきあたる。
それは、私権原理から共認原理に移行しても、私権制度としての指揮系統の残存するからだ。この指揮系統は縦の上下間の単線で形成されるため、それ以外のメンバーには情報が流れない。だから、全体での共認も出来ないし、意図的に情報を隠蔽することも出来る。
つまり、指揮系統は全体課題を捨象して傍観者になるという構造を内在している。そこに自分の危機が加わると、保身に走り、その欠陥を利用して都合の悪い情報を隠蔽する。それでも、生存圧力が強かった時期は、降格やクビを恐れるため、抑止力になっていた。
それさえなくなった今、共認空間を取り戻すためには、情報隠蔽を引き起こす指揮系統を廃止し、全てを社内ネットにゆだねていくことになる。こうすることによって、ミスの隠蔽は出来なくなり、問題が発生するたびに、それをどうする?という課題がみんなに共認されていく。
その共認圧力の真っ只中に身を置くことによって初めて、今まで思考停止していた脳の再生の可能性が出てくる。つまり、指揮系統によって分断され傍観者となっていた個人を、共認空間の中で当事者として再生するという意味をもつのだと思う。
このような仕組み考えることで、みんなは大きな可能性を感じる。その実現までにはたくさんの課題があるが、活力をもって突き進むことが出来る。このように、みんなの当事者度を上げる仕組みを作ることが体制改革の真髄なのだと再認識した。
また、これは新しい社会統合機構の試金石になることにも気がついた。
’70年頃から貧困が消滅し、私権圧力が衰弱し始めて40年になりますが、この間の不祥事・ミスの続出は、私権統合⇒序列統合の産物である指揮系統が末路を迎えたことを表していると思います。
逆に言うと、共認原理に即した体制を構築した集団が勝つ基盤が登場したということではないでしょうか。
次回は、共認原理に即した体制を構築した集団、すなわち本源集団の再生について取り扱います。
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コメント2件
online hermes | 2014.02.03 3:18
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コメントを入力してください 今まで考えたこともないことを教えてもらったと言う気持ち。私もよく考えてみたい。