現在地球温暖化の問題
が話題になっていますが、その原因が二酸化炭素であるという説についてキャンペーンを張っている中心に原子力発電推進を目論む人たちがいるようです。
現在、CMなどでも、電力会社の発信は温暖化防止→原子力発電
ですね。

柏崎刈羽原子力発電所
温暖化CO2説のウソということが、このブログでも取り上げられていますが、原子力発電の安全性という視点でも、報道が遅れたり、隠蔽されたりと言った声はよく聞きます。
こうしたどうも怪しい報道、キャンペーンの発信元が、「原子力発電推進を目論む人たち」という同じ人たちというのも、興味を引くところです。 ![]()
こうした事実が知らされない構造というのは、どの様になっているのかを少しでも明らかにしたいと思います。ですので、原子力発電の歴史をすこし紐解いてみたいと思います。 
今回は、原子力の父と言われる正力松太郎=読売新聞社主とアメリカの関係を中心に扱いたいと思います。
続きはぽっちっとしてからお願いします。
まずは、導入の動機
【中曽根-正力ラインによる原子力予算上程までの動き】
れんだいこさんのHPより:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/genshiryokuhatudenco/history_japan.htm [1]
1945.8.6日、中曽根康弘は4高松で広島のきのこ雲を遠望した。この時次のように思ったと云う。 「私が戦争中海軍に動員されて高松にいた時、広島の原爆雲を見た。この時私は、次の時代は原子力の時代になると直感した」(中曽根康弘「政治と人生―中曽根康弘回顧録」講談社(1922)p75)
1953年、復員後政治家になった中曽根に、マッカーサー司令部のCIC(対敵国諜報部隊)に所属していたコールトンが接近し、ハーバード大学で開催されたキッシンジャーの主催するセミナーに招聘した。この時、中曽根はネオ・シオニズムの黒子であるキッシンジャーに認められ、将来の出世と権力が保証されるエージェント契約を結んだ形跡がある。
(中略)
1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された。両院議員総会で、科学技術研究助成費のうち、原子力平和的利用研究費補助金2億3500万円、ウラニウム資源調査費1500万円、計2億500万円の予算案提出の合意に達し、予算の名称は「原子炉築造のための基礎研究費及び調査費」と決定した。翌3.3日の衆議院予算委員会に、全く突如として自由党・改進党・日本自由党の三党共同修正案として提出され、3.4日の衆議院本会議で提案趣旨説明が行われ、予算案は修正案も含めて一括採択された。
1954.4月、予算案が可決され、「原子炉築造のための基礎研究費及び調査費」(この時の原子力予算は235億円ともある)。が認められた。以降、日本の原子力政策は巨額の税金を「利権として吸い上げる」構造的汚職の巣窟と化して行くことになる。
原子炉築造とは書いてありますが。。。。。。導入の動機となったのは、原発ではなく原爆であったような気がします。
【中曽根-正力ラインによる原子力行政推進考】
(れんだいこさんのHPより:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/genshiryokuhatudenco/history_japan.htm [1]
中曽根のこの動きを背後で操っていたのが読売新聞の社主・正力松太郎である。(正力履歴については、木村愛二氏の「読売新聞・歴史検証」、れんだいこの「読売新聞社史考」を参照すべし)
正力は、戦後、戦犯として訴追され、政治生命を断たれた。その正力が戦犯解除されるに当たってCIAとエージェント取引したことが考えられる。同じような経緯で取引した者に戦前の特務機関系右翼・児玉誉士夫がいる。岸にもこの臭いがある。
正力は、戦犯訴追解除後、古巣の読売新聞社に復帰し、その後衆議院議員になり、日本テレビ放送網社長、第2次岸内閣の原子力委員会議長、科学技術庁長官を務めている。初代の原子力委員会委員長に就任していくことになる。
この正力の意向を受け、「1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された」と考えられる。以来、中曽根と正力は、政界における原発推進の両輪となって動いてきたという経過がある。中曾根と読売新聞社の関係にはただならぬものがある。(これに日共の宮顕を加えれば「闇のトライアングル」を形成している、と云える。ここではこの件の考察はしない)
正力-児玉誉士夫-中曽根ラインは、CIAコネクションを形成する。そこから政官財三界に巨大原子力推進人脈が形成されている。これは軍事利権人脈ともほぼ重なっている。この連中がピラニアのように軍事防衛、原発利権に群がり、国家を私物化しつつ食い尽くして行くことになる。まさに「権力を私する魑魅魍魎の妖怪ども」である。
(後略)
何故、ここで読売新聞の社主・正力松太郎が登場するのか?
警察とヤクザを基盤に発展した読売の歴史
世界潮流 http://plaza.rakuten.co.jp/worlddreams2005/diary/200506150000/ [2] より
闇勢力に深い影響力を持つ児玉誉士夫と正力松太郎が非常に親しかったことが書かれている。児玉誉士夫と言えば、戦前日本軍の軍資金としての阿片密売などに関与し戦犯として処刑されてもおかしくないものをCIAの前身である米軍諜報部に全面協力を約束し赦免された人物である。そして実は正力松太郎も米軍諜報部と密接な繋がりがあったのだ。米軍諜報部将校と正力松太郎らが親しげに交流していたのは周知の事実なのである。
米軍諜報部がバックにいたからこそ正力松太郎は戦後も大手を振るって歩いていた。ちなみにこの戦後すぐの時代、米軍諜報部は日本国民を親米的にするための諜報作戦を多数行っている。近年の米国での情報公開などにより、その作戦の一部が明らかになっており、例えばラジオ番組に米国の曲を提供し日本人に米国への親近感を抱かせるという作戦などが行われていたようだ。
ただ、さすがに日本のテレビと新聞へ米軍諜報部がいかなる工作を行ったかについては未だに詳細は明らかになっていない。
現在の日本ではラジオ番組の何十倍もの影響力がこのテレビと新聞にあることを考えると、現在においてもCIAの工作が行われていることから手口が公表できないのかもしれない。
(後略)
以上の内容は、原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史 リンク [3]にも詳しく載っています。
また、るいネット「電通と正力松太郎(1)(2) リンク [4]、リンク [5]、「正力松太郎とアメリカCIAとの関係(原子力発電に関して)」 リンク [6]、当ブログ「読売新聞の歴史~正力松太郎という男」 リンク [7]、なども参照してください。
正力松太郎は、アメリカCIAとの関係をバックに日本の放送・新聞業界を牛耳っていた人だったのです。その関係の詳細は「正力松太郎のマイクロ波構想」として別途扱いたいと思っていますが、アメリカとの関係はTV放送の導入時からの関係です。当ブログ「テレビも反共の防波堤として始まった」リンク [8]も参考になります。
正力松太郎とアメリカの関係は原発導入に無くてはならない物であったのは、日本側の事情とアメリカ側の事情の双方が関連します。
日本側の事情としては、中曽根のような国粋主義者の思惑もありますが、工業化に伴うエネルギー事情というものもありました。そして、正力松太郎自身はTV導入→マイクロ波構想というものを軍事目的での利用を構想し、アメリカからの借款によって実現することを考えていた。この構想がアメリカ諜報活動の一翼であることを国会で明るみにされ、この構想が頓挫してしまったことによって、自らが政治の世界へ入っていく為のカードとして、原発導入を利用しようとしていました。
次回はアメリカ側の事情です。 