単一集団にすぎない国家に社会を統合する資格はない
2009年03月22日「世界大恐慌→私権闘争の終焉によって国家も終焉を迎える」
2009年04月08日「特権官僚の暴走に見る私権統合の末期症状」
2009年04月19日「制度発の人工的な目的意識⇒特権意識⇒制度によって与えられた権力の行使」
という一連の投稿で、国家が終焉を迎えつつあることを明らかにしてきた。
本稿ではさらに、国家の原理的限界について述べる。
結論から先に言うと、国家にはそもそも(原理的に)社会を統合する資格はなかったのだ、ということだ。
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『るいネット』「実現論 序文 ト.万人が半専任(副業)として参画する」より引用。
彼ら(既存の社会統合階級)に代わって、万人が参画して、社会を統合するための新しい組織が必要である。今や誰もが、行き詰まったこの社会を変える必要を、感じている。しかし社会の統合と改革という仕事は、それでメシを食っている政治家や官僚や学者やマスコミ等、統合階級の手に握られており、人々には社会を変革し、統合するという役割を担う場が与えられていない。従って、人々は殆ど行動できず、動けたのは、ごく一部の何やら難しそうな思想・信念に固まった政治集団(革命集団・市民集団)や宗教集団の人たちだけであった。
だが、宗教集団や政治集団はもちろん、マスコミも学会も国家(行政組織)も、夫々は単一の集団でしかない。ところが、集団というものは自己収束(もっと言えば自己閉鎖)性が強い。従って当然、彼ら官僚や学者やマスコミや政治家たちの、自集団の利益が第一になってしまう。そもそも、各集団を超えた次元にある社会を統合する組織が、実は単一の集団でしかないというのでは、社会を統合する資格などない。
万人が属している社会を統合する仕事は、万人によって担われなければならない。それに本来、社会を変革し、統合してゆく仕事ほど、面白い、充実できる仕事は他にない。その大切な社会統合の仕事を、国民に選ばれた訳でもないのに、官僚や学者やマスコミが独占し、自集団の利益を第一にして甘い汁を吸っているという仕組みが、根本的におかしいのだ。そうである以上、当然彼ら夫々の集団の利益第一となる方向に、社会は歪められてゆく。その結果が、どう仕様もないところまで行き詰まった(そして大破局が迫っているにも拘わらず、誰一人解決策を提示できない)この末期状態だったのである。
集団を超えた次元に存在する社会を統合(もちろん変革も)する為には、単独の集団原理とは全く異なる原理の統合組織が必要なんだという事に、未だ誰も気付いていない。しかし、万人が参画できる、社会統合組織の条件は簡単で、二つだけである。
社会統合は、全員が担うべき当然の役割=仕事だとすれば、その仕事に対してそれなりの収入が保障されなければならない。しかも誰もが何らかの専業に就いているとしたら、この組織は誰もが副業として担うことができる半事業組織でなければならない。例えば、社会を統合する上で重要なのは、人々に参加を呼びかけ内容を説得して共認の輪を広げてゆく仕事であるが、この様な仕事に対して収入が保障されるシステムさえ作れば、誰でも副業として社会統合に参画できる様になる。収入保障は万人が社会統合に参画する為の不可欠の条件であって、私益追求の為の仕事は収入になるが社会統合の為の仕事は収入にならないというのでは、特殊な思想・信念に固まった人しか動かないのも当然である。
それに、全員の社会を、特定の思想に固まった集団が動かすというのは、大きな間違いである。万人の属する社会を導くことができるのは、万人が認める事のできる事実に基づく理論体系(=科学)だけであって、特定の思想などに社会を統合する資格はない。これが社会統合組織の、もう一つの条件である。
即ち、金儲け主義者であれ、共産主義者であれ、あるいは全くのミーハーであれ、いかなる思想の持主であっても、そんな事は全く自由であること。また、企業であれ、市民集団であれ、宗教集団であれ、他のいかなる集団に属していようが全く自由であること。これらの条件を充たす、集団原理を超えた社会統合システムの原型となるのが、半専任(副業)の人々で組織されたネットワーク集合である。共認の輪を広げてゆく仕事の成果に応じて収入を保障するシステムによって組織されたネットワークの下では、各人の思想や集団の違いなど、どうでも良くなる。また、このネットワーク集合なら、皆等しく半専任なので官僚化(=専任特権化)の危険を完全に無くすことができるし、常に強い成果圧力が働いているので、公務員に見られる様な「親方日の丸」に陥る危険も完全に払拭できる。
この全く新しい万人参加の社会統合組織を導き、新時代を拓くみんなの統合理論は、それ自体が(これまでの様に一人の天才によってではなく)大衆の叡智を結集して構築される必要がある。それを可能にしたのがインターネットである。
集団は自己収束性が強い⇒自集団の利益が第一になる→単一集団には社会を統合する資格がない。
つまり、原理的に、単一集団の一つにすぎない国家には社会を統合する資格がないのである。
ところが、これまで曲がりなりにも、国家という単一集団が社会を統合してきた。なぜか?
古代・中世の武力支配の時代は、力の序列原理(弱者が強者に従う)が働いていたからこそ、万人が私権闘争の力による統合体である国家に従った。近代の市場時代は豊かさ追求=市場拡大という課題共認が全国民の末端にまで浸透していたからこそ、万人が豊かさ⇒市場拡大を実現させてくれる国家を支持した。
つまり、単一集団である国家が社会を統合しえた条件は二つ。
私権闘争⇒①力の序列原理と②市場の拡大である。
ところが、’70年貧困の消滅以降、私権闘争は衰弱し、まずは序列原理が無効化し、ついに’08年世界大恐慌を契機に市場の縮小が顕在化した。ここにおいて、国家が社会を統合しえた二つの条件は完全に崩壊し、その限界性(単一集団は社会を統合する資格がない)が露わになったのだ。今は統合機関として他に代わるものがないので、国家を人々が仕方なく統合機関として共認しているにすぎない。
従って今や、万人が所属する社会空間の統合のためには、集団に代わる新たな社会システムが必要となるのは理の必然である。 それが『るいネット』「実現論 序文」で提起されている、万人が半専任(副業)として参画する新しい社会統合機構なのであろう。
(本郷猛)
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コメント2件
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