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『EUって、どうなっているの?』6~ユーロ設立前夜①、欧州通貨制度って何~

以前の記事

『EUって、どうなっているの?』3~EU設立からユーロ創設へ~ [1]

で、ユーロ創設までの大きな流れを扱いましたが、欧州にはユーロ創設の前段階として、欧州通貨制度(EMS)という通貨体制が存在していました。これは、為替安定化のための相互扶助制度と通貨バスケット制度とを併せ持つ通貨体制で、今後の通貨体制の可能性を探る上でのヒントになり得るものだと思います。
よってここでは、その欧州通貨制度の仕組みに関してまとめてみようと思います。
■ まずは欧州通貨制度設立までの流れ

第二次大戦後、ドイツ・フランス等、欧州6カ国は、経済的な協力と統合を進展させ、商品、サービス、労働力、資本などが自由に移動する経済圏の形成を目指し、ECの設立などを実現していました。
さらに1970年代以降、

 ・ブレトンウッズ体制崩壊の兆候が次第に顕現化し、米ドルに対する不信感が増大 👿
 ・EC内では、加盟国間で大幅な為替レートの調整が発生し始めていた
  (共通農業政策による主要農産物の域内共通価格設定を維持するため)

という状況もあり、EC各国においては、為替レートの安定がとりわけ強く希求されるところとなっていました。そこで為替の安定化を目的に、1979年、欧州通貨制度(EMS)が導入されることになりました。

では、その欧州通貨制度の仕組みに関しては「続きを読む」で、、、

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■ 欧州通貨制度(EMS)とは?

 為替相場メカニズム(ERM)、欧州通貨協力基金(EMCF)、欧州通貨単位(ECU)から構成される。スタート時の参加国はイギリスを除く8カ国であったが、その後89年にスペイン、90年にイギリス、92年にポルトガルがそれぞれ参加することになる。
 これは以下3つの柱から成り立っていた。

■ ≪第一の柱≫為替相場メカニズム(ERM)

 パリティ・グリッド方式による固定相場制維持システム:「パリティ」は為替平価、「グリッド」は格子という意味で、為替平価が格子状に形成されている状態を指す。
 なぜこのようなシステムを創ったか。
 金本位制では金、戦後のブレトン・ウッド体制では基軸通貨であるドルが中心にあり、その他の通貨がそれにつながる事で国際通貨体制ができあがっていたが、1960年代末からドルが不安定になり、ヨーロッパでドルから自立した通貨体制を創ろうとしてもドルに代わる通貨がない。かつてのイギリスのポンドもフランスのフランにも基軸通貨足りうる力はない。かといってドイツのマルクには力はあっても、過去の忌まわしい歴史があり、ヨーロッパの先頭にたって引っ張っていくことはできない。
 そこでヨーロッパ全体の通貨に擬して欧州通貨単位=ECUを創り、それを中心にして為替相場表を創ったのである。

 さてこのシステムで如何にして為替相場が維持されるのか。まずこのERMでは各通貨ごとにECU中心相場が設定され、そこから相場の上限と下限が決められ2通貨間の基準相場が設定される。全通貨について一覧表にしたものがERM基準相場表である。その表にしたがってその相場の範囲内で各国中央銀行は無制限の介入義務が課せられる。
 その他参加国は基準相場の調整や経済金融政策を通して為替相場を安定させることを要求された。

 このパリティ・グリッド方式(ドイツなど強い通貨の国が主張していた)は結果的にECにとってインフレ抑制に効果を発揮した。たとえばマルクとフランの関係を例にとって見よう。強い通貨マルクがパリティ・グリッドの上限に張り付き、他方弱い通貨フランは下限に達しているとする。
 こうなるとドイツ連銀とフランス中央銀行は同時に市場に介入し、マルク売りとフラン買いを行う。この場合ドイツ連銀にとって自国通貨マルクを売ってフランを買い支えるのは問題がないが、フランス中央銀行はマルクを調達してフランを買うということは、市中のフランを中央銀行が吸い上げることを意味し、それは同時にインフレ抑制効果を持つ。

■ ≪第二の柱≫EMSの信用メカニズム

 第二の柱としてEMSは市場介入や国際収支の悪化に対する金融支援を目的として超短期ファイナンス、短期通貨支援、中期金融支援の三つの信用メカニズムを備えている。
 超短期ファイナンスは為替変動限度介入に必要な資金を無制限に相手国の中央銀行から借り入れる制度で、決済はドル、債権国通貨、ECUでなされる。短期通貨支援は予期せぬ事態や景気のづれによって生じた国際収支の一時的悪化などに対する金融支援で、欧州通貨協力基金を通して、借り入れ国中央銀行になされる。
 中期金融支援は中長期的な国際収支の不均衡に対して政府間で行われる金融支援で、融資は欧州通貨協力基金を通して行われる。
 このような超短期の中央銀行間の信用から中期の政府間信用まで制度的に整えることによってEMSは国際的にも信用されることになった。

■ ≪第三の柱≫共通通貨単位としての欧州通貨単位(ECU)

 後に欧州単一通貨ユーロへと発展するECUは、「ECUはEMSの中核である」と明確に位置付けられ、以後急速に用途を拡大し、ユーロにまで至る。ECUは、加盟国中央銀行総裁が構成する欧州通貨協力基金(EMCF)が発行し、加盟国の中銀は、金・ドル準備の20%を上記の基金に預託して、代りに通貨単位ECUを受け取る仕組みである。

 ではそのECUとはいかなるものであったのか。すでに述べたように、1971年8月15日のニクソン声明によって金・ドル交換が停止され、やがて固定相場制も崩壊する。それまでは基準となる本源的国際通貨は金であったが、以後は基準となる確たる通貨が消えた。各国は自ら基準通貨を新たに探さなければならなくなった。
 変動相場制を採用するには経済力が圧倒的に脆弱な大部分の開発途上国はアメリカのドルに基準を求めたが、日本やヨーロッパ諸国はドルから離れた。そして後者は、それまでの金やドルに替わって関係各国の通貨の加重平均値であるバスケットの単位を用いるのが適しているということで合意に達した。
 加重平均値は主にEC全体に占めるEC各国のGDPのシェア-と短期通貨支援の各国の拠出枠を参考に算出された。

 EMSのスタート時点のECUバスケットにはECの9通貨が次のような構成で入ることになった。

[2]
桜井錠治郎『EU通貨統合』120ページ(社会評論社、1994年)

 1ECU=0.828独マルク (27.3%)
      +0.0885英ポンド (17.7%)
      +1.15仏フラン (19.5%)
      +109リラ (14%)
      +0.286蘭ギルダー (9%)
      +3.66白フラン (7.9%)
      +0.14Lフラン (0.3%)
      +0.217丁クローネ (3%)
      +0.00759愛ポンド (1.5%)

ECUはEMSにおいては次の4つの役割を果たすことになった。

(1) EMSの表示単位。EMS参加通貨の基準相場やその他必要な計算をECUを単位にして行う。

(2) 乖離指標の基礎。固定相場制を維持するためにパリティ・グリッド方式を補完するものとしてECはECU乖離方式を採用していた。これは実際にはほとんど使われなかったが、制度としては自国通貨がECUから一定限度以上乖離した国だけが市場介入の義務を負うことになっていた。

(3) 介入および信用メカニズムの操作の計算単位。

(4) ECの各通貨当局の間の決済手段。ECUでの決済は50%まで。他は債権国通貨およびドル。
以上のECUの4つの役割はあくまで公的ECUのことであり、これだけだと用途が限られる。これから将来のユーロは困難と言わざるを得ない。民間でもこれに対する信頼が増し、使用されるようにならなければならない。この民間ECUが飛躍的に伸び、銀行間取引で確固とした信頼をえるのは1980年代後半からである。

******

結局、この欧州通貨制度(EMS)というのは、日本で言うところの頼母子講制度のような加盟国共同出資による為替安定化体制であったと言えます。この制度が導入されて以降、安定した平価の模索段階(平価調整)を経て、1980年代後半には当初の目的であった為替の安定化(および平価の安定化)が高いレベルで実現されつつありました。

ところが1992年、イギリスを発端とした欧州通貨危機が発生。その後約1年に渡ってその状況は続き、欧州通貨制度は実質崩壊状態にまで追い込まれてしまいます 😥

ではなぜ、為替安定化のための欧州通貨制度を確立したにもかかわらず、欧州通貨危機が起こってしまったのでしょうか。
その点について、次の投稿で追求してみたいと思います。

参照:ローマ条約における論理的帰結としての経済通貨同盟 [3]

[4] [5] [6]