2009年02月19日
『EUって、どうなっているの?』7~ユーロ設立前夜②、欧州通貨制度が崩壊したのは何で?~
昨日の記事
『EUって、どうなっているの?』6~ユーロ設立前夜①、欧州通貨制度って何~
で、欧州通貨制度(EMS)について扱いました。
この欧州通貨制度(EMS)というのは、日本で言うところの頼母子講制度のような加盟国共同出資による為替安定化体制であったと言えます。この制度が導入されて以降、安定した平価の模索段階(平価調整)を経て、1980年代後半には当初の目的であった為替の安定化(および平価の安定化)が高いレベルで実現されつつありました。
ところが1992年、イギリスを発端とした欧州通貨危機が発生。その後約1年に渡ってその状況は続き、欧州通貨制度は実質崩壊状態にまで追い込まれてしまいます
ではなぜ、為替安定化のための欧州通貨制度を確立したにもかかわらず、欧州通貨危機が起こってしまったのでしょうか
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日本の原発導入の歴史1 -事実が隠される構造
現在地球温暖化の問題 が話題になっていますが、その原因が二酸化炭素であるという説についてキャンペーンを張っている中心に原子力発電推進を目論む人たちがいるようです。
現在、CMなどでも、電力会社の発信は温暖化防止→原子力発電 ですね。
柏崎刈羽原子力発電所
温暖化CO2説のウソということが、このブログでも取り上げられていますが、原子力発電の安全性という視点でも、報道が遅れたり、隠蔽されたりと言った声はよく聞きます。
こうしたどうも怪しい報道、キャンペーンの発信元が、「原子力発電推進を目論む人たち」という同じ人たちというのも、興味を引くところです。
こうした事実が知らされない構造というのは、どの様になっているのかを少しでも明らかにしたいと思います。ですので、原子力発電の歴史をすこし紐解いてみたいと思います。
今回は、原子力の父と言われる正力松太郎=読売新聞社主とアメリカの関係を中心に扱いたいと思います。
続きはぽっちっとしてからお願いします。
『EUって、どうなっているの?』6~ユーロ設立前夜①、欧州通貨制度って何~
以前の記事
『EUって、どうなっているの?』3~EU設立からユーロ創設へ~
で、ユーロ創設までの大きな流れを扱いましたが、欧州にはユーロ創設の前段階として、欧州通貨制度(EMS)という通貨体制が存在していました。これは、為替安定化のための相互扶助制度と通貨バスケット制度とを併せ持つ通貨体制で、今後の通貨体制の可能性を探る上でのヒントになり得るものだと思います。
よってここでは、その欧州通貨制度の仕組みに関してまとめてみようと思います。
■ まずは欧州通貨制度設立までの流れ
第二次大戦後、ドイツ・フランス等、欧州6カ国は、経済的な協力と統合を進展させ、商品、サービス、労働力、資本などが自由に移動する経済圏の形成を目指し、ECの設立などを実現していました。
さらに1970年代以降、
・ブレトンウッズ体制崩壊の兆候が次第に顕現化し、米ドルに対する不信感が増大 👿
・EC内では、加盟国間で大幅な為替レートの調整が発生し始めていた
(共通農業政策による主要農産物の域内共通価格設定を維持するため)
という状況もあり、EC各国においては、為替レートの安定がとりわけ強く希求されるところとなっていました。そこで為替の安定化を目的に、1979年、欧州通貨制度(EMS)が導入されることになりました。
では、その欧州通貨制度の仕組みに関しては「続きを読む」で、、、
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米国債購入圧力⇒「GDP12.7%減」報道か?
08年10~12月期の実質GDPは、前期(7~9月期)比3.3%減、これが1年間続いた場合(年率換算)で12.7%減になるという速報が出たが、マスコミの取り上げ方に過剰に危機を煽ろうとするものを感じるのは私だけだろうか。
『国家破綻研究ブログ』「戦後最大の経済危機 実質GDPマイナス12.7% 分かっていた数値悪化」からの引用。
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東南アジア諸国と日本 ~マレーシア編 その1~
『東南アジア諸国と日本』シリーズの第4段です。(前回は、インドでした。)
今回は、東南アジアから少し外れますが、マレーシアを取り上げます。
マレーシアといえば、やはりこの人でしょう!
そうです、1981年7月16日から2003年10月31日まで、22年間マレーシアの首相を勤めたマハティールです。
マハティール・ビン・モハマド(1925年7月10日)は、マレーシアの政治家、医師。マレーシア第4代首相。マレーシアの首相の中では最長の22年を務め上げました。開業医から政治家に転じ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた方です。
マハティールといえば、欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習う「ルックイースト政策」が有名ですね。では、「ルックイースト政策」を通じて、マレーシアはどのように発展したのか?それを追求していきます。
東南アジア諸国と日本 ~南アジア・インド編 その2~
前回は、独立前のイギリスによる分割統治支配の時代から、
独立後の一党優位体制(財閥重視)→多党化(民意反映)の政権の流れと、
一貫した非同盟主義に基づく保護貿易政策(=国営化政策)という独自路線で、
国内産業の活性化を促そうとしていた流れがわかりました。
『東南アジア諸国と日本 ~南アジア・インド編 その2~』では、
その後の現在の政策と、日本との関係(可能性)を探求したいと思います。
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東南アジア諸国と日本 ~南アジア・インド編 その1~
『東南アジア諸国と日本』シリーズの第3段です。(前回は、タイでした。)
今回は、東南アジアから少し外れますが、南アジアのインドを取り上げます。
紀元前1000年アーリア人によって農耕が行なわれ、紀元前300年マウリヤ朝(仏教)
⇒紀元後300年グプタ朝(ヒンドゥー教)⇒紀元後1600年英国支配という長い歴史と多宗教・他民族国家
を形成してきたインドであるが、英国・東インド会社によってもたらされた略奪統治以降の市場社会の
歴史は浅い。
11億人もの民が息づく国家である。今回は、その大国インド(=印)の可能性を探求してみたい。
■インドの基本データ・・・主要データは、以下リンク先 → を参照
→インド基本情報・・・政府・国民・経済・地理
→インドの言語地図
1991年のインドの貧困人口比率は、26.1%(2億6000万人)であるが、インドでは、毎年2500万人の中間層が増えており、マレーシアの総人口に匹敵する人数である。
また、世界銀行・IMF主導で行なわれた、途上国を市場に巻き込んだ「緑の革命」も起因している。
■歴史的背景
→インドの歴史
→インド政権、政党の歴史
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結局、日本の資産の叩き売り~かんぽの宿~
かんぽの宿売却問題で、オリックス1社入札とその金額が問題になっているが、その陰でこんなニュースも、
メリルリンチの成功報酬、最低6億円=「かんぽの宿」売却で-日本郵政
2月10日17時58分配信 時事通信
日本郵政が「かんぽの宿」など80施設の売却にあたり財務アドバイザーに起用したメリルリンチ日本証券に対し、譲渡完了後に最低6億円の成功報酬を支払う契約を結んでいたことが10日、分かった。両社が昨年2月にかわした業務委託契約書によると、既に日本郵政が1年分を支払った手数料(月額1000万円)とは別に、売却価格の1.4%か、この額が6億円を下回る場合は6億円を報酬として支払うとしている。売却額109億円の5.5%にも相当する報酬額には、与野党から高すぎるとの批判が出そうだ。
報酬額は80施設の売却が前提。日本郵政は不動産市況が悪化したことや、入札の最終段階で世田谷レクセンター(簿価62億円)を売却対象から外したことで事情が変わったとして、メリルリンチと報酬額の見直しを協議している。
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自民党システムへの反逆者、小沢一郎
やまない政治不信は麻生内閣支持率を20%を割り込むほどに低下させました。
「麻生太郎首相と民主党の小沢一郎代表のどちらが首相にふさわしいか」の世論調査でも、小沢が麻生を逆転する現象が出てきています。
党内からは「麻生氏では選挙は戦えない」という声があがり、マスコミからは「問題発言や失言が相次ぎ、首相としての資質に問題がある」という報道です。
支持率低下の原因を麻生個人にあるとする論法ですが、本当にそれだけなのでしょうか。
政治不信の背景にはもっと注目すべき点=自民党システムの根本的な行き詰まりがあるように思います。
「長期政権を維持してきた自民党というシステム」に関しては11日に紹介しましたが、今日は小沢一郎という政治リーダーの行動を読み解くことで、自民党システムという政治の仕組みがいかに変容してきたかを見ていきたいと思います。
少し前置きが長くなりましたが、本題「自民党システムへの反逆者、小沢一郎」に入っていきます。
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長期政権を維持してきた自民党というシステム
こんにちは。今回は、1月20日の記事「官僚制の基盤は江戸時代にできた」の続きです。日本政治の特色として、官僚制と自民党による長期政権という2つが挙げられると思います。前回は官僚制について紹介したので、今回は自民党がなぜここまで長期政権を維持することが出来たのか、そのシステムについて紹介したいと思います。
戦後最大の政党として君臨してきた自民党。この自民党がここまで巨大政党として存続できたのは、すでに基盤が形成されていた官僚機構との共生で形成された巨大なインサイダー政治を体系化できていたためです。今回はこの自民党のシステムについて『自民党政治の終り』(野中尚人著)
より紹介します。
自民党システムの大きな特徴の一つは、与党と行政官僚との緊密な協働体制である。しかしそれは、二つのものが同時並行的に生成する中で互いに組み合わされたものではない。明らかに行政システムが先に形成され、完成度の高い段階まで築かれた後、いわばそれに覆いかぶさる形で自民党の仕組みがくけ加わったのである。
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